第22話 語らい

「俺の父は、昔お前の父君や先代バロー侯爵にとても世話になったんだ」

「……え……?」


 予想もしていなかったマクシム様の言葉に、目が点になる。私の、お父様や、お祖父様……?

 マクシム様は低く静かな声で語りはじめた。


「田舎の貧しい下級貴族の次男だった俺の父は、独立して身を立てる術を得ようと、若い頃一人王都にやって来たらしい。何の後ろ盾もない父はがむしゃらにいろんな仕事に手を出しては、失敗もたくさんした。そのうち剣術の腕が認められ雇用試験に合格した父は王宮勤めの騎士となり、その頃大臣だった先代バロー侯爵と出会い、随分良くしてもらったそうだ。そして文官だったエディットの父君とも出会った」

「……そう、なのですね……」


 初めて聞く、祖父や父の話。何だかとても不思議な感覚だった。


「俺の父はその頃にはすでに結婚し、俺も生まれていた。……無鉄砲な男だ。騎士として勤めはじめるまでにいくつもの仕事に失敗し、不慣れな事業まで始めようとして借金なんか作っていたのに、そんな中で母と出会ってさっさと子どもまで作っているのだから。……それでも王宮で真面目に働き剣術の腕を磨き続ける父に、先代バロー侯爵は何度も手助けしてくださったそうだ。エディットの父君も、俺の父の友人として様々な助言をしては無茶ばかりする父の生活を見守っていてくれたようだ。一時期エディットの父君は、ひそかに俺の父母にまとまった金も貸してくれていたそうなんだ」

「……そんな……」


 何だか、全く知らない人の話を聞いているみたい。私がオーブリー子爵夫妻からずっと聞かされていた父とは、まるで別人のような……。


「月日が経ち、やがて父は他国との戦争に駆り出され、前線に旅立った。誰よりも大きな武勲を挙げ辺境伯の地位を賜り、王都を去る前に、一家でエディットのご家族に挨拶に行ったんだ。バロー侯爵邸にな。……そこで俺は、初めて君に会った」

「……えっ。わ、私に、ですか?」


 黙って聞いていたら、ふいに私の話になって驚く。私、マクシム様とお会いしたことがあったの……?!


「当時俺は12歳、お前はまだ5歳だった。……その頃からすでに可愛かったよ、ものすごく。たった5歳の少女相手に少し動揺したものだ。お前は無邪気な瞳で俺を見上げていろいろと話しかけてくれていたよ。……可愛かった」


 噛みしめるようにそう言って私を抱き寄せ、こめかみにキスをするマクシム様。その体温と優しい感触が、とても心地いい。


「ど……、どんなことを話していましたか?その時の私は」

「さぁ、何だったかな。このお人形の名前がどうとか、庭の大きな木のブランコがどうとか、脈絡のないことを次々喋っては、初めて訪れる屋敷で緊張している俺を和ませてくれていたよ」

「……そうなんですね……ふふ……。ビックリしました。そんな幼い頃にもう、マクシム様と出会っていたなんて」


 初めて聞く幼少の頃の話はとても嬉しくて、私はマクシム様の分厚い胸板にくっついたままクスクスと笑った。優しいマクシム様の声がとても心地いい。


「ああ。お前の母君も、とても優しく美しい人だったよ。今のお前によく似ていたな。……両親と俺は、その後このナヴァール辺境伯領にやって来た。父は最初のうちエディットの父君と頻繁に手紙のやり取りを続けていたようだが、領主として不慣れな仕事に忙殺されたり、また遠征に行ったりと慌ただしくしている中で、徐々にやり取りも途切れがちになってきたらしい。そして数ヶ月が経つ頃、父は他国に旅立ったんだ。王命により、同盟国の戦に助力するために。残された母は毎日死にもの狂いで領主としての仕事に没頭していた。まだ幼かった俺も、母を助けながら自分の剣術を磨き続けたよ」

「……そう、なのですね……」


 マクシム様が懐かしむように静かに話しながら、ずっと片手で私の後頭部を撫でている。……低い声とその優しい手のひらの感触が脳の奥にじんわりと響くようで、気持ち良すぎてまたウトウトしてしまう。……もっとちゃんと、聞いていたいのに……。


「数年が経ち、父は足に大きな怪我を負い帰還した。俺はその父から家督を継ぎ、この辺境の地でがむしゃらに仕事と鍛錬に明け暮れたよ。そんな中で、ある日風の噂に聞いたんだ。あのバロー侯爵夫妻がもう何年も前に亡くなり、一人娘が遠縁に引き取られたらしい、と」

「……うん……」


 マクシム様……ご両親も……大変だったんだな……。


「俺もこの領地と領民たちの生活を守りながら、遠征に行き、武勲を挙げ、その傍らどうにかしてお前の行方が分からないものかと探し回った。……あの夜、ようやくお前を見つけた時は感動した。……まさかこんなに、綺麗になっているなんて……」


 マクシム様は掠れた声でそう言うと、私の額にキスをする。全身を包み込むように抱きしめられ、もう私は限界だった。


「……マクシム、さま……。私……、父や母の、いい話って……初めて聞きました……。うれしい……」

「……そうなのか?」

「うん……。ずっと、ひどい人たちなんだと、おもってた、から……」

「……何故だ?」


 だんだんと呂律の回らなくなったきた口で、懸命に睡魔と戦いながら私はマクシム様に答える。……ううん、もうこれ、夢なのかな……。


「オーブリー子爵夫妻から……ずっとそう、いわれてた……。しゃっきんまみれの、ひどい夫婦だったって……。めいわくばっかり、かけられた……て……。だけど……、人の役にたったことも、あったんだ……ね……」

「……バロー侯爵夫妻がか?まさか。彼らは素晴らしい人格者だった。助けられていたのは俺の両親だけじゃない。困っている日には積極的に手を差し伸べ、領民たちからもとても慕われていたそうだ。それに、借金など……。父に聞いていた話では、バロー侯爵領はとても潤っていたそうだぞ。先代の頃からずっと素晴らしい経営手腕を発揮して、事業も大きく成功していたと。浪費などしない、堅実で実直な人柄のご夫婦だったはずだ。金に困っている話など、聞いたことがない」

「……。そう、なら……いいのに、な……」


 私はそこで意識を手放した。ああ、気持ちいい。マクシム様の腕の中──────



 

 私は幸せな夢を見た。花々が一面に咲き乱れる中、大きなお屋敷が立っていて、その周りを小さな私が、可愛らしいお人形を抱えたまま楽しそうに走り回っている。大きな木とブランコ。ぼんやりとしか顔を覚えていない父と母が優しく微笑みながら、私の姿を見守ってくれている。向こうの方に、まだ子どもの姿のマクシム様が立っているのに気付いた。私は嬉しくてたまらなくて、全力で走っていって彼の腕の中に思い切り飛び込んだ。

 マクシム様はそんな私をギュッと抱きしめてくれた。

 強くて、温かくて、とても優しいその腕の中で安心し、私は幸せに浸っていた──────






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