第12話 初めての夜

 その後ポツリポツリと、マクシム様がこの結婚について話してくださった。オーブリー子爵との書簡のやり取りで話はつき、すでに婚姻に関する書類は役所に提出済みであること。子爵夫妻からは必要ないと言われたが、近いうちに結婚式を挙げようと考えていること。私は話しかけられるがままにはい、はい、と頷いた。

 夕食をとった後、マクシム様は「では、また後でな」と短く言い、先に出て行ってしまった。その直後、私も侍女に促され自室に戻る。湯浴みをするよう言われ大人しく従い、その後待機していた侍女たちに手伝われ夜着に着替えた。これまで自分の生活に関することを誰かに手伝われたことのない私はただただ戸惑うばかりだった。まるでオーブリー子爵夫人や義姉妹たちになった気分だ。


「……では、こちらより寝室にお入りになり、旦那様をお待ちくださいませ」

「あ、はい。分かりました。……ありがとうございます」


 私の返事に侍女が戸惑っているのが分かった。……変だったかしら。黙って移動した方がよかったのかな。


 そんなことを考えながら、私は夫婦の寝室に続く扉を開け、中に入った。すると、


「っ!」


マクシム様が、すでにそこにいらっしゃった。ソファーに座って何か飲んでいる。旦那様をお待ちくださいと言われたものだから、もっと後に来られるのかと思っていた私は、心の準備がなくビクリと反応してしまった。

 けれどマクシム様はそんな私をチラリと見ると、特に気にするそぶりもなく視線を逸らした。


「……来たか。少しは疲れがとれたか」


(……湯浴みのことを仰ってるのかな)


 そう思った私は、


「はい。あの、とてもゆっくりできました」


と小さく返事をする。


「そうか。……何か飲むか?」

「い、いえ。大丈夫です……」


 問われた言葉に私がそう答えると、マクシム様は一呼吸置いてゆっくりと立ち上がった。……やっぱり大きい。マクシム様もさっきまでの服装とは違い薄いガウンのようなものしか羽織っていないから、ますます体格ががっしりしているのが分かる。

 マクシム様が部屋の奥にあるキングサイズのベッドに近付き、灯りを落とす。小さくなったランタンの灯が、彼の姿をオレンジ色にゆらゆらと映し出していた。

 そのまま私の元に近付いてくる彼の姿を見ているうちに、なぜだか心臓の音が激しくなる。


「……おいで、エディット」


 低く静かなその声が、先ほどまでとは少し違い掠れている気がした。まるで、何かを堪えているように。

 そしてそのまま返事も待たずに、私の体を軽々と抱き上げた。


「きゃ……っ!」


 驚きのあまり声が漏れる。なぜ……っ?たった数歩歩けば辿り着く場所にベッドがあるのに、どうしてわざわざ抱き上げるのだろう。

 たくましい腕に横抱きにされたまま声も出せずにいると、彼はそのまま歩き出す。ふわ、ふわ、と体が揺れる感覚も初めて味わうもので、私はますます緊張して固まる。


 どさり。


「…………っ、」

 私の体が、ベッドの真ん中に降ろされた。……なぜだかマクシム様が私の上に覆いかぶさるようにしていて、そのまま私をじっと見下ろしている。瞳の中の銀色が、先ほどまでよりも妖しく光っているように見えて、背筋がぞくっとした。……怖い……。

 私の顔の両横には、マクシム様の太い腕がある。こんな姿勢でいると、まるで捕らえられているみたい。どうしたんだろう。なぜ、このまま動かないの……?

 目を逸らせずにマクシム様を見つめたまま硬直していると、ふいに彼の顔が近付いてきた。


「──────っ!!」


 突然私の唇が、マクシム様の唇によって塞がれた。全身がビクリと震える。“口づけ”をされたのだと気付いた時、唐突にぬるり、と味わったことのない感覚がした。訳が分からず、頭が真っ白になる。だけど怖くて抵抗することもできない。

 何度も角度を変えながら与えられる濃密な口づけに怯えながらも耐え、しばらくされるがままになっていると、ほどなくして、マクシム様の顔が離れた。思わずはぁっ、と深く息をつく。ほとんど呼吸ができていなかったことに気付いた。


「……いいんだな?エディット」


(……え……?)


 何を問われているんだろう。分からない。

 縋る思いでマクシム様を見上げると、彼の灰色の瞳の奥に燃え滾るような熱を感じた。何をすればいいか、どう答えればいいの分からず、私はひたすらマクシム様を見つめていた。



 



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