第11話 ぎこちない時間

 マクシム様の大きな背中を見つめながら中に進んでいくと、初老の男性が礼儀正しく出迎えてくれた。フェルナンさんという名で、家令だという。その後数人の侍女たちを紹介され、それから広大な屋敷をマクシム様に案内される。代わりに案内いたしましょうかと声をかける家令の言葉を「いい」と短く断り、マクシム様はスタスタと歩き次々と中を案内していく。


「……どこも殺風景だろう。俺は遠征で長いこと屋敷を留守にしていたし、ここは女主人を失って久しい。母は父と共に南方の別邸で気楽に過ごしているから……、」


 そこまで言って振り返ったマクシム様は、ピタリと立ち止まり私に謝罪した。


「……すまない。俺の歩くペースは、あなたには早すぎたな」

「……は……、い、いえ……っ、だ、大丈夫、です……っ」


 本当はものすごく早かった。歩幅がまず全然違う上に、やはり体力に差がありすぎるのだろう。マクシム様について行くために私はずっと小走りの状態だったのだ。マクシム様が時折振り返った時にだけ平然とついて行っている風を装っていた。鈍臭い女だと思われて嫌われたら大変だから。


「……続きは、また明日以降にしよう。部屋に連れて行く。あなたの荷物はもう運ばれているはずだ」

「あ、はい……。……あ、ありがとうございます……」


 私を気遣ってくれているんだ。そう気付き、申し訳なさと不安が襲う。嫌われてないかしら……。やっぱりお前のような女はいらないとオーブリー子爵家に突き返されたら、どれほどきつく叱られるか……。

 私の頭の中には常にその思いが居座っていた。




 私を部屋に案内し、夕食の時にまた会おうと短く言うと、マクシム様は行ってしまった。


「……。」


 不機嫌になっていないだろうか。不安な思いを抱えたまま、私は案内された部屋を見渡した。


(な、なんて大きな部屋なの……)


 私のわずかな荷物など片隅にまとめてしまえるほどに大きなクローゼットや戸棚、化粧台に豪華なソファーなどが揃っていて、この部屋の中だけでずっと快適に暮らしていけそうだ。今日見せてもらった中では断トツに豪華で、調度品も美しく、華やかだった。……まさか、玄関ホールの前の花々のように、ここも私のために急拵えで整えてくださったのだろうか。


(……?あら?あちらの扉は……)


 ふと気付くと、今廊下から入ってきた扉の他に、もう一つの扉がある。向きから察するに、たぶん、隣の部屋に通じている……?

 この人たちに聞いたら分かるかな、と、緊張した様子で荷物を解くのを手伝おうとしてくれている二人の若い侍女に尋ねてみた。


「あ、あの……。あっちの扉は、どこのお部屋に通じているのでしょうか」


 すると侍女たちはビックリしたような顔で私の方を見て、慌てて答える。


「あ、はい。あちらは奥様と旦那様の寝室に通じております。寝室を挟んでその奥が旦那様のお部屋になっております」

「……っ、そうなのですね。ありがとうございます……」


 寝室……。そうか。夫婦だから同じ部屋で眠るのね……。え?あのマクシム様と、お、同じベッドで……?


(どうしよう……。今からものすごく緊張する……)


 寝ぼけて蹴ってしまったりしたらどうしよう。怒られてぶたれたり……、……ううん。あの方は、そんなことはしそうにないけれど……。


 この時の私にとって、寝室が同じというのはその程度の感覚だった。

 幼い頃にオーブリー子爵家に引き取られ、外に出ることも学園に通うことも、家族以外の誰かと接することもなく生きてきた私は、何も知らなかった。夫婦となった二人が、寝室でどんな夜を過ごすのかも。






「……。」

「…………。」


 夕食の席でも、私は緊張して何も話すことができなかった。与えられた私のお部屋には、何枚かのドレスやアクセサリーが用意されていて、本当はそれに対するお礼をすぐに言いたかったのだけれど、どうしてもこの人の大きな体と表情の乏しいお顔を目の前にすると、体が強張って喋れなくなる。私はあまりにも、他人に、特に男性に慣れていなさすぎたのだ。

 シンと静まり返った食堂の中は空気が張り詰めているようで、カトラリーを動かすのにも勇気がいる。

 すごい緊張感のせいで喉が詰まったような感覚になり、目の前の豪華な食事をなかなか食べ進められずにいると、ふいにマクシム様が呟くように言った。


「……そのドレス、」

「っ!……は、はい……」

「よく似合っている。だが、もし気に入らなければ無理して着なくてもいい。何か欲しいものや必要なものがあれば、何でも遠慮なく言ってくれ。俺は気が利かない」


(────っ!!)


 し、しまった……!

 私がすぐにお礼を言わなかったから、マクシム様の方から先にドレスに触れられてしまった……!


 またやってしまった。やっぱり食堂に入ってすぐにお礼を言うべきだったのに。

 一気に頭が真っ白になった私は、慌てふためきながら必死でお礼の言葉を紡ぐ。


「あ、あの……っ、ほ、本当に、どのドレスも、とても、素敵で……。……う、嬉しかったです。……ごめんなさい……。あ、ありがとうございます……っ」


 汗をかきながら私が喋りだすと、マクシム様は私の方をじっと見つめていた。そして私がお礼を口にすると、ほんの少し微笑んだように見えた。


「それならよかった」




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