第10話 再会

(と……、遠かった……)


 オーブリー子爵邸を出てから、およそ五日後。私の乗った馬車はようやく王国の最西端に位置するナヴァール辺境伯領に入った。王都に程近いオーブリー子爵領付近に比べれば、随分とのどかな場所だった。

 もうすぐ長旅が終わるのかと思うとホッとするけれど、かと言ってこれからついにナヴァール辺境伯と対面するのかと思うと、それも恐ろしくて手足が震える。


(助けてくださったあの時はたしかにお優しい方だと思ったけれど……、こんなに時間が経つともう怖さしかないわ)


 旅立つまでの一月の間、アデライドとジャクリーヌから散々脅された。


「ご愁傷さま〜。まさかあんたの嫁ぐ相手がこの王国一の乱暴者だなんてねぇ。あんたたぶん、辺境伯にすぐに殺されるわよ。ふふふふ」

「さぁどうかしらね。氷の軍神騎士団長は女性に飢えているはずよ。もう30近いお歳のはずだもの。それまで妻を持たずに独り身で来たんだから……逆にずーっと慰みものにされるかもね」

「やぁだぁ!すごい戦果を挙げてきた猛者なんでしょう?とんでもなく体力があるはずよ。あんたやっぱり干からびて死んじゃうわよ、ベッドの上で。うふふふふ。せめて変な性癖がないといいわねぇ。殴ったり首絞めたりとか」

「止めてよ。下品なんだから、ジャクリーヌったら」


「……。……はぁ……」


 姉妹の話す内容は時に意味の分からないものもあったけれど、とにかく辺境伯様がいかに恐ろしい人物なのかということはよく分かった。思い出すほど憂鬱になる。長く馬車に揺られていたから体中痛くて、早く降りたい気持ちと、いつまでも辺境伯邸に着かないでほしいという気持ちの間で揺れていた。

 けれど私の動揺も虚しく、ついに馬車は目的の場所に到着したらしい。要塞のように大きな屋敷の門が開かれ、馬車はゆっくり中へと進んでいった。


(ひ……広い……)


 オーブリー子爵邸とは比較にならない敷地の広さに圧倒される。まるであの人自身のようだ。大きくて頑丈そうで、どんな敵が現れても決して通さないような力強さを感じる。……その分、あまり華やかさや趣はなかった。女主人のいない、無骨な屋敷といった感じだ。


(……あ。でも玄関ホールの周りにはお花が……)


 馬車がようやく止まり、小窓からそっと覗くと、この辺りにだけ美しい花々が咲いていた。淡いピンクや白の優しげな花々は、まるで私をひっそりと歓迎してくれているようだった。ほんの少しだけ、緊張した気持ちが和らぐ。


 その花たちに見とれていると、玄関の大きな扉が開いて中からあの時の辺境伯様が出てきた。心臓がドクリと大きく跳ね、途端に全身の血の気が引く。


「……っ、」


 お、降りなくちゃ……。


 ゴクリと喉を鳴らすと、私は震える足を踏みしめながら一歩ずつゆっくりと馬車を降りた。気を抜くと今にも足がもつれ転んでしまいそうだった。


「……よく来た。疲れただろう」

「はっ……、はじめまして……。……あ……!」


 ま、間違えた……っ!

 

 緊張のあまり、いきなり挨拶を間違えてしまった。“はじめまして”じゃない。あんなに何度も馬車の中で練習したのに。

 一瞬にして冷や汗が出て、泣きたくなるほど混乱する。


「ち、ちが……っ、も、申し訳ございません……っ!あ、あの、このたびは、わ、私を……その……」


 付き添いもなく、たった一人で初めて訪れる場所。慣れない男性との会話。それも何度も話に聞かされていた、大きくて恐ろしい氷の軍神騎士団長。

 あの時の粗相まで思い出してしまい、もう頭がおかしくなりそうだった。膝がガクガクと震える。


 その時。


(──────え…………?)


 俯いて震える私の頬に、ふいにゴツゴツとした温かいものが触れた。

 ビクリと反応して思わず顔を上げると、ナヴァール辺境伯様が私の目の前に立っていた。頬に触れたのは、彼の手のひらだった。……せ、背が、高い……。


「……そんなに怯えるな。遠路はるばる来てくれたあなたを、ただ出迎えたかっただけだ」

「……っ、」

「改めて、マクシム・ナヴァールだ。俺の元へ来てくれたこと、感謝する。エディット・オーブリー子爵令嬢」

「……こ……っ、こちら、こそ。……このたびは、私のことをご所望いただき、大変光栄に存じます、ナヴァール辺境伯閣下。どうぞ、これからよろしくお願い申し上げます」


 気が付くと、私はそのグレーの瞳を見つめながら自然と挨拶の言葉を口にしていた。たしかにとても大きくて無骨な雰囲気ではあるけれど、不思議と彼の瞳は穏やかで優しい光を湛えていた。


「マクシムと呼んでくれ。俺たちはもう夫婦なのだから」

「は、はい。……マクシム、さま」


 そう返事をすると、マクシム様は少し困ったような妙な顔をして目を逸らした。


「……俺もエディットと呼んでも構わないだろうか」

「っ!あ、は、はい。ぜひ。……どうぞ」


 ぎこちない会話に気恥ずかしくなり、思わず私も目を逸らす。すると周りの花々が視界にふわりと飛び込んできた。


「……気に入ったか?両親が隠居して以来、この屋敷を整えたり飾ったりすることがなくてな。使用人もこれまで最低限しか雇っていなかった。……ふと思いついて、数日前に急拵えで植えさせたんだ。殺風景なところですまない」


 …………え?


 このお花は、私のために……?


 驚いてマクシム様のお顔を見上げると、彼はまた慌てたようにフイッと目を逸らし、そのまま私に背を向けた。


「中を案内しよう。おいで」

「……はい、マクシム様」


 温かいものが胸の奥にじんわりと込み上げてくる。


 さっきまでの恐怖心と緊張が、いつの間にかだいぶ和らいでいた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る