Ⅴ_ⅲ

 ──何だよ、そのクセぇセリフ。


 さらにその後ろに続いた言葉を聞きながら意識を浮上させた俺は、体の痛みと心の痛み、両方にうめき声を上げた。


「師匠を笑えねぇ……」

「おいおい、誰を笑うって?」

「!?」


 無意識のうちに声に出して呟いていた俺は、不意に傍らから響いた声に反射的に腹筋に力を込めていた。


 だがナイフを探った指先は何にも触れることができず、力を込めた腹筋は上体を引き起こすよりも先に走った激痛によって集めた力を即刻霧散させる。


「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

「目ぇ覚めたかよ、馬鹿弟子」


 その痛みのお陰で、色々なことを思い出せた。


 が、まずは隣にいるらしい人物だ。


 俺は恨みがましい目を声がする方へ向けた。


 どうやら俺はどこぞかの寝台に仰向けに寝かされているらしい。日が高い時間帯なのか、部屋全体が淡く光に包まれていた。


 その光の中、相手は寝台の傍らに置いた椅子に腰掛けてこちらを覗き込んでいる。


「気分はどうだ? ん?」


 女と見紛うような、年齢不詳の美貌。胸元まで伸ばされた灰色の髪は、首筋で緩くひとつに括られ、前へ垂らされていた。髪よりもワントーン暗い灰色の瞳は、淡く笑みを湛えて俺を見つめている。


 首から上だけを見れば、性別不肖の麗人。ただし首から下は細身とはいえガッツリ男で、声は嫌味なくらいにバリトンのイケボ。


 これで背筋が寒くなるくらいクサいセリフを連発するのだから、マジで黙ってた方がいいと思う。……ああ、でも声はいいんだったな。だったら誰かにセリフを逐一考えてもらった方がいいのか。


 思わず弟子である俺が寝起きざまにそこまでを考えてしまうこの御方こそが、初代デス・ザ・スターキッド……本名だがどうかは知らないが、名をフェリス・フェルナンドという。


「師匠が……どうしてここに?」


 ここにもクソも、そもそもここがどこなのかも分かんねぇけども。


「ここは私の隠れ家のひとつ。とりあえず都の中ではある」


 俺の顔から疑問を感じ取ったのか、師匠は歌うような語調で教えてくれた。ゆっくりと自力で体を起こしながら、俺は師匠の言葉に耳を澄ます。


「なぜお前が死にかけていたタイミングで、都合良くお前を回収できたか、だが」


 俺が拝聴の姿勢を取ったことが分かったのか、師匠は朗らかな口調で説明を続けながら、チョイッと芝居がかった仕草で肩をすくめる。


「とある筋から、ロズウェルの『おいた』について、タレコミをもらってしまってね」

「……っ」


 その一言で、俺は気を失う直前の光景を思い出した。


 俺の左脇腹を薙いでいった刃。血溜まりを作り上げた鮮血。


 降りしきる雨と、軽薄な、だが冷酷な笑み。


「……記憶は飛んでいないようだな?」


 グッと拳を握り込んだ俺の顔から、表情は消えていたはずだ。そんな俺の一挙手一投足を見つめていた師匠は、満足そうに目を細める。


「状況は?」


 俺は師匠の言葉に直接答えることなく、問いを向けた。取り乱すこともなく、あくまで暗殺者として冷静に事態に向き合おうとする俺に、師匠はさらに満足そうな笑みを広げる。


「お前はひと月ほど昏睡していた。私がお前を回収できたのは、実はたまたまでね。回収しようと思ってあの場に出くわしたわけではなかったから、処置に少々手間取った」


 師匠が受け取った情報は、主にふたつだったという。


 ひとつはロズが『烏の王冠レイヴンズ・クラウン』を裏切り『高貴なる闇ダークハイネス』にくみしているということ。


 もうひとつは、そんなロズの狙いが第一王子のアレクセイで、ロズは暗殺遂行のために王宮に潜入しているということだったという。


 情報を受けた師匠は、ひとまず様子を確認するために王宮に潜入した。


 その矢先に瀕死の俺を発見したらしい。


「お前、随分サックリられてた上に、アズライール漬けにまでされやがって。状況が状況でなければ、あまりの不甲斐なさに私がお前を殺していたところだぞ」

「いや、あの……。ロズに『シェイクスピア』で仮病にしてくれと依頼して、イ゛ッ」

「そーこが甘いんだっての」


 眉間で炸裂した容赦のないデコピンに、俺は思わず寝台に倒れ込んだ。額を必死に両手で押さえてみたところで、焼けるような痛みはまったく薄れてくれない。思わず腹の傷の痛みも忘れて両足をジタバタと暴れさせた。


 クッッッソ!! クッソ痛ぇじやねぇかクソ師匠ぉぉぉおおおっ!!


「たとえ身内であっても信じるな。ロズウェルも私も例外ではない。私はそう教え込んだはずだぞ」

「そう言う割にきっちり俺を助けてくれてありがとうございますクソ師匠っ!!」

「二代目とはいえ、デス・ザ・スターキッドがこんなに不様に死ぬなんて、私の美学が許さないからな」


 軽やかに答えた師匠は、サラッと俺の脇腹の傷を指先で突いた。そこから走った激痛はデコピンの比ではない。


「〜〜〜〜〜っ!!」

「立太子式は、二週間後だ」


 痛みに悶絶していた俺は、その言葉にハッと我に返った。痛みをこらえて師匠を見遣れば、師匠は静かな視線を俺に据えている。


「アレクセイは存命だ。そしてロズウェルは、変わることなくアレクセイの侍従補佐官を続けている。表面上は何も起きることなく穏やかに、粛々と日々は過ぎている」


 お前がなすべきことは、分かるな?


 そんな問いかけが、言葉が終わった後の沈黙ににじんだような気がした。


「アレクセイの警護は硬い。今のままではロズウェルも手が出せないはずだ」


 俺が例外であっただけで、本来アレクセイの警護は硬い。完全に警戒されているロズに暗殺の隙など見つからないはずだ。


 最後のチャンスは、立太子式の最中。


 一連のもよおしをこなしている間だけ、アレクセイの周囲からは常の警備が外れる。


 そしてその隙は、こちらにとっても最後のチャンスだ。


『期限は、王子が十八歳の誕生日を迎えるまでの3ヶ月の内。早ければ早い方がいい。王太子披露の祝宴が開かれるまでに消せ』


 立太子式の日は、アレクセイの誕生日でもある。王太子披露の祝宴は、大教会で儀式を終えた後、アレクセイが王宮に帰還してから開かれる。


 ──デス・ザ・スターキッドの依頼完遂率は100%。


 俺は、この依頼に首を縦に振った。受けた以上、俺はこの依頼を完遂させなければならない。


「……師匠」


 だというのに、この期に及んで、紡ぐ声が震えた。


「俺には、あいつは、殺せません」


 俺の言葉に、師匠はただ一度、ゆっくりとまばたきをしただけだった。


 いいとも悪いとも、師匠は言わない。ただ黙したまま、じっと感情が見えない視線を俺に据えている。


「……俺には、あいつが分からない」


 それが『事情を話してみなさい』という師匠の意思表示なのだと知っている俺は、心の内に抱えていたものを、素直に打ち明けることにした。


「本当に、意味が分からないんです。気持ち悪くて、とにかく怖い」


 暗殺者なんて真っ当じゃないことを生業なりわいにしているくせに、こういう時の師匠はものすごく『真っ当』だ。頭ごなしに物を言わず、ひとまず話を聞いてくれる。……まぁ、場合によっては、その後に拳やら刃物やらが飛んでくることもあったりするけども。


「だってあいつ、俺が暗殺しに行ったら、俺のこと寝台に押し倒して口説いてきたんですよ? かなり熱烈に。今思い出しても鳥肌が立つんですけど」

「確かに」


 俺の上半身は、傷の様子を見るためなのか、包帯を巻いただけで服は着せられていない。むき出しの肌には、盛大に鳥肌が立っていた。


「あいつ、どうやらかなり早い段階から『ルシウス・アンダーソン』と『デス・ザ・スターキッド』が同一人物だって気付いていたみたいで。だっつーのに俺を遠ざけようとするどころか、二人きりになろうとしたり、とにかく距離を詰めてきたりで」


 そう、最初からとにかく押しが強かった。こちらが懐に入り込む隙を探ろうと思うよりも早く、向こうから懐に引きずり込まれていたくらいに。


「何か過去に会ったことがあるとかで、その時のことが原因で俺に好意を抱いてるみたいなんですけど……。でも俺、それを忘れてるんですよ。たったそれだけの些細なことを、何年もこじらせるってどうなんですか?」


 何となく、さっきまで見ていた夢で、アレクセイに似た子供を見たような気もした。


 確かに昔、まだ教会孤児院にいた頃、うちの教区の子供じゃない、身なりのいい子供を助けたような気もする。だけどあれが本当に過去にあった出来事なのか、死のふち彷徨さまよっていた俺が見たただの夢だったのかも、俺には分からない。こちらにとっては、本当にその程度の些細な出来事だったはずだ。


「こっちが向けてるのは殺意なんですよ? 殺意を向けてくる相手に好意を抱くって、意味分からなくないですか?」


 そうだ、意味が分からない。殺意と好意なんて、真反対の感情ではないか。


「意味が分からなさすぎて、怖い。俺は、得体のしれないあいつを、殺せないと思ってしまった」


 だから、俺は、この依頼を降りたい。


 包み隠さず内心を打ち明け、上目遣いで師匠を見上げる。二十二歳にもなった男がやる仕草ではないという自覚はあったが、昔からこうして内心をぶちまけた後は、師匠から返される言葉が怖くて、恐る恐る師匠を見上げるのが癖になってしまった。


「得体の知れない……ねぇ」


 師匠は腕を組み、目を閉じ、さらに眉間にはシワを寄せていた。


 いつになく難しい顔の師匠に、俺は思わず息を詰める。


「こんな単純なことも分からないとは……俺はお前の教育を間違えたのかもしれない」

「え……」


 組んでいた足を解いて、ユラリと師匠は立ち上がった。長身で均整の取れた体躯である師匠が立ち上がると、それだけで妙な圧がある。


 というか……え?


 え? 『単純なこと』って何だよ? 教育を間違えたって? 何でこんな急に圧を醸すんだよ師匠!


「お前が『得体が知れない』って言ってるものの正体はなぁ!」


 カッ! と目を見開いた師匠は、ビシッ! と俺の眉間に人差し指の先を向けた。俺は思わず暗殺者としての本能から反射的にナナメ後ろに下がり、指の起動からよけつつ距離も稼ぐ。


「ただの『愛』! はい終わりっ!!」


 そんな回避行動に意識の一部を持っていかれていたから、一瞬師匠の発言を理解することができなかった。


 いや、それがなくても、多分理解はできなかったことだろう。


「……へ?」


 タダノアイ。ただの、愛……ただの愛っ!?


 いやいやだから! 暗殺しに来た相手に恋に落ちる意味が分からなくて怖いって言ってるんじゃないですかっ!!


「馬鹿かお前。アレクセイが惚れたのは、子供の頃に命を救ってくれた、『命の恩人』のお前だろうよ」

「いやいや尚更意味分かんねぇっす!」


 だってあれだろ? アレクセイの話が正しければ、俺とアレクセイが出会ったのは、アレクセイが六歳、俺が十歳の頃……俺が師匠に引き抜かれる直前の頃だ。


 ただの子供だ。それも男同士。


 それが何をどうこじらせちゃったら、初回で寝台に押し倒すような『ただの愛』になるっつーんですかっ!?


「子供の恋って、純粋で深ーいわけですよ、ルシウスくん? 子供の頃からずっと心に抱いて育て続けてきた恋ならば……まぁどこでどう転ぶかなんて、ねぇ?」


 さらに『おまけに二度と会えないと思っていた、あくまで憧れだった相手が、ある日いきなり寝室にノコノコ登場したら……ねぇ?』と続けた師匠は、麗しい顔に妖艶な笑みを浮かべた。


 いや、パッと見妖艶ではあるが、瞳の中は下世話に笑っているのがメチャクチャよく分かる。……ちょっとサックリっちゃってもいいっすか。いいっすよね? お師匠様。


「お前、昔、似たようなことで怖がってたな。覚えてるか?」


 俺は考えるよりも早く寝台の上に片膝をつくと、スルリと師匠との間合いを詰めた。突きつけられた指先を辿るように指を伸ばし、師匠の袖口に仕込まれていたナイフを引き抜くと、逆手に構えてさらに師匠との距離を殺す。


「『神様ってのは、得体が知れなくて怖い』」


 だが俺が突き出したナイフは、師匠の左手によって止められてしまった。人差し指と中指の間に軽く挟まれているだけなのに、俺が全力で押し込んでいるはずのナイフはピクリとも動こうとしない。


「ついでに私やロズのことも、『得体が知れなくて怖い』と言っていたよ」


 今でも怖いかい?


 片手でナイフを止めたまま、師匠は楽しそうに目を細めた。


 ……確かに、師匠に引き抜かれた頃、そんなことを言って、師匠やロズを困らせた覚えがあった。


 そしてこの問いにならば、俺は冷静に答えることができる。


「今は、怖くありません」


 師匠は、暗殺者としては一流だが、ネーミングセンスは壊滅的で、でも『師匠』としては中々に立派な人だと思っている。ロズはライバルであると同時に、俺の人生でほぼ唯一と言ってもいい兄貴分だ。


 神様のことは、今でもイマイチよく分からない。ただそのよく分からなさ加減を作り出しているのが、人の勝手な望みというか、こちらの心の持ちように問題があるのだと分かってから、何だか怖くはなくなった。付き合う距離感が分かった、という感覚が近いのかもしれない。


「では、それらの変化に共通していることは?」


 俺は師匠の瞳を見据えたまま、スッと目をすがめた。


 相手が何を考えているのか。何をたくらんでいるのか。命のやり取りの場では、相手の思考の二手先、三手先を読んで立ち回らなければ、最悪こちらが命を落とす。


 ただ、その読み合いが、場所を間違えればただのひとり相撲になることも、同時に俺は知っている。


 そのことを思った瞬間。


 不意に、俺の胸の内に、ストンッと収まるものがあった。


 ……なんだ。つまり、今回の俺は。


「……相手の本質を、よく知ること」


 相手は暗殺対象で、俺は暗殺者。相手はこの国の第一王子。


 その肩書きと任務内容が先行していたから、そのフィルターを通してしかアレクセイを見ていなかった。だから出来上がった図式が『こちらから殺意を向けた暗殺対象者になぜか熱烈に迫られている』というものだった。


 ただ、そのフィルターを外して見てみれば、そこに残るのは『幼い頃、周りが敵だらけだった中から圧倒的な実力で華麗に救い出してくれた、二度と会えないと思っていた憧れのオニイサンが、なぜか手が届くところに現れた』という事実だけだ。


 そりゃあ長年の間に純粋な憧れが恋愛感情に化けていれば、殺意を向けられていようが何だろうが、口説いて口説いて口説き落としてみせるってなるものなのかもしれない。


 ……ん? いや、なるか?


「正解」


 俺がナイフから力を抜くと、師匠は指の間に刃先を挟んだまま、俺がり取ったナイフを回収していった。俺が使っている物と同じ……『死の五芒星』が刻まれた、デス・ザ・スターキッドのナイフを。


「相手の気持ちを無碍むげにするのは、デス・ザ・スターキッドとしての流儀に反する」


 そこはかとなく疑問を抱きつつも、ひとまず俺の理解が追いついたと判断したのだろう。袖の中に元のようにナイフを片付けた師匠は、麗しい顔に薄っすらと笑みを広げた。


「答えて殺すも良し、袖にして殺すも良し」


 ただしそれは、先程まで愛弟子に向けていた柔らかなものではない。


 一流の暗殺者、生ける伝説とまでうたわれた初代デス・ザ・スターキッドが獲物を前にした時に浮かべる笑みだった。


「……ひとつ、訊いてもいいですか?」


 その冷たくも美しい笑みから視線をらすことなく、俺は問いをぶつけた。


「なぜ、ロズではなく、俺を後継に指名したんですか?」

「お前がカッコ良かったからさ、ルーシー」


 師匠の答えに迷いはなかった。


 美しき暗殺者は、己の言葉に満足しているかのようにさらに目を細める。


「デス・ザ・スターキッドはカッコ良い存在でなければならない。お前の中にはお前の美学があるが、ロズウェルにはそれがなかった。だから私はお前にデス・ザ・スターキッドを継がせたんだよ」


 あぁ、美学と言えば。


 そう呟いた師匠は、笑みの中にわずかに殺意を落とした。


 暗殺者の笑みというものは、ただ純粋に笑んだ時よりも、殺意が混ざった時の方が美しい。ロズもそうだが、師匠はそれが特に顕著だ。


「獲物を横取りされることも、デス・ザ・スターキッドの美学に反するな」


 その笑みを前にして、俺の腹は決まった。


 それが分かったのか、師匠がさらに唇の端を吊り上げる。


 アレクセイの想いに何と答えるべきなのかは、いまだに答えが出ていない。


 ただ、自分がどうしたいかは、決まった。


 ──立太子式まで、約二週間って言ったか。


 傍らにある窓から外を眺めると、ちょうど雨上がりなのか、薄く広がった雲の隙間から光が差し込み、濡れた建物の壁や地面の水たまりがキラキラと光を反射させていた。どうやら部屋が明るかったのも、この反射光が窓から注ぎ込まれていたからであるらしい。


 もしかしたら今日は、今から空に虹がかかるかもしれない。


「俺以外に殺されるなよ、バカ王子」


 俺の小さな呟きは、淡い光の中に溶けて消えていった。

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