【プロローグ】第12話


 おおむねやることは決まった、うまく行くかは別としてだが。

 十郎はスッと立ち上がり、旅支度を整える。

 道中合羽に三度笠、手甲脚絆という出で立ちだ。


「さて、早速ではござんすが。リンカさんを拐いに行くと致しやしょうか。案内、お願い致しやす」


 バジール達が外に出ると先導し、夜道を進み始めると、十郎もそれに続き、空き家を静かに後にした。


 三人は歩みを進め、バジールの家にたどり着く────



 真っ暗な周囲の家とは違い、うっすらと明かりが灯っており、扉の前でパセリが待っているのが見える。

 脚が悪いのにも関わらず、外で待っているとは…余程切羽詰まっているらしい。


「ジューロさん、あの…」

「事情はお聞きしやした、パセリさんにも話しておきてぇことがあるんで」

「…パセリ、とりあえず中に入ろう」

「わかりました、こちらに来てください」


 バジールとパセリに招かれ家の中に入ると、部屋の奥まで案内された。

 そこではソファーの上でカモミルが眠っているのが目に入ったが、この様子だと起きる気配はないように思う。


 十郎はカモミルと別れの挨拶をすることを約束していたのだが、その約束は破ることになりそうだ。


(こんな簡単な約束さえ守れねぇんなら、あっしが村長の事をとやかく言う筋合いは、ねぇのかも知れねぇな…)


 カモミルの寝顔から目を背けると、パセリに対して、これからやることを簡単に説明した。


 村の問題だからとパセリはこれに反対したのだが、これから先の事を考えてのことと…そして何より、この案を提示したのは十郎自身であることを説明し、なんとか納得してもらった。


「じゃあ、手筈どおり…あっしはリンカさんを連れて戻るとしやしょう」


「あっ!少しだけ待って、ジューロさんに渡したいものがあるの」

 パセリはそう言うと部屋の隅から何かを持ち出してきて、戻ってくる。

 その手には、紙に包んだ何かと、きんちゃく袋のようなものが握られていた。


「こっちは非常食で、こっちはお金。どっちも少ないけど、せめてこれくらいはね」


「食料はありがてぇが、流石にお金を頂くワケには…」

「これは正当な報酬よ、私達が助かったのはジューロさんが来てくれたお陰なの。村から出ることはカモミルから聞いてたから…本当は見送る前に渡すつもりだったのだけど」

 十郎に、ぐいっと非常食とお金を押し付ける

「こういうことはちゃんとしなきゃね?」


 祝いの席で、パセリが同じようなことをリンカに言ってたことを思い出す。


 これを突き返すのも失礼だし、申し出そのものは十郎にとって非常にありがたいものだ。

 十郎が持つ通貨は異国で使えるかどうか、非常に怪しいこともある。


「それなら、ありがたく頂戴致しやす。そして差し出がましいんですが、一つお願いしてぇことがありやして」

「ジューロさんのお願いか、もちろん私らに出来ることなら何でも言ってくれ」

 バジールが前のめりで聞いてくる。


「出来れば、塩を分けてくれやせんか?」

「塩かい?」


「へえ、手持ちが少なくなっておりやして」

「それくらいお安いご用さ!塩なら大量にあるから、好きなだけ持っていってくれ」

 そこまで大量には必要ないのだが、助かる。


「あと、あっしからはこれをお渡し致しやす」

 十郎は振分荷物に忍ばせていた小判を取り出し、バジール夫妻に渡した。


「えっ?これは…?」

「あっしの故郷の通貨でござんす、こちらで価値があるかは分からねぇが。世話になった気持ちでござんす」


 決して汚い金ではない───

 十郎が婚儀の場で贈るつもりだった祝儀なのだ。

 別に故郷へ帰ることを諦めた訳でもなければ、婚儀がどうでも良いという訳でもない。

 頭の悪い十郎には、感謝の表し方がこれ以外に浮かばなかったのだ。


 祝儀を別のことに出すのは罰当たりかも知れない、しかし、こういう使い方なら親分や娘さんも許してくれるだろう。


「いや、流石に受け取れないよジューロさん」

「ふむ?あっしが世話になったのは事実、食事だって分けて頂きやした。それにこういうのは、ちゃんとするべき…なのでござんしょう?」

 先ほどパセリに渡されたお金を見せて言う。


「だからどうか、受け取っておくんなさい」

「…わかりました、ありがとうジューロさん」


 一通り話がまとまった所で、頂いた物を振分荷物に入れ、リンカが寝ている部屋へと移動した。


 リンカはベッドの上で気持ち良さそうに寝息を立てている。

 出来れば彼女にも事情を説明しておきたい、バジール達が居る今の方が、安心して話に耳を傾けられるだろう。

 その考えを伝え、なんとか起こせないか頼んでみる。


 しかし、パセリがリンカを揺さぶったり、声を掛けたりしてくれたが、どうにも起きる気配はない。

「ダメね、ジューロさんが来る前にも起そうとしてみたのだけど。しばらくは起きそうにないわ」


 ここで起きてくれたなら説明の手間が省けるとおもったのだが…。


「仕方ねぇ、いつ起きるか分からねぇし。このまま家に返しやしょう。彼女への説明は、目が覚めてからでござんすな…」

 パセリ達に協力してもらい、リンカを背負う。


 ほとんど重さを感じなかったが、背中には確かに、彼女の体温が伝わってくるのを感じた。

「じゃあ、お別れでござんす。皆さんには世話になりやした」

「それはこちらのセリフだよ。最後まで迷惑をかけた、すまないジューロさん」

「ジューロさん、リンカちゃんをお願いね」


「ああ、任せておくんなさい。リンカさんの事については、最善を尽くすことを…お約束致しやすよ」


 そうだ、最善を尽くさねば。

 これは十郎以外の人間にも関わってくることなのだ。


 今の状況は、十郎が何気なく起こしてきた行動の帰結であり、その責任もあるだろう。

 特にリンカに関しては完全に巻き込んでしまった形だ。


「こっちも何とかしてリンカちゃんが戻って来ても大丈夫なようにするから」

 バジール夫妻の表情もすぐれない。

 本当なら、朝にはカモミルと一緒に明るく送り出してくれた事だろう。


「二人とも気にすることはありやせん、カモミル殿には別れの挨拶が出来なくてすまねぇと伝え──」

 言葉にして十郎は気付く。


 カモミルは素直な少年だ、リンカを匿う為の嘘を知って、それを黙っていられるかどうかが分からない。

 拐ったことにするなら、徹底して情報は伏せなければ…。


「いや、カモミル殿にも、あっしがリンカさんを拐ったと伝えておいておくんなさい。脅されて仕方なく引き渡したとなれば、誰も責任には問わねぇでしょう」


「……ジューロさん、約束を破ってしまったこと。なんとお詫びすればいいか」

「いいさ、おめぇさんが伝えなけりゃ、リンカさんがどうなったか分からねぇんだ…。それに、謝るのなら彼女にしておくんなさい」


 それに、カモミルとの約束を破っている自分が言えたものでもないだろう。

 十郎は自嘲気味な笑みを浮かべるが、すぐに気を引き締め直す。


「では、もう会うこともねぇでしょうが。皆さん、ずいぶんとお達者で…」

 軽く頭を下げ三人に背を向けると、森へと歩みを進める。


 ───月明かりが二つある夜道。


 それは明るい道である筈だったが、十郎にはいつも以上に暗い道に見えた…。

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