【第1章】第14話

 

 ───ゴブリンを供養する。


 この言葉に対して、ノーザン村長は眉をひそめて嫌な顔を見せた。


 当然だろう、あのような連中を供養する義理などないどころか、村長やグリンにとってゴブリンは家族の仇なのだ。

「それはどういう…。いや、まずは理由を教えて頂けますかな?」


 村長が口を開く。

 こうやって理由を訊ねてくれるのは、十郎をある程度信用してくれているからだろう。

「へい…、ゴブリンとやらは妖怪や物怪の類いかと思いやして…。ああいう手合いはキッチリと供養し、その魂を冥府にいる閻魔様の元へと送ることが大切だ…と、そういう話を聞いたことがござんす」



「初耳ですな…。その、閻魔様というのは?」


「…簡単に説明しやすと、閻魔様という方は魂を裁く者でござんす。しっかりと地獄へ送り、そこに魂をとどめて出さぬようにする方であると、あっしの故郷で聞いたことがありやして、この国では関係がないかもしれやせんが…」


「うぅ…む…。少なくともワシはそのような話を聞いたことは…」

 ノーザン村長は腕を組み、考え込むと。少しの間を挟んで言葉を続けた。


「やはりゴブリンを供養するというのは…どうしてもできませんな…、すまないが」

 村長の気持ちは分かる、仮に十郎が村長と同じ立場なら、供養などしたくないだろう。


 よそ者にこんな提案をされ、村長も嫌な気分になっただろう。それこそ十郎が村長に殺されても文句が言えないくらいには。


「こちらこそ、変なことを言い出して、申し訳ござんせんでした…」

 十郎は深々と頭を下げる。思いつきだけで口走ったことを後悔した。


 この国に来て、物怪のような生き物を目の当たりにし、地獄の閻魔様も存在するかもと安易に考えてしまったのも原因の一つだった。


「まぁまぁ…。頭を上げて下さいジューロさん、ワシらの為に考えてくれた事なんだろう?気にしてはいないさ」

「め、面目ねぇ…」


 村長の優しさが十郎には痛かった。こちらの不手際なのに、逆に気を遣わせてしまったからだ。


「ま、供養というワケではないが。死体を放っていても病気の元になるかもしれんからな…、埋め立てるぐらいはするさ」

「…であれば、あっしにも手伝わせてくれやせんか?変なことを言い出した御詫び…ってワケではありやせんが」


「ハハ、そうか。それは素直に有難いが…、お連れさんには相談しなくても良いのかな?」

「ぬあ…、確かにその通りでござんすね。あとでリンカさんにも相談して参りやすんで」

「ハハハハ!いや、無理はしなくていい。その気持ちだけで嬉しいものだ」


「…もう少し滞在する事になった時は、いつでも手伝いやすので、声を掛けておくんなせぇ」

「ふぅむ、その時は頼らせて貰うよ。ありがとうな」

 出会った頃とは違う、穏やかな顔で村長は返してくれた。


「…あ、そうだ村長さん。話は変わりやすが、お訊きしたいことがありやして」

「ん?なんですかな?」


「あっし、日ノ本という国を探しておりやして…。村長さんなら、なにか知らないかなと…」

「日ノ本…?」

 その言葉に一瞬、反応したように見えた。


 村長は頭を捻って思い出すように考えている。ひょっとしたら何か知ってるのかもしれないと、十郎も期待を膨らませた。


「…やはり、聞き覚えがありませんな」

「さ、左様でござんすかぁ…」


「力になれなくてすまないジューロさん。…何故その国を探してらっしゃるので?」

「いや、実はあっし、船旅の途中に海へ放り出されて、この国に流れ着いた次第で…。今は遭難している真っ只中というかなんというか」


「そうでしたか…、それはまた災難でしたな…」

「まぁ、命あるだけ儲けものでござんすよ。ぬはははは!」


 二人でそんな会話を交えていると、ピィスが十郎達の元へとやってきた。

「じいちゃん、ジューロさん!薪は準備したよ」

 用意が終わったらしく、こちらを手伝いに来てくれたようだ。


 そこからはピィスの手も借り、三人掛かりで風呂の水を溜めていく。


 三人もいると、その作業は順調に進み、お風呂の水も溜め終わろうとした頃になると、リンカとソラがお風呂場にやってきたのだった。


「あ!良かった、みんないた」


 リンカの明るい声が聞こえ、三人とも顔を向ける。

「リンカさん…と、ソラさんじゃござんせんか」

「二人とも、お風呂はもう少し掛かるよ?」


「どうかされましたかな?何かありましたか?」

「あっ、いえ…魔法で火だけでも入れようかと思って。少しお手伝いに」


 その言葉に、村長が少し心配そうな顔を見せた。

「助かりますが…あれだけの魔法を使った後ですし、疲れてはおりませんかな?」


「大丈夫です!それに、魔法を使うのはソラちゃんにやってもらおうと思ってますから」

「えっ!?ソラが?魔法を!?」

 リンカの発言にピィスが驚き、村長も同じく驚いたような感心するような表情を浮かべている。


「う、うん…。リンカちゃんに魔法を教えて欲しいってお願いしたの」

「そ、そうなんだ…?でも僕ら獣人って魔力がほとんど無いって聞いたことがあるけど…」


「リンカちゃんに私の魔力を調べて貰ったんだけど、私は魔力が高いから使えるかもって…」

「そうなの!?」

 ピィスがリンカに訊ねると、リンカは頷いて返した。


「どんな種族だって個人差はあるもの、調べて分かったけどソラちゃんの魔力量は凄いよ」

「へぇ~…あっ!それなら僕も調べて欲しいな!出来る?」

 ピィスも魔法に興味があるようで目を輝かせている。

 十郎もその気持ちは分かる、出来ることなら自分も魔法を使ってみたいとも思ったからだ。


「じゃあピィスくんも調べてみよっか!」

「いいの?やったぁ!」


「あ、あの~リンカさん…。あっしも魔法が使えるかどうか、調べてもらって良ござんすかね?」

「…えっ?…もちろんっ!いいですよ」

 一瞬リンカは意外そうな顔を見せるが、快諾してくれた。


「おぉ、ありがとうござんす!」

「では!早速ですけど、二人とも私の手を握って下さい」

 リンカがそっと両手を十郎達の前に出す。


「えーと、これでいい?」

「こ、こうでござんすかね?」

 ピィスが握手するようにリンカの手を握るのを見て、十郎もそれに倣い、彼女の手に触れる。

 しかし、その手は…華奢な指と繊細で透き通るような肌が相まって、壊れてしまいそうに思えて。


 十郎は手を握ることができず軽く手を添えるだけに留めた。

 二人の手が触れると同時にリンカは目を瞑る。

 繋いだ手が少しだけ光に包まれ、少しの間を置いて光が消えるとリンカが目を開けると、申し訳なさそうに目を伏せた。


「ええっと、二人とも魔力は…ごめんなさい。無いみたいです…」


「そ、そっかぁ…やっぱりないのかぁ…。ん~残念」

「む…?その魔力とやらが無いと、やはり魔法は使えねぇんで?」


「はい…。ごめんなさい…」

「リンカさん、謝るとこじゃござんせんよ。無いものは仕方ありやせんから…なぁ?ピィスさん」

「そうそう!魔法が使える人の方が珍しいんでしょ?…それよりも僕は、ソラが魔法を使うところ見てみたいな?」


「あ、えっと…」

 ピィスに期待の眼差しを向けられ、ソラが少したじろぐ。

 そんな様子を村長も少し楽しそうに見ている。

「ハハハ!…ではソラに火起こしを頼んでみましょうかな?…頑張りなさい、ソラ」

「…は、はいっ!」

 村長が激励すると、ソラは元気よく返事をした。


「じゃ、ソラちゃん行こっか!」

 ソラとリンカが炉に移動すると十郎達もぞろぞろと付いていき、三人は炉の前にいるソラを囲むように立つと、その様子を覗き込んだ。


「あ、あのぉ…みなさん?あまり囲まない方が…ソラちゃんが集中できないかも…」


「むむ?邪魔でござんすかね?」

「え?でも僕はソラが魔法を使うとこ見てみたいし…」

「そりゃあワシも…応援というか」


 リンカが十郎達を呆れたように見ると、眉間に指を当てて軽い溜め息をついた。

「はぁ~…っ、もうっ…。少なくともジューロさんは何度か見てますよね?」

「確かに何度か見てはおりやすけど…」


 王都に向かう道中、野宿したりする時にもリンカには魔法をよく見せて貰っていた。

 十郎は単純に魔法を見るのが好きなのだ、あの不思議な現象は心が踊る。


「リ、リンカちゃん!私は大丈夫だから…教えて?」

「そ、そう…?じゃあ、私の言うようにして?…まずは、えぇっと…。これがいいかな?」

 リンカが炉に入っていた可燃物の中から、細い枝を取り出すと、それをソラに渡す。

「この枝の先端に向けて、ロウソクに火が灯るようなイメージを重ねてみて?」


「ん…!」

 ソラは枝を握ると、それを真っ直ぐに見つめて集中し始めた。

「そのイメージを保ったまま心の位置、えっと…心臓かな?…その心臓の鼓動と合わせるように、心の力を心臓から腕、そして手を通して、そのリズムを枝先まで送り込むような…」


 そこまでリンカが言ったと同時に、ソラが持っている枝先にポウッと火が灯った。

「で、できた…のかな?見て、リンカちゃん!」


「ええっ?もう!?」

 リンカが目を丸くして驚く。

「じゃ、じゃあソラちゃん。火のついた先端に小さな風が火を丸く包むようなイメージをしてみて…?出来る?」

「う、うん!」


 リンカの指示通りにソラがイメージすると、枝先に灯った火が球体になり、辺りを照らすように灯りが強くなる。

 それを見たピィスは感嘆の声を上げた。

「わぁ…綺麗だねぇ…」


「ほんと凄いよソラちゃん!私なんて最初お母さんに習いたての頃は…火を灯すだけでもすごく時間かかったし、大変だったのに」

 教えていたリンカ自身も驚きを隠せない様子だった。


「ほんと?でもリンカちゃんの教え方が上手だからじゃないかな…?」

 ソラが照れたように答える。


「えへへ~、そうかな?ありがとソラちゃん!じゃあ、そのまま火を入れよっか!」

「うん!…あの、あのね?リンカちゃんにお願いがあるの…」


「なぁに?」

「この村にいる間でいいから、私に色んな魔法を教えて欲しいな…って」


「え、え~っと…」

 リンカが何か言いたげに十郎を横目で見る。

 十郎は故郷の手掛かりを探す為、王都へ向かっている最中で、リンカはその道案内をしてくれていた。


 ここに滞在するのが長引くほど、王都への到着が遅れて迷惑になるのでは──?などと…リンカの事だから、そのように考えているのかもしれない。

「そうでござんした!話に割り込んで申し訳ねぇんですが…リンカさんに、ちと相談がありやして」


「え?私にですか?…なんでしょう」

「あっしは少しの間、この村で休みたいんで…。良うござんすかね?許されるのであればですが…」

 この言葉に嘘はない。


 今日の戦いで…リンカに怪我を治してもらったとは言え十郎も消耗したし、何よりリンカにも改めて休んで貰いたい。


 それに十郎にも村長達の手伝いが出来る時間も生まれるし、都合が良いと考えてのことだ。

 そう伝えるとリンカの表情もパッと明るくなる。

「そうですね!そうしましょうジューロさん!ソラちゃん、私が教えれる魔法は少ないけど、それでも良ければ…」

「ほんと!?ありがとう、リンカちゃん!」

 ソラはとても嬉しそうにして、思わずリンカに抱き付いた。


「じゃ、火の番は僕がしておくからさ、皆は休んでてよ。沸いたら呼びに行くから!」

 ピィスが炉の中に薪をくべながら言う。


「では、後のことはピィスに頼むとするかな…。それではジューロさん、リンカさんも、良ければ部屋を用意するが…」

「…では、あっしは有り難くお言葉に甘えさせて頂きやす」

「うむ、分かった。…リンカさんはどうするね?」


「えぇと私は…、迷惑じゃなければソラちゃんと一緒がいいかなって」

「ふむ…?ソラもそれでいいか?」

「うん!」

「ハハハ、良い返事だ。ではリンカさんのことは、ソラに任せるとしようか。さてと…ジューロさん、部屋に案内しましょう。付いてきてくれますかな」


「かたじけねぇ、ちと申し訳ねぇんですが、詰所で干してた着物を取って参りやすんで…」

 十郎が着物を取りに行く旨(むね)を伝えた時。リンカが思い出したように、十郎に話し掛けた。

「あ!ジューロさん、それなら私が洗濯しておきました!」

「ぬ?…えっ!?」


「ほら、雨でびしょびしょって言ってたでしょ?ですから取りに行って、ちゃんと洗っておきました」

 凄まじく手際が良い、十郎達がお風呂の準備をしている内にやってくれていたようだ。


「そいつは、ありがとうござんす!じゃなくて、…えぇっと」

 知らない内にまた借りが出来てしまった。

 リンカからの厚意は素直に嬉しいが、十郎は何も彼女に返せていないことが気になって仕方がない。


 十郎が困惑しているのをよそに、リンカは話を次に進めていく。

「あっ、ジューロさん!ピィスくんも、お風呂に入るときでいいですから、後で服を渡してくださいね?」


「む?なにゆえ??」

「えっ?僕も?」

 ピィスも十郎と一緒に呆気にとられ、ぽかんとする。

「お洗濯です、お洗濯!私とソラちゃんでそれも洗いますから!」


「いや、しかし…」

「ほらぁ、また遠慮する!さっきジューロさんも誰かを頼るように言ってたじゃないですか?」

「いや、それとこれとはまた別でしょう…?あと、あっしはこれ渡したら着替えがないのでござんすが…」

 その十郎の一言に「あ、そっか…、どうしましょう?」と、リンカは頭を捻った。


 リンカの申し出は本当に有難いし嬉しいが、着物くらいは自分で洗えるし、彼女には休んでいて貰いたい…。


 十郎の着物は汚れてはいるが、今日はこれで過ごすしかないと元々考えていたし、それに気を回して貰うのも申し訳ない気持ちになる。

 そんな十郎の考えなどは知るよしもない村長が、十郎にある提案をしてきた。

「…ではジューロさんに、グリンの服でも貸しましょうか?」


「ぬ?いやしかし、それはグリンさんに迷惑では?」

「ハハハ、大丈夫!グリンにはワシから説明しておくよ、それにグリンも嫌とは言うまいて」


 村長の言葉を聞いたリンカは、顔がパッと明るくなる。

「じゃあ決まりですね!洗濯桶を脱衣所に置いておきますから、二人ともそれに入れておいて下さいね?…洗い物は全部ですよ?」

 リンカに強く念を押され、十郎とピィスは少したじろいだ。


「う、うん!分かった!」

「うぐ…ぅ。では…申し訳ねぇが、ありがたく頼らせて頂きやす。リンカさん、ソラさんも…あっしに出来ることはありやせんかい?遠慮なく申し付けておくんなせぇ」

 世話になりっぱなしも性分に合わない。


 何か十郎にも出来ることはないだろうかと思って訊いてみたが、リンカには「ん~…今は、特にないです!」と、キッパリと言われ。ソラには「あの、気にしないで下さい、大丈夫ですから」と、気を遣われてしまった。


「さ、左様か…」

「あと、これも!よかったら使ってみて下さい」

 リンカは十郎に、手の平に納まるくらいの四角く白い塊を渡してくる。それから花のような良い香りがした。

「うむ?…こいつは一体?」

「石鹸ですよ、ピィスくんと入るとき一緒に使って下さいね?」

「石鹸…?…ぬぁ!?シャボン!??」


 十郎はこの国に来てからだが、聞いたことの無い言葉でも、不思議とそれを理解してしまう。

 石鹸とは、所謂シャボンであり。そして、そのシャボンというのは江戸時代においては高級品なのだ。

 少なくとも十郎のような、渡世人がお目にかかれるシロモノではない。


「高級品じゃござんせんか…」

「え?高級品…?ただの石鹸ですよ!それにこれ、私の手作りですから。大したものじゃなくて…」


「ぬぅっ!?…つ、作ったのでござんすか!?」

「え、えぇ…そうですけど…」

 そう言えばシャボンとやらは医療品とか聞いた覚えがある。


 リンカは薬を持っていたり、イゼンサ村では怪我を負った村人を看護をしていたこともあった。

 それを考えると、リンカは医者だったりするのだろうか?…作れても不思議じゃないのかもしれない。

「申し訳ねぇ、取り乱しやした。こいつはどう使えば…」


「大丈夫!僕が知ってるから教えるよ!」

「そうなのでござんすか?助かりやすピィスさん」

「うん!じゃあ、お風呂に入る時にはその石鹸を持ってきてね!」

「承知しやした、その時はよろしくお願いしやす」


 十郎達の話がまとまるのを見届けた後、村長が改めて部屋に案内してくれることになった。

「ではジューロさん、部屋に案内しときましょう。ピィス、風呂が沸いたら先にリンカさんに声を掛けるのだぞ?」

「わかったー!」


 火の番をピィスに任せて、それぞれが屋敷やソラの小屋へと戻っていく。


 その後リンカ達が入浴を終わると、入れ替わりでピィスと十郎が風呂へ入り、初めて十郎は石鹸というものに触れることになった。


 風呂に入った際、ピィスに聞いたのだが。


 森へ入ったソラを追跡することが出来たのは、どうやらこの石鹸に含まれる匂いのお陰だったようで。ピィスはリンカに対して大いに感謝し、そしてそれをリンカに伝えると…彼女は照れくさそうにしながらも、顔を綻ばせて喜んだ。



 夜も更けてきて、長い一日が終わりを告げる頃。

 グリンがようやく一仕事を終えて、屋敷へと帰ってきた───

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