第6話 幼馴染の様子がとてもとてもおかしいんだが……

 突然、真衣の様子がどこかおかしくなった気がする。

 

 いや……さっきからずっと変なのだが、今はさらに目がどうも妖しげというか……。

 

 そ、それよりも……こ、この状態は……色々とマズすぎる。

 

 なにせ手を握られただけで、既に俺の脳はこの異常事態を処理するために、限界寸前だった。


 そもそも、俺の脳は女子に密着されるという状況を適切に処理できるスペックなど持ち合わせてはいない。

 

 そこに真衣が体ごと俺に密着させてきたのだ。

 

 しかも、真衣は俺の胸元に顔を押し当てて、何やら俺の匂いをかいでいるような仕草をしている。


 当然の帰結として、俺の脳はもうこの状況を前にしてオーバーヒートをおこしてしまう。

 

 と、というか……俺の匂いって……そ、そんなに……俺は臭いのか……一応毎日シャワーは浴びているんだが……。

 

 し、しかしそれにしては真衣の顔は嫌な顔どころか……とても幸せそうというかなんか恍惚感に酔っているような——。

 

 い、いや……そもそもなんで真衣はこんなことを——。


 頭に色々な考えが湧いては消える。


 しかし、マトモに考えられたのはそこまでであった。


 『ぐにゅぅ』とした感触があった、


 ……薄手の制服越しに真衣の大きく柔らかい胸が俺の体に当たっている。


 そのことに気づいた瞬間、俺の理性をつかさどる脳の機能は大幅な低下を余儀なくされた。


 俺は思わず真衣を見る。


 真衣は恥じらい気味に先ほどよりも顔を紅潮させて、俺の方を上目遣いに見ている。


 その大きな目は潤んでいて、どこか呆けたような顔をして、口元はわずかに半開き……


 真衣のその表情はどうしようもなく妖艶に感じられた。


 俺の脳がフリーズ……理性が完全に消滅する……まで5秒前——。


 と、そこに邪魔が……いや救いの手がやってきた。

 

 昼休みの終わりを告げるチャイムがこだましたのだ。


「え、えっと! あ、あの! そ、それじゃあ……お、俺はここで……」

 

 俺はあわてて真衣から体を離す。


「あ……ま、待って……唯」


 と、真衣が呼び止める声がして、反射的に俺は真衣の方にチラリと顔を向けてしまう。


 真衣の長い黒髪が俺の鼻先をフワリと舞う。


 その瞬間、懐かしい香りがした。


 同時にその匂いは俺の過去の記憶を蘇らせた。


 それは良い記憶と悪い記憶の両方だった。


 真衣が無邪気に俺に微笑んでいる姿。


 それと……三年前に俺が家族に見捨てられた時の情景……。


『あなたはもう家族じゃないの。さっさとこの家から出ていきなさい』


『ああ〜本当にせいせいした! これであんたみたいなキモいガキと顔を会わさなくていいんだから』

 

 人というやつは良い記憶よりも悪い記憶の方が鮮明に覚えている。

 

 そして、俺の脳もまた同様であった。


 あの時と変わらないその大きな目を潤ませて、せつなそうな顔をしている真衣。


 だが、俺の脳裏には真衣の顔ではなく、あの人たちの醜い顔が浮かんできて——。


 俺は思わず心がズキリと痛む。


 俺は忌々しいその過去の記憶を頭から振り払おうとした。


 そして、思わず強い口調で真衣に向かって言ってしまった。


「も、もう俺には関わらないでくれ」


 気づいた時にはそんな言葉を真衣にかけてしまっていた。


 真衣の顔をあえて見ずに俺は旧校舎の廊下を逃げるように後にした。


 先程と違って、俺の心は晴れやかどころか、ずっとモヤモヤしていた。


 途中トイレによって、洗面所で顔を洗う。


 少し頭を冷やしたかった。


 真衣が俺をはめようとしているにしても、あの態度は大人気なかったな。


 あの人たちと真衣は関係ないのだから。


 あれでは単なる八つ当たりだ。


 やはり、俺はあの人たちのこととなると未だに冷静ではいられないのか。


 全く情けない話だ。


 いつまでも過去をひきずっていても仕方がないというのに……。


 一応真衣に謝った方がいいか。


 いや……あそこまで言ったんだ。


 真衣も俺のことをからかうことができないとわかっただろう。


 だから、真衣も俺のことなんてもう気にもとめなくなったはずだ。


 昼休みが終わる少し前、俺は教室に戻った。


 いつものように、特に誰も俺のことを気にする者はいない。


 幸い朝の出来事は完全になかったこと……俺が言ったように、真衣の誤解……ということになっているようだ。


 人はたいてい自分の都合の良いように現実を改変する。


 記憶だって曖昧で、その現実にあわせたものに無自覚に改ざんする。


 イジメをしていた人間が、イジメていたのではなく、ただ仲が良かっただけ……などと本気で言うのもそのためだ。


 要するに俺みたいな陰キャボッチが目立つようなことはみんな望んでいない。


 そして、人が望むその現実に適合するように事実もまたそう記憶される。


 だから、俺の無理筋の説明でも、みんないとも簡単に納得したという訳だ。


 まあ……少々複雑な感はあったが、俺の望むところでもある。


 俺はクラスメイトたちの反応を横目に見ながら、自分の席に座る。


 教室には、いつの間にか真衣も戻ってきていた。


 むろん真衣の周りには俺とは対象的に多くのクラスメイトたちが集まっていた。

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