【第1章】第10話

 

 長脇差を構えると、ゴブリン連中が十郎に向けて投石を開始した。


 物狂のような連中にしては、ずいぶんと堅実な戦い方をするものだなと感心してしまう。


 十郎は頭部を重点的に庇いつつ、投石を横へ横へと回避した。

 ゴブリンと相対したが、正直なところ連中と真っ向から戦うつもりは毛頭ない。


 目的は、ピィスがソラを助ける為の時間稼ぎ。ゴブリン共の注意を此方に向けさせ、その手助けをすることなのだ。


 十郎は、この下層に飛び込みながら周囲の状況と物の配置を…、ある程度ではあったが把握していた。


 ゴブリンの集まっている広場には、祭壇を中心に石畳が敷き詰められており、石畳の床には奇っ怪な紋様が描かれている。


 ソラが縛られ置かれた祭壇の前には、不気味な念仏を唱え続けるゴブリンがいた。

 そいつが執り行っているのは、何かの催事か儀式のようなものだろう。


 その周囲には篝火、そして樽や壺が隅に並べられており、これらがゴブリンによって用意されているモノである事は、何となくだが察せられた。


 十郎は投石を避けつつ、樽や壺の積まれた場所へと逃げ込むと、樽の一つに手を伸ばした。

 防壁代わりにする目的もあったが、ゴブリンに対し、嫌がらせを仕掛けるのが狙いだ。


 樽を持ち上げると、中にはドプリと大量の液体が詰まっていることが分かるが、十郎はそれを軽々と持ち上げた。


 異国に流れ着いてから、力が強くなっていることに自分でも気付いていたが、今はどうでも良い、使えるものは何だって使って生き残る。


 十郎は積まれた樽を、次々のゴブリンの密集場所に投げつけた。


 狙いを付ける必要はない、当たれば御の字、当たらなくとも連中を散らす事が出来ればそれで良し。


 十郎が投げつけた樽によって、運良く数匹のゴブリンがグチャリと潰される。

 そして投げつけた樽が砕けると、中から黒ずんで濁った液体が当たり一面に広がった。


 強い錆の臭いがする───


 どうやら樽の中身は何かの血液だったようで、それがブチ撒かれると、石畳の上に描かれた奇妙な紋様を塗り潰した。


 それに気付いた数匹のゴブリンが慌て出し、投石の手がわずかに緩む。

 その慌てぶりを見て思った。

 どうやら連中にとって、樽か紋様か…もしくはその両方が大事なモノのようだ。


 ならば、ありがたく…。存分に利用させてもらう。


 投石の手が緩んできたのを見逃さず、今度はしっかりと狙いを付けて、不気味な念仏を唱え続けるゴブリンに向かって樽を投擲した。


 しかし投げつけた樽が、そのゴブリンに到達することはなかった。


 投げつけた樽が…何か見えない壁にぶつかるように、ガツンと音を立てて空中で弾かれたからだ。


「──ぬうっ!?」

 十郎はこの不可解な事象に一瞬驚くが、すぐに頭を切り替える。


 少なくとも他のゴブリン連中は混乱し始めているし、このまま暴れ続ければ否応なく、こちらに注目せざるを得なくなるだろう。


 十郎はゴブリンに向け、今度は壺を投げつけると同時に、集団へと突っ込んで行く。

 壺を掴んだ時にチラリと見えたが、中身には何かの骨が詰まっていた。


 それが一匹に直撃し、バリンという音を上げながら壺が割れ、中身の骨が炸裂するとゴブリン連中に骨が突き刺さる。


 決して狙った訳ではないが、思った以上に効果があったようでゴブリン連中の一部が怯んだ。

 そこに向かって十郎が斬り込んでいく。


 姿勢を低くし、一匹のゴブリンに狙いを定めて首を切り落とすと、その頭部を蹴り飛ばして攻撃に利用する。


 散り散りになったゴブリンの一部が、相変わらず投石を続けているが、集団に混ざる一人に対しては効果が薄く、同士討ちも起こっていた。


 騒ぎが大きくなる中、あの不気味な念仏が止んだことに気付く。

 十郎が祭壇の方へ視線やると、あの念仏を唱えていたゴブリンが十郎に怨嗟の形相を向けていることに気付き、一瞬だけ視線がかち合う。


 次の瞬間、そのゴブリンが怒声を上げた。

 これまで混乱していたゴブリン連中が徐々に平静を取り戻し、動きが一変した。


 投石がピタリと止み、統率の取れた動きでこちらを囲もうとしている。

 しかも後続にいるゴブリンは動かず、無駄な体力の消耗を抑えているようにも見えた。


 どうやら…ヤツが首魁で間違いないようだ。

 あの一瞬で指示を飛ばしたのだろう、十郎にとって嫌な動きになっている。


 単純だが、多対一では背後を取る動きをされるだけで面倒くさい。

 十郎は動き回りつつ、篝火を蹴り飛ばし、時には地べたを転がり、砂を掛けながら…不恰好でもゴブリンの動きを牽制し続けた。


 それを続けて幾ばくか。

 祭壇の方を確認するとソラの姿がそこから消えていた。


(やり遂げやしたね、ピィスさん…!)


 十郎はピィスがソラの救出に成功したことを確信したものの、それと同時に首魁のゴブリンが消えている事にも気付く。


 十郎は胸騒ぎを覚え、上層に向かう階段に視線を移すと、そこにはピィスとソラが数匹のゴブリンに追われている姿があった。


 どうやら勘づいたゴブリンもいたようだ。このままではいずれ追い付かれる。

 そう思った十郎は、長脇差を鞘に納めると、下層にいるゴブリン連中に背中を向け、一目散に逃走し始めた。


 そして、ピィス達のいる場所へと向かう為、真っ直ぐに急勾配を駆け登っていく。

 ゴブリンもその後を追おうとしたが、十郎が駆け登る時に崩れた瓦礫が邪魔をして、立ち往生することになった───



 一方、ピィス達は階段を駆け上がり続けていた。


 ソラを祭壇から助け出した所までは良かったものの、階段を封鎖しようしていたゴブリンに見つかってしまったのは不運という他ない。


 今のところ追い付かれずにはいるが、それも時間の問題だった。

 もうすぐ上層にたどり着く…そう思った時、ゴブリンにいよいよ追い付かれそうになる。


 ピィスはソラの少し後ろを走りながら、いつでもゴブリンを足止めする覚悟を決めていた。


「ソラ!そのまま逃げて!!」


 ピィスがそう叫び、ゴブリンの方へと向き直る。

 体当たりでも何でもいい、道の限られた階段なのだ。この狭い場所なら、上手く行けばドミノ倒しのように巻き込んで落とせるかもしれない…!という考えもピィスにはあった。


「ピィスくん!!」

 ソラが悲鳴にも似た声を上げて、思わず立ち止まる。

 ピィスがゴブリンに対して飛び掛かろうと踏み込む姿勢を取った…その時だった。


 階段の横、崖になっていると言ってもいいその場所から、一つの影が飛び出してきた。

 十郎が急勾配を登ってきて、追い付いて来たのだ。


「ピィスさん、そいつぁカッコいいが──」

 十郎はそう言うと、ピィスに迫ろうとしていたゴブリンの横っ面に拳を叩き込み、そのまま階段の角になっている部分に叩き付ける。


「皆で一緒に帰るんでござんしょう?」


 更に叩き付けたゴブリンを、追ってきているゴブリン衆に向けて蹴り飛ばし、一時の時間を稼いだ。


「ジューロさん!!」

 ピィスが驚きとも、喜びとも取れる声を出す。


「じゃあ、とっとと…ずらかりやしょう!」


「うん!」

「は、はい!」


 ピィス達と合流し、共に階段を駆け上がる。

 十郎は、階段の途中に点在していた瓦礫の積もった箱を、ひっくり返しては通路を塞ぎ、足止めを試みながらもピィス達に付いて行く。


 そして上層に到達し、ここに入ってきた坑道の前まで来たのだが…。


「ぬぅ、これは…」

 坑道は来た時とは違い、真っ暗になっていた。


 十郎とピィスが来た時は松明の光が灯っていたはずだが…。それが消され、坑道は闇に包まれている。

 まさか、連中に先回りされたのか?


「僕が何とか臭いで…案内するよ、時間が掛かるし、あまり自信はないけど…」

 それを見たピィスが提案してきた。


 待ち伏せされている可能性もあるし、出来ればピィスには臭いで警戒の方に集中して貰いたかったのだが、今はそれしか方法が思い付かない。

 ピィスに負担は掛かるだろうが…。


「…あのっ!わ、私なら暗闇でも目が利くんです」

 その時、ピィスの提案に割って入ったのはソラだった。


「だから、私が二人の目になります。そもそも私が勝手に森に入ったせいだから…」


 十郎はふと、リンカの言葉を思い出す。

 確か、獣人は鼻が利いたり、夜目が利いたりする…と言っていたか。


 その言葉は確かなものだったし、信用できるものだ。実際にピィスやグリンの能力をこの目で見ている。


「ふむ、ではソラさん…頼らせて貰いやす」


「う、うん!じゃあ、二人とも…手を」

 ソラがピィスと十郎の二人と手を繋ぐ。…その手は微かに震えていた。


 その手をピィスと十郎がそっと握り返すと、ソラの震えが徐々に治まってゆく。

 勇敢な子達だと、十郎は思った。


「…ぶつかりそうな場所があったら教えるから、信じて付いてきてください!」

「もちろん!」

 ピィスが良い返事をした後、十郎もソラに頷く。


「さて、後は道順でござんすが…」

「じゃあ、それは僕の役目だね!出口までの臭いは覚えてるし、ソラが見てくれるなら…臭いで警戒することにも集中できるよ!」


「うむ!すまないが、お二人が頼みの綱でござんす。よろしくお願い致しやす」


 情けない話だが、十郎は役に立てそうになかった。

 それを申し訳なく思いつつも、今はこの勇敢な子供二人を信じて進むしかない。


 坑道、その闇の中に三人で足を踏み入れた───


「ソラ、しばらくは道なりで…ゴブリンの臭いがしたら教えるから」

「うん、…あっ、二人とも私に寄って。ここ出っ張っりがある。ジューロさんは少し頭を屈めて…」


「こ、こうでござんすかい?」

「うん、大丈夫。もう抜けたから、後は普通に走ってこ!」


 ソラの指示に従い、十郎とピィスはするすると暗闇の中を進んでいく。

「あっ、道が三つある…ピィスくん、どっちか分かる?」

「ここは…真ん中を進んで!」


「分かった、ここ…足元にレールがあるから二人とも気を付けて」

「うむ!…レールって何でござんすかい?」


「えっ?えっと、あの…えーと…金属の線を繋げた道…?」

 十郎の質問に、ソラが若干困惑しながら答える。


「おぉ!確かに道中お見掛けしやした…あれか!…失礼しやした、あっしの国では見掛けたことがねぇんで、つい」

「ううん、いいよ!別の国から来たなら、知らないことがあってもしょうがないよ」

「面目ねぇ…」


 十郎とピィスは、ソラに言われたように足元を注意しつつ、再び進み出す。


 そして、十郎が暗闇に少しずつ目が慣れ始めた頃、背中から風が吹き抜け始めるのを感じた。


 おそらく出口が近いのだろう。


 結局は坑道でゴブリンと出会うこともなく、順調に抜け出すことができそうだ。

 三人は暗闇の中を進み続けると、ついに出口の明かりが見え始める。

 待ち伏せもなかったし、ここさえ抜ければ…!と、そう思っていた…。


 しかし坑道から抜け出し、外に出た時。十郎は自分の考えが甘かったことを痛感した。


 坑道の出入口…そこから一定の距離を保ち、ゴブリンが周囲を取り囲んで封鎖していたからだ。

「そ、そんな…」

 ピィスが狼狽える…、無理もない。


「…ごめん二人とも、臭いに気付けなかった…、ごめん…」


 臭いで索敵出来たとしても、風は外に向かって吹いていたのだ。その中で気付けというのも難しいだろう、ピィスのせいではない。


「いや、仕方ねぇさ…、何とか切り抜けやしょう」

 十郎は死を覚悟し、ピィスとソラを背後に匿うよう立ち塞がる。


 だが、何かが…おかしいと、違和感を感じた。


 十郎達を殺すだけなら、出てきた瞬間に投石なりなんなりすればいいだけだ。

 しかし、ゴブリン共はそれをしてこなかった…。


 周囲に視線を向けると、ゴブリン連中が投石用の石を持っているのが確認できた。

 じゃあ余計に分からない、何故…仕掛けてこない?


 十郎は頭が足りないなりに、必死で考えた。

 最初に違和感を覚えたのは、ソラが生きていた事…。それ自体がおかしいと感じていた。


 ゴブリンの性質を全て理解した訳ではないが、物狂のような連中が生かしたままにしていることがおかしいように思う。


 と、すれば…ソラを殺せない理由があるのか?


 生きていて貰わなければならない理由が?


 …それが何かは分からないし、この考えが間違っている可能性もある。

 時間はあまりない、グズグズしていると…後方からゴブリンが追ってきていた場合、詰みとなるだろう。


 なら、どうすれば良い?


 突破の糸口を探すべく、十郎は手薄な場所がないかと見渡してみた。

 すると、ある一団に目が留まる。

 下層で念仏を唱えていた、あの首魁のゴブリンが居たからだ。


 あの趣味の悪い…骨の装飾品に赤黒い衣装、見間違いではない。

 姿が見えなくなっていたと思ったが、どうやら先回りされていたようだ。


 そして、その首魁がこんな目立つ場所に姿を見せているのは…。勝利を確信し、こちらを完全にナメている証拠だろう。


 十郎の視線に気付いた首魁のゴブリンは、ゆっくりと一団の前に出てくると…なんと、人の言葉を発し、話し掛けてきた。


「我がコトバは通じるカ?ヒト族、ヨ…」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る