【プロローグ】第8話


「……ロさん…!…ジューロさん!」

 眠りに落ちてどれくらい経ったか、微睡(まどろ)む意識の中、突如として声が聞こえた。

 十郎は長脇差を抱え、慌ててガバリと体を起こすと、傍にはカモミルの姿があった。


 十郎が急に起きたことに驚いたのか、カモミルは呆気にとられている様子だ。

「カモミル殿か…すまねぇ、驚かせてしまって…」


「こっちこそゴメン…ノックはしたんだけど、あまりにも起きてこないから心配になって…」


 自分でも気付かない内に疲れが溜まっていたのだろうか?

 普段であれば、人が近付けば気配で起き上がるものだが…声を掛けられるまでまるで気付かなかった。

 窓を見ると日はかなり高くなっている。


「ぬぅ…面目ねぇ、ずいぶんと寝ておりやした」


「あっ!じゃあ、朝ご飯もまだだよね?持ってきてて良かった」

 カモミルが御盆に乗せた料理を差し出してくる。


「いや、あっしの事はあまり気にせずとも…」

「…ジューロさんこそ、ボクたちに気を遣ってるよね?朝ご飯くらいは食べて欲しいよ、昨日も一昨日も…朝ご飯の前に行っちゃうし!そっちの方が気になるよ」


 御盆に並べられた料理は質素だが、とても良い匂いがする。

 芋と豆を煮たものと、パンが添えられていた。

 ぐぅ…と腹の虫が鳴る。


「ぬぅ…すまねぇ、…ありがたく頂戴致しやす」

 色々と思うところはあれど、好意に甘える事にする。

 村から出るなら、これが最後の食事になる可能性が高いのだ。


「頂きます」と両手を合わせた後、食事に手を伸ばすが、カモミルがこちらをじっと見ていたので微妙に落ち着かない。


「ひょっとしてカモミル殿、腹を減らしておるのでは?」

 カモミルの分を無理に持ってきた可能性もあるので聞いてみたが、カモミルは首を横に振る。


「ううん、…味はどうかな?って」

「うむ、うまい!」

 十郎の返事を聞いて、カモミルはにっこりと微笑む。

「そっか!良かった~」


「…そういえばカモミル殿、怪我人の様子はいかがで?」

「うん、みんな元気になってたよ!朝にはもう村のこと色々やってるみたい」


「ふぅむ…凄いでござんすね、病み上がりだというのに…」

「うん!リン姉ちゃんの薬と魔法が効いたんだと思う、すごいよね」


「うむ、たいしたもので…あっしも助けてもらいやしたし」

 十郎もリンカに治癒してもらったが、何事もなかったかのように身体の調子が戻るのは凄い、としか言えなかった。


「ジューロさん、助けてもらったって、何かあったの?」

「む?…あぁ、そういえば話しておりやせんでしたっけ?」


 リンカと村に戻ってきてからトロールの件について、すっかり忘れていた。

 話す機会はあったのだが、村に戻ってからというもの、怪我人の事に集中してたことで…解決した気分になっていたからだろうか?

 少なくとも村長には報告しておいた方が良いだろう。


 カモミルに森で起こった事のあらましを説明すると、目を輝かせて聞き入ったり色々と聞かれたりもした。


「へぇ…リン姉ちゃんって、凄く強いんだ!?」


「うむ、あっしも驚かされやした。あの胆力は見習いたいものでござんすね…。いや、やはりそこは見習いたくはねぇかな、勇敢すぎやす」

「あはは!ジューロさんがそこまで言うって、どれだけ勇敢なの?」

「んーむ?あっしの国でも中々お目にかかれねぇくらいには…でも、あっしからすりゃあカモミル殿達も同様に勇敢でござんすからね?」

「えっ?ボクも?」

「うむ、おめぇさんも」

「えー?」


 そんな他愛ない話をしながら食事を終えると、食器を御盆に戻して手を合わせる。

「ご馳走になりやした、実に美味しかったでござんす」

「えへへ!良かった、じゃあボクはいったん帰るね!また後でね!」

「あぁ、そうだカモミル殿」


「えっ?なになに?」

「あっしはそろそろ村を出ようと思っておりやすんで…カモミル殿にもずいぶんと世話になりやした」

 十郎は深々と頭を下げる。


 思えば数日の関わりだったが、カモミルは色々なことを教えてくれたし、今回もこのように食事を提供してくれたり、バジール家に泊めようとしてくれたこともあった(流石にそれは遠慮したが)。


 ここに流れ着き、成り行きで村を助けることになったが、何も分からないこの土地で助けられたのは、十郎の方だと感じていた。


「えっ!?村から出るの!?」

「うむ、村の人達に挨拶次第出ようと思っておりやす」

「まさか今日!?」

「左様でござんす」

「待って!?待ってよ!せめて今日は残って!みんなの快気祝いするからって…ジューロさんたちの分も用意してるんだ!お願いだからさ!」

 カモミルが十郎の手を握りながら頭を下げる。


 だが、これ以上ご厚意に甘えるのも気が引けるし、日ノ本に一刻も早く戻りたい気持ちもあった。

 しかし以前、カモミルに村に残るようお願いし、その頼みを聞いてもらった経緯もある。

 最後くらいちゃんとしたお別れも兼ねて、快気祝いに参加するのも良いかもしれない。


「…じゃあ、お言葉に甘えて、あと一日だけお世話になりやす!ご厄介になって申し分ねぇが」

「ホント!?勝手に出ていったら嫌だからね!?」


「うむ、ちゃんと別れ際には挨拶しやすから」

 その返事を聞いたカモミルの顔がパッと明るくなる


「まぁ、村に残るからには、何か力になれりゃあ手伝いやすんで、言っておくんなさい」

「えー?今日くらいゆっくり休んでよ」

「んーむ、しかし…」

 厄介になっている以上、何かしら働かないと居心地が悪い。

 それに十郎は渡世人であり余所者でしかないのだ。そんな人間がのんびりと構えていて良いものなのか、頭を悩ませる。


「あっ!ならさ!ボクはジューロさんの話が聞きたいな!」

「あっしの?」


「うん!…ダメかな?他の国の話とか聞いてみたいんだ」

 カモミルが興味深々といった感じで期待の眼差しを向けてくる。

 今までカモミルにはこちらから訊ねることはあっても、こちらの話をする機会はほとんどなかったように思う。


「そいつはお安いご用だが、あっしの出来る話か…」

 十郎は記憶を辿り、かつての家族や…稲作一家の仲間達に想いを馳せ、目を瞑る。


 十郎は元々農民であり、天保の大飢饉によって一家離散した経緯があった。

 …だが、これは話すような内容ではないなと思いとどまる。


 だけど稲作親分や、その一家や出来事についてなら…、多少の話は出来るかもしれない。

「なくはねぇけど、あまり期待しないでおくんなさいよ?」

「ホント!?やったー!じゃあこれ片付けてきたらまた来るから、待っててね!」

 カモミルはそれだけ言い残し、疾風のように駆けていった。


「む!?あー…まぁ、良いか…」

 まずは村の人たちに別れの挨拶を済ませておきたいと、十郎はそう付け加えて言いたかったのだが…あっという間に行ってしまった。


 また後ほど、改めてその件は伝えておこう。

 ぐんぐん小さくなるカモミルの背中を見送りながら、そう思う十郎であった───

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