第31話 心に染みる言葉

 応接間のソファーにマクシム様と並んで腰かけお茶をいただきながら、私はマクシム様のご両親に問われるままにナヴァール邸での暮らしについて話した。マクシム様が年の近い侍女たちを雇ってくれていて、彼女たちととても楽しく過ごしていることや、最近教師も雇ってもらい、領地経営についてやその他様々な科目の勉強を始めたことなども。


「何不自由なく暮らしているようでよかったわ。でも、最初は驚いたでしょう。王都近くの都会から、あんな辺鄙なところへ嫁いできて。マクシムに引き継いでからというものあの屋敷もすっかり殺風景になってしまって、いつか可愛い奥様をもらった時にはがっかりされるんじゃないかと心配していたのよ。どうか見捨てないであげてちょうだいね」


 そう言って不安げな顔で私を気遣ってくださるお義母様を安心させるために、私は精一杯の笑顔で答えた。


「い、いえ、そんなことは全然ありません。マクシム様は私のためにとお花をたくさん植えてくださっていましたし、今では庭園もどんどん整備していてとても美しいものになってきております。時折心のこもった贈り物もいただきますし、それに、お屋敷の中も私の好きなようにしていいと言ってくださったので、楽しみながら整えております。……あ、それと、騎士団の部下の方々にも紹介していただきました。先日は領地の視察にも連れて行ってくだって。どこもとても素敵でした。マクシム様のおかげで、毎日がとても充実しているんです」


 私の話を聞いたご両親はほぉ……、と感心した顔になる。


「マクシムが、お花や贈り物を……?そんなに気の利いたことができる人だったのね、あなた……。まぁ、こんなに可愛い人を迎えたんですもの。それくらいはしたくなるわよね」

「変われば変わるものだな」

「……。もういいだろう、そんな話は」


 ご両親にジーッと見つめられたマクシム様はムスッとした表情でそっぽを向いた。




 ひとしきり辺境伯邸での私の暮らしを報告し終えた頃、お義父様がお義母様に言った。


「そうだ、あれをエディット嬢に……」

「あら、そうだったわね。ちょっとお待ちになっていてね、エディットさん」


 そういうとお義母様は一度応接間を出ていき、しばらくすると装飾の付いた箱を両手で抱えて戻ってこられた。それを受け取ると、お義父様は大切そうにそっと箱を開けた。


「……これはあなたの父君から届いた手紙だよ。私がナヴァール辺境伯領へ出向いた頃は、まぁ互いに頻繁にやり取りしたものさ。私の方が一気に忙しくなってしまって、しかもその頃は度々戦争に駆り出され……。お亡くなりになっていたことを知った時は、愕然としたものだ」


 しんみりとそう言いながら手紙の束をじっと見つめると、お義父様はそれを私に差し出す。

 おずおずと受け取り、私はその手紙の一つを手に取った。


「読んで構わないよ」

「よ、よろしいのですか?」

「ああ、もちろん。父君の筆跡が見たいだろう」


 お義父様のお言葉に甘えて、私は封筒から手紙を取り出した。胸がドキドキと高鳴っている。そっと開いて見ると、整った流麗な文字がびっしりと並んでいた。そこにはマクシム様やご両親のことを気遣う言葉や、父と母の近況について、そして時に私の成長についても書いてあった。


(……お父様、お母様……)


 記憶の底に沈んで久しい、優しかった人たちの面影をたしかに感じる。読み進めるほどに、嬉しさと懐かしさ、そして胸が苦しいほどの恋しさが溢れ、気付けば私は次々に手紙を手に取っていた。そのどれもが私の両親の人柄を表すような優しい言葉に満ちていて、これまで私がオーブリー子爵夫妻から聞かされていた両親の人物像とは随分とかけ離れたものに感じられた。


「……エディット嬢、この手紙はあなたが持っているといい」


 ひとしきり読み終えた頃、お義父様からそう声をかけられ、私はハッと顔を上げた。


「そ、そんな……。お義父様にとっても、大切な思い出の品のはずです」

「いいんだよ。君の手元に置いてもらえるのなら、きっとご両親も喜んでくださるはずだ」

「……では……、半分だけ、持って帰らせてください」

「まぁ、いいわね。うちと半分こね。ふふ」


 そう言って微笑んでいるマクシム様のご両親のお優しさに熱いものが込み上げてくる。涙が零れそうになるのを堪えながら、私は心からお礼を言った。


「ありがとうございます、お義父様、お義母様。ずっと大切にします」


 胸の前で手紙の束をぎゅっと抱きしめる。父や母の思い出の品物なんて何もない。これが初めてのものだ。喜びを噛みしめていると、お義父様が言った。


「エディット嬢、あなたがオーブリー子爵夫妻からどのように聞かされてきたかは知らんが、あなたのご両親、バロー侯爵夫妻は本当に素晴らしい方々だった。もちろん、お祖父様の前侯爵も。若く無鉄砲だった私のことを見守り、生活の手助けまでしてくれた。ご両親はいつもバロー侯爵領の人々のために骨身を惜しまず働いていたよ。領民たちの生活を最優先に考え、立場に奢ることのないひたむきな人たちだった。周りの皆から愛され、そして何より、一人娘のあなたのことを心から愛していた。……とても立派なご両親だったよ。誇りに思うといい」

「……っ、お義父様……」


 その言葉は私の心の奥深くまでじんわりと染み渡り、ついに私は堪えきれず大粒の涙を零した。

 ずっとひどい人間だったのだと聞かされてきた。駄目な両親だったと。多額の借金でオーブリー子爵家は迷惑をかけられ、尻拭いをさせられてどれほど大変だったかと。

 そんな人間たちの娘なのだから、お前はせめてもの償いに死にもの狂いで働けと、何度も何度もそう言い聞かされ、ずっと悲しく辛い思いをしてきた。どうして私の両親はそんな人間だったのだろうと。だけど……、それは真実ではなかったのだ。

 私の両親は皆から愛されていた。皆のために働き、役に立っていた。そして私を愛してくれていた。そのことを、両親をよく知るお義父様から教えてもらうことができた。


(ごめんなさい、お父様、お母様……。何も知らずに、辛い毎日の中で私はひそかにあなたたちを恨んでしまっていた……。だけど、違ったのね。ありがとう、素敵な人でいてくれて。私のことを、愛してくれて……)


 ああ、会いたいな。


 初めて味わう喜びとどうしようもない切なさに、涙が止まらない。


 しゃくりあげて泣き続ける私のことを、マクシム様が抱き上げ膝に乗せた。そして何度も私の頬や額にキスをしながら背中を擦り、ずっと抱きしめてくれていた。お義母様の嗚咽おえつが聞こえたような気がした。


 いつの間にか、応接間の中は私とマクシム様の二人だけになっていた。



 


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