第9話 オーブリー子爵夫妻の洗脳
「……お前をナヴァール辺境伯に嫁がせることを決めた」
「……っ!」
義父の言葉に、心臓が痛いほど大きく跳ねた。恐怖に全身が強張る。ああ、ついに……。やっぱり私はあの誰より恐ろしいと噂の人のところへ嫁ぐことになってしまったのね……。
涙を堪えて唇をぐっと噛みしめる。一体どんな扱いを受けるのだろうか。ここよりももっとずっとひどいところだろうか。どの縁談も簡単には受けなかったという、氷の軍神騎士団長。そんな人が、この私のことなんかをそれほど熱心に所望してくるとは……。
「顔を上げなさい!エディット!」
「っ!」
厳しい義母の声に、反射的に顔を上げる。恐ろしい形相の二人は眼光鋭く私を睨みつけていた。
「いい?お前に改めて言っておくことがあるわ。散々言ってきたとおり、お前が社交界デビューしていないのは幼い頃から病弱だったからよ。それが表向きの理由。ナヴァール辺境伯閣下からそのことについて尋ねられたら必ずそう答えるの。いいわね?」
「その理由は一つだ。お前の生家の恥を晒さぬため。ひいては我々オーブリー子爵家の恥を晒さぬためだ。分かるな?エディット。これまで再三言ってきたように、バロー侯爵夫妻には多額の借金があった。侯爵領の主という立場でありながら、お前の父親は領民の税金にまで手を付けていた。侯爵夫妻の死後、公にならぬうちに私たちでそれらを全て肩代わりして返済し、その上でお前を育ててきたのだ。しかしこんなことを世間に知られればバロー侯爵家の縁戚に当たる我々にとっても恥となるし、尾ひれをつけられ社交界でどんな悪い噂を流されるかも分からん。上手くいっている人間の足を引っ張りたい連中というのはどこにでもいる。……聞いておるのか」
「は、はい」
義父母の圧に怯えながら、私は返事をする。
「本当はお前を生涯外に出す気はなかったのよ。だけどナヴァール辺境伯がどうしてもお前をと何度も所望なさるから、仕方なく差し上げることにしたのよ。いいわね?ナヴァール辺境伯からはうちへ法外な支援金を約束していただいてるの。間違っても!辺境伯のご機嫌を損ねて返品されるようなことになるんじゃないわよ!分かったわね?!」
なんだ……。結局多額のお金を受け取ることになったから私を辺境伯の元に嫁がせるわけね……、などとぼんやり考えていたせいで、返事が遅れてしまった。義母のこめかみに青筋が立つ。
「は……、はい……っ」
「チッ!全く、いつも聞いておるのかおらんのか、はっきりせん返事ばかりしおって……!分かったんだな?!エディット!余計なことは一切喋らず、ただただ毎日辺境伯の要求に応えるんだ!泣き言を言ったりしてご機嫌を損ねるなよ。これまで何不自由なく育ててきてやったんだ。あのろくでもない夫婦の娘であるお前を。恩を感じているのなら最後くらいはしっかりと役に立て。分かったな!!」
「わっ、わ、分かりました……」
その後は数刻に渡り、同じ話を何度も何度も言い聞かされた。そして話の内容を復唱させられた。私は幼少の頃から体がとても弱く、オーブリー子爵夫妻から大切にされずっと屋敷の中で静かに暮らしてきた。それ以外に余計なことは一切喋らない。何度もそう言わされ聞かされているうちに、まるで本当に自分自身がそんな風に育ってきたような感覚さえした。
こうしてそれから約一月後。
私はついに15年間過ごしたオーブリー子爵邸を去ることになったのだった。たった二つのトランクケースだけを持ち、家族の見送りはなく、辺境伯が遣わしてくれた迎えの馬車に乗り、一人ではるか西の地を目指したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます