【第1章】第9話

 ───グリンとリンカが子ども達を探しに森へと駆け出し始めた頃。


 十郎とピィスは匂いを辿って森を抜けており、渓谷を展望できる高台へと辿り着いていた。

 雨脚が多少は弱まったこともあり、少しだけ見渡し易くなっている。


 その高台から見下ろせば、集落だったであろう場所が目に入った。

 それは十郎がグリンと行った温泉から更に川下に位置し、渓谷に挟まれ、盆地を形成している場所に在る。


「ピィスさん、どうでござんすかい?」

「えっと、匂いは…あっちに向かってる!」

 ピィスが指で差し示す。


 どうやらソラの匂いは、集落へと続いているようであった。


 集落はというと、過去に焼き払われた形跡が今でも残っていて、ずいぶんと荒んでいる。

 まるで火付け盗賊に襲われた後のような…惨澹たる有り様だったが、ここがかつてラサダ村と交流のあった集落だったことは間違いないだろう。


 温泉でグリンに聞いた話とも合致する。


 そこに目を凝らすと、棲みついているのか…十数匹のゴブリン連中が集落跡地に跋扈しているのが見えた。

 …いや、棲みついているにしては数が少ないか?


 なんにせよ、見付かると厄介な事に変わりはない。

 十郎は身を潜め易いよう、邪魔になりそうな三度笠と振分荷物を高台の出入口付近…。森との境目に隠し、多少身軽にしてからピィスと共に集落の方へと下っていく。


 身を潜めながら集落に近寄っていくと、より鮮明にゴブリンの姿を捉えることができた。

 だが、そこで目撃したゴブリンの行動は、渡世人である十郎ですら閉口するものであった。



 知能はあるが、理性は無い──

 そう判断せざるを得ない連中だったからだ。


 集落に近付いて初めて見たのは、子供と思わしきゴブリンが二匹、小動物の死骸を弄んでいて、死骸を引き裂いたり、臓物を引摺り出したりして遊んでいる所であった。


 …それだけなら、まだマシだっただろう。

 成体と思われるゴブリンが突如その場に乱入し、子供ゴブリンの一匹を、背後から棍棒で殴打したのである。


 後頭部を殴られた子供ゴブリンは倒れて動かなくなったが、その後もゴブリンは執拗に殴り続ける。

 子供ゴブリンの体は殴られる度、ピクピクと痙攣していたが、それは既に絶命しているようだった。

 残りの子供ゴブリンは…何が愉しいのか、その光景を笑って見ている。


 虫の居所が悪かったのか、何か意味があってそうしたのかは見当もつかないが、無意味に思える暴力を振るうことに…まるで躊躇が感じられなかった。


 人間にも、ああいう手合は…いるにはいる。


 だが、そういう連中が表に出てくる事など早々ない。

 だいたいは座敷牢の中か、やらかした後に始末されるかのどちらかだからだ。


 そういう狂った連中が群をなしているというだけで、心底関わりたくないと十郎は思ったが、それと同時に違和感と疑問も湧いた。


 ゴブリンと初めて相対した時、連中は連携を取って戦いを優位に進めていたのだ…。こういう感情だけで動く物怪が、あんな連携を取れるものだろうか?


 …いや、今はそんな事を考えている場合ではないだろう。この惨状を見ていたピィスが口を抑え、吐き気を我慢していることに十郎は気付いた。


「体調が悪いのでござんすかい?」

「へ、平気だよ…臭いに少し驚いただけだから…」


 なるほど、それは無理もないだろう。死臭が酷く、辺りただよっている。

 そもそも見ていて気分のいいものではないし、いくらか慣れている十郎ですら…むせ返りそうな場所なのだ。


 鼻が利くピィスにとっては地獄そのものに感じていても不思議ではないし、何より連中の狂暴性を目の当たりにしたのだ。

 ソラに起こった最悪の事態を想像してしまったかもしれない。


 それでも何とか吐くのを堪えられているのは、ひとえにソラを助けたいという想いの力なのだろう。

 十郎はピィスの背中をさすり、いったん落ち着かせる。


「ピィスさん、酷だとは存じやすが…。ソラさんの匂いはまだ追えてやすかい?」


「う、うん…大丈夫。ちゃんと追えてるよ。でも、あそこを通ったみたいで…」

 ピィスがゴブリン共のいる方向を指差した。


「ふむ…」

 ゴブリン連中は同族同士で平然と殺しをやってのけていた。

 そんな連中をいくらか始末しても、早々に気付かれたりはしないだろう。


 だが、速やかに奴等を始末できる自信は…あまりないし、仕留め損なって仲間を呼ばれたりでもすれば、それこそ一巻の終わりってやつだ。

「見付からぬよう回り込み、そこからまた匂いを探す…って真似は出来やせんかい?」


「…たぶん、出来ると思う」

「手間だが、それで行きやしょう…良ござんすか?」


「わ、分かった」

 ピィスは十郎の提案に乗り、物陰に隠れながらゴブリンを避けつつ、やり過ごしながら回り込むことが出来た。


 これらが上手くいったのは、全てピィスのお陰であった。

 ピィスの嗅覚による索敵能力は凄まじく、ゴブリンの位置や数を正確に把握し、安全な順路を進むことが出来たからだ。


 無事に裏手まで到着すると、ピィスが再び匂いの痕跡を探し出す。

 その匂いは集落の更に奥へと続いていることが分かった。


「ジューロさん、匂いを見付けたよ!こっち!」

 匂いの追跡をピィスに任せ、十郎は周囲を警戒しつつピィスを護衛しながら先へと進むと、集落と隣接する山腹部分までやってきた。


 山肌の岩盤が剥き出しで岩屑がいくつも積み重なっている場所。

 そこを見渡すと、ポッカリと空いた洞窟があった。


 いや、洞窟にしては入口が木材で補強されている。

 それにツルハシ等が打ち捨てられているのを見るに、洞窟ではなく坑道なのかもしれない。


「あの入口に匂いが続いてる…。けど…」

 ピィスの視線の先。坑道の入口に、ゴブリンが三匹たむろしていた。


 見張り…というワケではないようだが、騒ぎ立てられても困る。

 だからと言って、自然と去るのを待つのは悠長すぎるだろう。

「ピィスさん、あの三匹以外にゴブリンが居るかどうか分かりやすかい?」


 目の届く範囲にはそれらしい姿は見えなかったが、念の為、ピィスにも確認してもらう。


「ゴブリンの臭いは…あの三匹だけみたい」

「左様でござんすか…じゃあ、ちと片付けてきやすんで。ピィスさんは少し待ってておくんなさい」


「う、うん…分かった」

 ピィスはそう言うと身を潜めてくれた。


 十郎は物陰から物陰へと隠れながら、ゴブリンへと近付いていく。

 約七間(※約13m)ほどの距離までは近付けたが、そこから先は開けた場所になっていて身を隠すものがない。

 流石に三匹もいると死角も少なく、連中の気を逸らす必要があった。


 十郎は手頃な石を、坑道の入口に向けて放り投げる。


 カンッ…という音が響き、一瞬だけゴブリンの意識をそこへと向けさせることができ、それと同時に十郎は物陰から飛び出した。


 十郎が一気に距離を詰め、一番近くにいたゴブリンに刃を振るうと、絶叫を上げる隙もなくゴブリンの首が飛んだ。


 首が落ちた音で、残りのゴブリンもようやく異変に気付く。


 しかし、その時には既に…、二匹の目の前に十郎がおり、長脇差を振り下ろして一匹を真っ二つに割った所であった。


 その場から逃げようと背を向けたゴブリンの首筋を狙い、一突きにすると、刃が貫通してゴブリンの口から切っ先が出てくる。

 最後のゴブリンが「ガホッ…!カッ……」と、叫びにならない声を上げ、絶命した。


「ふうっ…」

 一呼吸だけ置いて、刃に付いた緑色の血を払い、手甲で拭う。

 十郎は周囲を見渡し警戒するが、ピィスが言っていたように他には誰も居ないようだ。


 ゴブリンの死骸を見付かりにくいよう物陰に隠した後、こちらの様子を伺っていたピィスに向かって手招きをする。


 ピィスは少しだけ恐怖で震えているように見えたが、それでもしっかりとした足取りで、十郎の元へとやってきた。

「ジューロさん、だ…大丈夫?」


「うむ、なんとか。…それよりもピィスさん、ここからは問題がありやして、一つ訊きてぇんですが」

 十郎の改まった態度にピィスが少し身構える。

「な、何?」


「…匂いは坑道の中へ続いてるのでござんすよね?」

「うん…、奥に続いてる…」

「もし、坑道が一本道だと…ゴブリンと遭遇する危険が高まりやす」

 十郎の一言にピィスが思わず唾を飲む。


「その場合ピィスさんの安全が全く保証できなくなりやすが…、如何しやすか?あっしだけ向かう事も出来やすが…」


「ありがとうジューロさん…でも、僕も助けに行きたいんだ!だから、一緒に連れて行って欲しい」

 ピィスは恐怖を乗り越えようとする、良い目をしている。


 渡世人である十郎にとって、それはとても眩しく見えた。

「それに僕と一緒なら、ゴブリンが近付いてきても察知出来ると思う。きっと役に立てるから」


「…承知しやした、頼らせて頂きやす」


 十郎はピィスに軽く頭を下げ、先に坑道の中へと踏み入ると、ピィスの方へ振り返り一言だけ告げる。

「あっしが先に参りやすんで、ピィスさんは少し後に付いて来ておくんなさい」


「う、うん!」

 ピィスが後ろに付いたことを確認すると、慎重に坑道の奥へと進み始めた───


 坑道の内部は思っていたよりも広く、高さは九尺(※約2.7m)程、幅は二間(※約3.6m)程もあり、その天井と壁部分は坑木で固められていた。

 地面には二本の鉄製の棒が奥へと伸びており、その下には木の板が敷かれ列をなし、続いている。


 一定の間隔で、壁には松明が焚かれていたが、それでも中は薄暗く視認性は悪かった。


 坑道の奥へ進んでみて分かったが、どうやら一本道ではなかったようで、かなり入り組んでおり、まるで迷路のような様相を見せている。


 しかし運が良かったのか、ゴブリンと遭遇することもなく、ピィスの手助けもあって、順調に坑道の奥へと進むことが出来た。


 坑道の奥へ進む程、不気味な声が…まるで御経のような、念仏のようなものを唱えていることに十郎とピィスは気付く。


 ピィスが辿っている匂いの終着点と、その不気味な声が響く場所は…どうやら一致しているようである。


 ピィスと共に、不気味な声が響く方へ進んで行くと、坑道の最奥と思わしき場所に出た。


 ──そこには地下へと伸びる大穴が開いていて、底の方は巨大な広場になっている。

 十郎達が出てきた場所からは、その広場を一望できた。


 大穴の壁面には広場へと続く階段が螺旋状に続いている。

 その途中には、瓦礫の積もった大きな箱がいくつか点在していて、その様子から、この場所が元は鉱山であったと察するが、現状すっかり寂れきっていて使われた形跡はない。


 その大穴の奥底にある広場には、何かの骨を組み立てたような祭壇が見え、それを取り囲むように篝火が置かれている。


「ジ…ジューロさ」

「しっ…!」

 思わず声を上げようとしたピィスの口元を押さえつつ、十郎は自分の唇に指を当てて制止した。


 ピィスが声を上げそうになるのも仕方がなかった。祭壇の上には、ソラが倒れていたからだ。


 無事とは言えないが、彼女は生きてそこにいる。


 その祭壇を中心として、扇状にゴブリンが集まっていた…。ざっと見積もって、百匹近くいるだろうか。


 大量のゴブリンの中でも、特に目を引いたのは、祭壇の前で不気味な念仏を唱え続けているゴブリンだった。

 そいつは他のボロを着たゴブリンとは違い、骨で作られた装飾品と、赤黒い衣装を身に纏っている。


 祭壇の上にいるソラはというと、手足を縛られていて猿轡までされていた。

 そして目を凝らしてよく見ると、彼女は恐怖で目を閉じ、震えているようだ。


 さて、問題はここからだ。


 祭壇の前に不気味な念仏を唱えるゴブリンと、大量のゴブリン連中。

 これまでのように潜んで見付からず…というワケにはいかないだろう。


 であれば、出来ることは一つであった。

 というより、十郎は賢くはないので他に方法が思い付かなかっただけだが。


「ピィスさん、あっしが一暴れして連中の気を引き付けやす。その間に何とかソラさんを連れて、見付からねえように脱出しておくんなさい」


 そう言って十郎は長脇差をピィスに差し出す。


「えっ!?でも、これ受け取ったらジューロさんの武器が…」

「いや、しかし…ソラさんを縛ってる縄を斬るにはコイツしかねぇでしょう?」


 グイっと長脇差をピィスに押し付けるのだが、肝心のピィスはそれを拒否した。

「…だっ、大丈夫だよ。僕は…あのっ、見て」


 ピィスが指を使い自分の唇を上げ、口の中にある牙を十郎に見せる。

「このきふぁ…、この牙で縄を切るからさ!ジューロさんも…ソラと一緒に、みんなで無事に帰ろうよ」


 ピィスは子供だからなのか、それとも育ちが良いからなのか分からないが…善人だ。

 そういう人にこそ、生き延びて貰いたいと十郎は強く願う。


「…うむ、そうでござんすね。互いに最善を尽くしやしょう」


 十郎はピィスに押し返された長脇差を腰に戻すと、深呼吸して覚悟を決めた。


「では…ピィスさん、お先に暴れて参りやす。ソラさんの事、任せやしたぜ?」


 きっとピィスなら、やり遂げてくれるだろう。

 後は、自分が連中を釘付けに出来るか否か、それが鍵を握っているのだ。


 十郎は大穴の螺旋階段は使わずに、ゴブリン連中の背後に位置する場所、その崖のような急勾配に飛び込んで、祭壇のある最下層へと滑り落ちてゆく。


 敢えて音を響かせ、十郎の存在をゴブリンに顕示する。

 ガラゴロと派手に下りながら、十郎は親分のある言葉を思い出していた。


(外道の相手はな?十郎。御天道様に背を向けた渡世人が請け負う方がいい。外道の相手なんぞ善人にゃあ極力させたくねぇからなぁ…)


 今なら、この言葉の意味が…十郎にも少しだけ分かる気がする。


 祭壇のある広場に着地すると、そこに集まっていたゴブリン共の視線が十郎に向いていた。

 だが、相変わらず不気味な念仏を唱えているゴブリンは、未だ祭壇から目を逸らさずに集中している。


 そいつもこちらに向けさせねば、ピィスがソラに近付けないだろう。

 …やることはただ一つ。


「さぁ、クズ同士…。潰し合いと参りやしょうか」


 十郎はそれだけ言うと、長脇差を構えた───

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