KMS

氷室怜

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 死のうと思います。ずっと前から、決めていました。ビルの屋上から、飛び降り自殺をします。

 イラっとくることが、ありました。今日の午後に、はい、そうです、つい先ほどのことですが、私の親が許せないことを、言ってしまったのです。喧嘩です。よくある、親子喧嘩ですよ。しかし、とても酷い。ああ、酷いことを言われました。お前はダメなやつだとか、産まなけりゃよかったとか、親が子に言ってはいけない言葉が、ありますよね。しかし、それよりも、ずっと酷いことを、です。息を吸って吐き出すように、言われました。なるほど。どんな言葉だったのか、気になるんですね。それは、気になりますよね。でも、すみません。なんだったかは、言えません。言うべきことでも、ないと思う。なにを言われたのかではない。大事なのは私自身が、自殺すると決めたこと。

  勘違いされると困るから、先に言っておきます。私が自殺するのは、この喧嘩が原因ではない。ジグゾーパズルを組み立てる時みたいに、貴方は、分かるかな。たまたま、この出来事が、最後のピースになったというだけ。

 私の、「命」のパズルは、かなり変則的ですから。組み立てる順序は関係ない、とまでは言いませんけど、このピースはこの場所に、なんて、決めてないのよ。どんな出来事だって、このパズルの一片になり得る。決定権は、ゲームマスターの私にあるの。

 親子喧嘩があったというだけで自殺するなんて、くだらなすぎる。こんな理由で、私は自殺なんてしない。あ、誤解しないでくださいね。くだらないと思うのは、あくまで、私の事です。他人に自分の価値観を押し付けたくはないけど、心中はロマンだというみたいに、死ぬ時くらい、美しく死にたいじゃない。だから、私は親子喧嘩なんかで自殺しない。

 とにかく、私は死ぬことを決意したの。塵も積もれば山よ。全てが、埋まった。今が、実行する時なの。

 ええ、しますよ。しますとも。一瞬の血迷いではない。私が自殺したい、自殺したい、この世から消えたい、とか言いながら、結局は死ねずに、この世に未だに這いつくばっている意気地なし、とでも言いたいんですか。そうではない。私は一時の感情で、動く人間ではありません。

 死にます。私は、死にます。間違いなく、死にます。私の中ではもう、確定しています。20mもある、ビルの屋上から、落下するのです。即死でしょう。怖い、怖いですか。そうですか。私が死ぬのが怖いと、そう思っていますか。誤解なされているようですね。強がりとか、負け犬の遠吠えとか、虚勢を、張っているわけではなくて、本当に、私は怖くない。死ぬことが、怖くない。肝が据わっているの。覚悟をもって、生きている。誓ってもいい。叫んでもいい。本当に、怖くない。即死でなくて、いい。苦しいやり方でも、拷問でも、最終的に死ぬことができれば、それでいい。そういうやり方でも、よかったのよ。

 絶対、死んでやる。

 例えば、飛び降りようとする前に、誰かに見つかって、私が保護されたとします。死にたくても、死ねない。そしたら、舌を噛み切って、窒息死で死のうと思います。

 想像、できます。私が飛び降りようとする寸前に、男性に、女性かもしれないけど、その人に腕を掴まれて、何をしているんだ、と聞かれて、私、生きるのが嫌になってしまって、と答えて、泣き崩れる、その光景が。

 というのは、嘘です。生きるのが、嫌になっていません。そんな理由で、私は死ぬことを選ばない。今だって、幸せよ。そうですか。騙されたんですか。それは、演技です。芝居を打っただけです。おもしろい。

 そうやって泣いている振りをして、相手の私の腕への力が弱まった隙に、その手を思いっきり振りほどいて、今までの人生で、出したことがない速度で、全力疾走をするの。そして飛ぶの。ジャンプ。そしたら、夜風が私の頬を、優しく撫でるの。それがとても、心地よく感じるの。今は、冬が終わり、春になる頃だから、きっと、空気も、ツンとして、香りがいいはず。物理の法則に従って、落下していくの。

 ビルの屋上というと、立ち入りできないイメージがありますよね。実際、私の住んでいる建物もそうです。しかし、その件は、心配がいらないようでした。飛び降りて死にたい、という私の欲望を、唯一、以前から聞いてくれた私の友人が、解決してくれました。彼は、自分の持ち前の人脈と行動力で、とある建物の屋上にあがるための鍵を、手に入れてくれたのです。彼が立ててくれた計画も、完璧でした。誰ですか。彼が誰なのか、知りたいですか。ごめんなさい。それは、言えません。

 とにかく、私の悲願が、いま、もう目の先にあって、手を伸ばすだけで、もう、叶えられそうな場所にあるの。

 私が、死のうと思うまでに至った、崇高な思想。

 私は生きて、この世のとある真理に、気づいてしまったのです。天から降りてきたみたいに、突然、閃きました。とても衝撃的なことでした。私の中の世界が、360度と丸々、ひっくり返りました。どこまでも続く、うんと暗い、じめじめした洞窟の中で、出口を指し示す、一筋の光を発見したような気持ちです。モノクロだった世界が、色付いて見えました。

 「何も恐れずに、笑って、自殺をする人」、そういう人は、今までの人類の歴史の中で、現れなかった。まるで自分が、この時、この瞬間のために生まれてきたかのように、自殺をすることが、至高の喜びであるかのように、笑って。そうやって、死んだ人は、誰一人といなかった。

 花が咲いて枯れていくように、日が昇って沈んでいくように、当たり前に。鉄球から手を離すと、重力で落下してしまうように。何でもないように、飛んで、落ちて、打って、死んで。

 そう、過去形なのよ。今まで現れなかった。思いついた人は、いたのかもしれない。やろうとした人も、いたのかもしれない。でも、実行にまで移して成功した人はいなかった。確信できる。断じて言える。いなかった。だって、そこまで狂っていて、ぶっ飛んでいる人なんて、いないに決まっている。だから最初の一人に、私がなるの。

 人生は、楽しいのに。食欲、性欲、睡眠欲とあって、叶えようと思えば、叶えれるけど、私は別に、興味がなかった。ああ、人間は元から、醜い生き物。七つの大罪、八つの枢要罪とあるように、「快感」という湖があるなら、いくらでもそこに飛び込む。理解ができない。

 私は、人間というものについて理解しようと、試みていたんだ。

 友達を作って、遊んだ。彼氏を作って、愛を知ろうとした。芸術に触れて、スポーツをしてみて、勉強も頑張った。知的欲求も満たせるものは満たした。破壊衝動に身を任せたこともあった。目の前にいる人を殺すことだって考えた。そして気が付けば、もう高校を卒業する時期になった。

 良さがなにも、分からなかった。

 だが、この思想は違った。良いと思えた。私がひらめいた、初めてこの思想を思いついた人間は私だ。

 世の中にあることは全て、誰かが先に思いついている。先祖の知恵。私たちは自分の意志で選択をする権利を持っている。そして実際に選んでいる。だけど、それは自由ではないんだ。気づいたんだ。だいたい、意志を決定する前に何かがあって、人の意見だったり、価値観だったり、又は環境だったり。それらの働きかけによって、私たちは無意識のうちに操られている。そのことに気づいてしまった。ただの人形に、私はなりたくない。

 それで考えていくと、私のこの、自殺しよう、思想の先を果たそう、という意志は、私の意志ではないかもしれない。しかし、もしそうだとしても、良いと思った。

 誰かに影響にされたのではない。この思想は、私自身がひらめいたんだもの。生を授けた時からある、しがらみというものが、私は嫌いだ。縛られているのが、嫌だ。でも、この思想を実行することで、それから逃れることができる。今まで、誰も成し遂げられなかったことだ。真の意味で自由になれるんだ。

 神になる。初めての者にだけ、悟りを開いた者にだけ、許される特権。私は神になれる。この世界での、真の自由を手に入れられる。

 世界とは個人だ。私が世界の中心だ。

 あなたは、分からなくて、いい。分かる人が分かる、それだけで、いい。

 理解されようとか思ってないんだ。

 道化して、演じて、色々と考えていたら、もう、屋上についてしまった。

 徒歩20分。時間通りに着けた。私に鍵を渡した友人の言葉通り、屋上への扉も開いた。

 私の話を理解できる人は、彼しかいないと思う。昔からの知り合いで、とにかく彼は、話が分かる人だった。

 私がこの悩みを打ち明けた時も、真摯な態度で聞いてくれた。どんなに長く語っても、彼は頷くだけで、否定をしなかった。全力で、私のことを応援してくれた。

 恐怖は、全部捨ててきた。怖いことは、もうなくなった。

 手ぶらの、衣服を纏っているだけの身体を、前進させる。

 手足が、震えている。かつてないほどに、震えている。

 私は、幸せというものを、上手く咀嚼することができなかった。意味を見出せなかった。価値を見出せなかった。難しく考えなければ、よかったのか。馬鹿だったら、よかったのか。無知だったら、よかったのか。真の自由を求めなければ、よかったのか。マリオネットみたいに劇場の中で囚われるだけで、よかったのか。

 分からない。

 パパ、ママ、ごめん。こんな娘で、ごめん。こうなってしまって、ごめん。

 私の友達、大好きな友達、仲良くしてくれてありがとう。とても、楽しかった。本当に、ありがとう。私の話を聞いてくれた君も、ありがとう。

 私は、私の道を行くよ。

 覚悟はもう決めた。全てを、吐き出したから、もう大丈夫だ。

 体の震えが止まらない、疲労している時に目がピクピクと痙攣する時のように、自分の意識で止めることができない。

 いや、これでいいか。心が、大事だ。生理的な現象は関係ないのだ。精神が怖くないと思うなら、それでいい。恐怖心がない。死ぬのが、怖くない。怖くない。むしろ、嬉しい。ああ、嬉しい。

 心底から望んでいる。

 Kill My Self.

 私は死ぬ。自由になって、神と成る。

 その瞬間、彼女は間違いなく、世界で一番、強かった。そして、世界で一番、美しかった。過飾ではない。本当に、世界一だった。信念という火種だけで、燃えていた。全てを、それに捧げていたから。

 足の速さは、間違いなく、過去の彼女を超えていた。世界記録を出せそうなくらいに、速かった。

 姿勢を崩さずに、真っ直ぐ走って、突き進んで、そして、飛んだ。

 満天の星が見れる綺麗な夜空だった。

 私の人生に、不幸と呼べるものは何もなかったかのように、今という時間が至高に楽しいかのように。

 その瞬間、彼女は確かに飛んだ。空を飛んだ。鳥のように、空を飛んだ。虚偽ではない。本当に、飛んだ。称えよ。

 自由だった。何にも、囚われていなかった。彼女は、自由だった。

 この世の悪について何も知らない、百合のように粋で、愛らしい、少女のように。

 笑った。

 人生で一番、いい笑顔だった。

 数秒の、静寂。 

 大きくもなく、小さくもない、魂の奥に響くような、そんな渋い音が、辺りに響いた。

 世界は相も変わらず、廻っている。

 彼女が神になったかどうか、その行方は、誰も知らない。

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