【第1章】獣友、共に奮闘す。

【第1章】第1話

 男と少女が山道を歩いている──


 男は薄墨色の道中合羽に三度笠、手甲脚絆を身に付け、旅装束だと一目で分かる格好をしている。

 それに見合わぬ違和感は、背負った荷物が洋品のリュックサックであることだろう。

 表情こそ険しいが、垂れ目がちな瞳のせいもあり、やや穏やかな人相に見えた。

 一見すると二十代中頃の年齢に見えるが、髭は生えておらず、見た目よりかなり若いのかもしれない。


 男の名は十郎、こちらではジューロと呼ばれている。


 一方、少女の方は…愛くるしい顔立ちに透明感のある白い肌、澄んだ紫色の瞳と美しい青髪が目を引く。

 十郎とは趣が違う衣装で、杖を持ち、紺色のローブに身を包んでいて、その下にはエプロンドレスにも似た洋服を身に付けている。

 質素な格好に似つかわしくない金色の腕輪を手首に付けており、それだけは値打ち物に見えた。


 少女の名はリンカ、ある村での出来事を切っ掛けに十郎と共に行動し、現在は王都ビアンドという場所へ向かっている最中である。


「ふむ、こっから先は地図に載ってねぇ場所でござんすな」

 十郎が、地図を広げて確認すると、リンカもそれを覗き込む。

「そうですね。でも、このペースで進めばあと二日…遅くても三日あれば到着出来ると思います」


 イゼンサという名前の村から出て二日半、これまで歩いた距離は二十里(※約80km)ほどになるだろう。

 歩き続けることに十郎は慣れたものだが、リンカの足が心配であった。

 これまでの道中に村や民家などはなく、野宿で過ごしており、ゆっくり休めているとは言い難いからだ。


「リンカさん、この辺りに村はねぇんでしょうか?出来れば立ち寄りてぇんですが」

 旅籠屋などがあれば、せめてリンカだけでも泊めてやりたい。

 イゼンサ村で貰った通貨がいくらかあるが、宿代がそれで足りないなら長脇差を質に入れてでも工面するつもりだった。


「えっと、すいません。途中に村があったかまでは覚えてないんです」

「左様か…。ところでリンカさん、疲れてはおりやせんか?歩き通しでござんすが」

「んっ!大丈夫です、こう見えて山道は得意ですから!」

 リンカは笑顔でそう返してくる。


 となると、余計な事は考えず、このまま真っ直ぐ王都に向かった方がいいか?

 しかし、彼女の言う「大丈夫」という言葉を真に受けていいものか。


 十郎はリンカの顔を改めて見てみると、疲労の色が濃くなっているように思える。

 やはり無理をしているのではないだろうか。

 いっそのことリンカを背負って進むか…?いや、それは彼女が拒否しそうだ。


 何を言っても彼女が無理をする姿しか想像できない、イゼンサ村でリンカの行動を見ていたからこそ、そう思えるのだ。

 十郎は考えを巡らせ、なんとか彼女に一息つかせる方法を考え込んでしまう。


「ジューロさん、どうかしたんですか?」

 そんな十郎の様子を見かねてか、リンカが声を掛けてくる。


「いや、慣れない土地なもんで、あっしが疲れてるのかも知れねぇなと」

 それとなく休む理由を作れば、彼女も一緒に休んでくれるだろうと、そう返事をしてみる。


「ずっと荷物を持って貰ってますし、代わりましょうか?」

 ああ、そうきたか!これは悪手だった。

 心配されてどうするのだ。


「ご心配には及びやせん、いわゆる気疲れってもんで。ほら、娘さんと二人旅ってのは、あー…何と言うかこう。普通に考えると非常によろしくないというか、いや決してリンカさんのせいと言うワケじゃなくて。土地勘がねぇあっしは一緒に居てくれて助かってるくらいで」


 理由を取り繕おうとして支離滅裂な事を言ってる気がする。

 変に気を回さず、こういうことはもう正直に伝えた方がいいだろう。

「…今日の移動はほどほどにしておきやしょう」


「えっ?でも」

「あっしにとっては先を急ぐ旅でもありやせんから、そんなことより、リンカさんが無理をしてるように見えて心配なのでござんす」


「わ、私は大丈夫ですから!」

「本当でござんすかぁ?…まぁ、そうだとしても万全を期して休んでおきてぇんで。それはよござんすかね?あっしの事を信用できねぇのは仕方ねぇにしても、そこは考慮して欲しいんで」


「もう、ジューロさんって意外と心配性なんですね。分かりました!今日は少し早めに休みましょうか」

 どうやらハッキリ伝えたのは正解だったようだ。


「うむ、そうと決まれば休憩に良い場所でも探して参りやしょう!」

 まずは、近くに水場でもないか確認したい。

 飲み水を汲んでおきたいのもあるが、足を冷やすことが出来れば、少しでも疲労を和らげられると考えたからだ。


 十郎は水の匂いや音でもしないかと、周囲を見渡し耳を澄ます。すると───


「うわあぁぁー!誰かぁっ…!誰か、助けて───」


 遠くで誰かの叫び声が聞こえた気がする。

 リンカも同様に、声が聞こえてきた方向に視線を向けていて、意識を集中させていた。

 それを見るに、どうやら空耳というわけではないようだ。


「誰かぁー!兄さぁん!みんなぁーっ、助けてー!!」

 今度は先ほどよりハッキリと、助けを求める声が聞こえる。

 声は幼く、子供のようだ。


「ジューロさん、誰かが助けを呼んでる!」

 その声に弾かれるように、リンカが声の方へと駆け出す。


「ぬあっ!?リンカさん!」

 十郎は少し反応が遅れてしまった。

 誰かが助けを求めていたとしても、正直もう厄介事には首を突っ込みたくなかったからだ。


 しかし、リンカが声の方へ向かって行く以上、付いていく他ないだろう。

 リンカが一緒に旅をしている原因は十郎にあり、彼女を無事に帰す責任は十郎にあるからだ。


「あぁ~、もう仕方ねぇ!」

 十郎も同じく声の方へと駆け出す。


 助けを求める声の場所までたどり着くと、まず十郎の目に映ったのは、二人の子供であった。

 それぞれが犬と猫の被り物をしていて、すっぽりと頭を覆っている。


 読んで字の如く…面妖な雰囲気を受けたが、それでも明確に分かるのは、そんな子供二人が助けを求めながら【何か】から逃げている事だ。


 そして、その何かは、子供二人のすぐ後ろまで迫っている。


「ジューロさん!!」

 リンカの声が響く────

 その声の焦りっぷりから危機的状況と判断した。


 十郎はリンカを追い抜き、長脇差を抜くと、背後の何かに向かい飛び掛かる。


 逃げている子供二人は、急に飛び出してきた十郎も敵だと思ったのか。子供の一人が、もう一人を庇うように覆い被さった。


 その行動は十郎にとって好都合だった。

 これで子供は邪魔にならず、長脇差を振りやすくなったからだ。


 十郎は子供を追っていた、何かを視界に捉える。

 それは、いつか絵巻物で見た【餓鬼】のような見た目をしていた。


 人間が腐り始めた時のような緑色の肌をしており、背丈は子供とさほど変わらない。

 血走った目、耳は大きく発達し尖っていて、体躯は痩せているものの下っ腹だけはでっぷりと出ている。


 それらが三匹────


 ボロ布のようなものを着て、物騒な得物を持ち、明らかな悪意を子供達に向けていた。

 ならば手加減は無用ってもんだろう、十郎も殺意を込めて初撃を繰り出そうと構える。


 餓鬼にも見える連中が十郎に気付くと、奇声を上げ、それぞれ散開し始める。


 十郎は奴らをまとめて凪払おうとしていたのだが、こうされると狙いをいずれか一匹に絞らざるを得ない。

 比較的、近い位置にいる餓鬼に狙いを定めなおす。


 餓鬼は近付いてきた十郎に対し、応戦する構えを見せ、鉈にも見える武器を振り回すが、十郎は間合いの差を生かして絶妙な距離を取り、武器を持つ餓鬼の腕を斬り落とすと、続け様に脳天をかち割り、息の根を止めた。


 散開した残りの餓鬼二匹が、山道横の茂みに身を隠す。

 気配が消えてない事から、こちらの様子を窺っているのが分かる。


 …どうやら退散する気はないようだ。


 少し遅れてリンカが追い付くと、リンカは怯えている子供達に寄り添うように声を掛ける。

「大丈夫?怪我はしてない?」


 恐る恐る、庇っていた子…犬の被り物をした方が顔を上げてリンカを見る。

 どうやら、敵ではないと分かってくれたようで、その子は緊張の糸が解けたように、ペタリと座り込む。

「だ、大丈夫です!助けてくれて…ありがとうございます」


 犬の被り物をした子が少しだけ安堵した様子を見せ、その子が少し体を離すと、庇われていた子も顔を出した。

「良かったぁ、そっちの子はどう?大丈夫かな…」

「あの、ありがとう…大丈夫です」

「うん!無事なら良かった、もう平気だから安心して」

 リンカが改めて、二人に怪我がないかを確認する。


「ジューロさん!二人とも無事みたいです!」

 リンカが子供達の無事を伝えるが、十郎は未だ警戒を続けていた。


「承知しやした、けど気を付けておくんなさい!まだ終わっちゃいねぇみてぇだ」


 十郎の様子から察してくれたのか、リンカも杖を構えて周囲を警戒し始める。


 ……十郎は違和感を覚えていた、どうにも様子がおかしい。


 連中が身を隠した茂みからは複数の視線を感じる。

 …これは残りの二匹だけではないだろう。

 あれらの他にも数匹、周りに潜んでいる気がした。


(まさか…これは、囲まれている───!?)


 連中は、こちらの出方をうかがっているだけだと思っていたが、その認識が甘かった。

 これは後手に回る程、厄介な状況になるだろうと直感する。


「リンカさん、二人を連れて逃げておくんなさい!」

「逃げ…っ!?ジューロさんは!?」

「迷ってる暇がねぇ、しんがりはあっしがやりやすから!」


 リンカに逃げるよう進言した瞬間、十郎に向かって石が飛んでくる。


 十郎はそれを難なく避けると、石が飛んできた方向を見据えた──


(───いや、こいつは陽動か!?)

 それは一瞬のことだが、うかつにも視線を吸い寄せられてしまった。


 こいつらは、戦い方を知っている───


 十郎はそう断定し、即座にリンカ達がいる方へときびすを返す。

 しかし、相手の行動は早かった。


 リンカ達を挟み撃ちにするように、二方向から餓鬼が襲い掛かろうとしている。

 リンカを助ければ子供達が危険に晒され、子供達を助ければリンカが危険に晒される状況だ。


 長脇差を投げるか!?いや、間違ってリンカ達に飛んでいってはあまりにも危険だ。


 ───判断が迫る、その刹那、リンカと視線が合う。

 彼女は十郎に対してうなずいてみせた。


 その瞳には力強さがあり、子供達を守りたいという意志が感じられる。

 確かにリンカは杖を構えていた分、子供達よりも堪えきれるかもしれない…、それに魔法だって使える筈だ。


 腹が決まり、子供を守る為、地面を蹴って距離を詰めると、餓鬼に渾身の一撃を叩き込み、相手の武器ごと両断した。


 一手遅れるが、リンカの方に加勢するべく、十郎が体を反転させた瞬間だった。


 ヒュン──と、風を切るような音がしたかと思うと、リンカを狙っていた餓鬼の頭部に、矢が深々と突き刺さっているのを十郎は目撃した。


 その餓鬼は射抜かれた反動で吹き飛ばされていく。

 誰がやったか分からないが、ありがたい。


 この一撃のお陰で、奴らの連携が乱れが生じるのを感じた。

 その隙を活かし、十郎はリンカの体を引き寄せると、子供達と一緒に背後に匿うよう立ち塞ぐ。

 体を張って、体を盾にしてでも彼女らが逃げる為の時間を稼ぐつもりだった。


 残りの餓鬼連中は、未だ藪の中に紛れているようだが、今度は先ほどとは状況が一変していた。


 十郎が警戒している間にも、藪の中へ次々と矢が撃ち込まれていくのが見える。

 闇雲に放っているワケではないようで、藪に矢が撃ち込まれるたび、餓鬼共が次々と耳障りな絶叫が聞こえるからだ。


 隠れていた餓鬼連中は、こちらに構うことが出来なくなったのか、次々と退散していくのが分かった。


 しばらくして、周囲の気配が全てなくなると、一人の男が十郎達の前に姿を現した。


 その男は、子供達と同じように犬のような被り物をしていて、体格は…十郎と同じくらいだろうか?

 弓と矢を身に付けているのを見るに、今しがた助けてくれた人だと察することが出来る。


「どなたか存じやせんが、助かりやした。ありがとうござんす」

 十郎は長脇差を納め、彼に向かって頭を下げる。


「あのっ!助けてくれて、ありがとうございます」

 リンカも十郎に続いて頭を下げて、お礼を言う。


「いえ、二人が弟たちを助けてくれていたのが見えてましたし、そこはお互い様ですよ」

 彼は微笑み、爽やかさのある声で返事をした。


 被り物をしているから、顔も年齢も分からないが、中身は好青年なのかもしれない。

 しかし、十郎はそこまで思った後、不思議な違和感を味わっていた───


 被り物の口が動いていた気がしたからだ。

 …いや、それだけじゃない。なぜ、彼が微笑んだと分かったのだ?


「兄さん!」

 助けた子供の一人、犬の被り物をした子供の方が青年に抱き付いた。

 あの子の反応を見れば、兄弟だということが分かる。


「こぉら、ピィス!【コザラ谷】には近付くなって散々言われてただろ!?しかも、ソラまで連れて」

「だって…」

 ピィスと呼ばれた少年が怒られると、しゅんとして肩を落とす。


 心なしか、その子が身に付けている尻尾のような飾りも動き、うなだれたように見えた。


「だってじゃない!ごめんなさいだろ?今日は運が良かっただけで、この人達が助けてくれなきゃ、命に関わってたかもしれないんだぞ」

「うぅ、兄さんゴメン…」


 兄弟のやり取りを見ていたが、先程のことは見間違いではないようで、被り物の口が動いているのが今度はハッキリと分かった。


 十郎は我が目を疑い、軽くこするが、幻覚ではないみたいだ。

 動物の被り物に見えたものは彼ら生身の顔だったのである。

 尻尾のように見えるアレも、飾りではなく本物なのだろう。何か動いてるし…。


「グリンさん、違うんです!ピィスくんは私の為にしてくれた事なんです…」

 彼らの話に口を挟んだのは、庇われていた方の…猫の子だった。

 声の質から察すると、女の子なのだろう。


「違うよ!ソラは谷に行くのを止めてたし…、兄さん達の言いつけを守らなかったのはホントのことだから」

 焦ったような表情と声で犬の子が話す。


「はぁ~、まったく二人ともさぁ…」

 グリンと呼ばれた青年が頭を抱え、大きく溜め息をついた。


 十郎は彼らのやり取りを静かに見守っていたが、話の内容がまるで頭に入ってこなかった。

 彼らも妖怪のたぐいなのでは?と、訝しんでいたからだ。


 昔、狐の嫁入りという話を耳に挟んだことがある。

 たしか、狐なのに人のように立って歩くし、人と同じように着物を着ているとかいうアレだ!


 …あの話って結局どうなるんだっけ?などと、記憶を辿るが今一つ内容を憶えていない。


 考えても十郎には分からないし、答えも出ないように思うが、少なくとも敵ではないのだろうと考え至った。

 とって食うようなつもりなら、既に襲い掛かって来ているだろうし、そもそも助ける必要もなければ、十郎達の前に姿を現す必要はないのだ。


 気にならないと言えば嘘になるので、とりあえず彼らがどういう存在なのかは、異国の人間であるリンカに訊ねてみるのがいいかもしれない。



 そう思いつき、彼女に声を掛けようと振り向くと、リンカはフラりとよろめき、彼女が倒れる瞬間を十郎は目にしたのだった──

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