第3話 一緒に
映画館にやって来た。母ちゃんとみくちゃんと一緒に(みくちゃんは誘ってないけど、母ちゃんが誘ったんだよね?)。
いや、もう一人いる。
私の首に掛けられた、マッスル団長(ぬいぐるみ)が。
*
「推しの分まで楽しく生きる? どういう事?」
先日のハンバーガーショップの出来事。私はみくちゃんの言葉を繰り返す。
「うん、楽しく〜。好きなキャラクターが死んだとしても、その愛は変わらないでしょ〜?」
「もちろん!」
「相変わらず声が大きいわね」
「りこ(母ちゃんの本名)ちゃん、わたしとかなちゃんの尊い会話を邪魔しないで〜。それで、続きだけど〜。わたしにとって、推しって言うのはね〜? 人生を救ってくれた大事で大切で愛してる人と言っても過言じゃないくらいの存在なの〜」
「人生を救われた?」
と、オレンジジュースを飲みながらの私。あと全然関係ないけど、ストローがプラスチックから紙に変わったのがまだ慣れない。
「うん、救われたの〜。わたしって喋り方変って色んな所で言われて〜、それがコンプレックスだったんだけど〜。それをある人に相談したら『そんなの関係ない! 私は普段のそんな君が大好きだよ!』って言ってくれて〜。それを言われて、もうその人の推しになって〜。その人と同じ職場に入ったの〜。大好きって……大好きって言ったくれた人と一緒の職場に〜」
そう言って笑うみくちゃんの顔は、何て言うか……。気持ちわ……いや、すごく楽しそうだね!
ん? そんな感じの質問、私の配信のところにもあった気もするけど……。
それと、その推しと同じ職場になったって事は、みくちゃんの推しは私と同じ事務所のVチューバーかな? ……う〜ん、海外勢もたくさんいるから、誰か判らないんだけど。
「……ストーカー、怖っ」
「だから、りこちゃ〜ん。わたしとかなちゃんの会話に入らないで〜。とにかく、わたしは救われたの〜。自分の喋り方に自信が持てるくらいに〜。かなちゃんは、そのマッスル団長に何か救われたとかある〜?」
「救われた事……」
考えてみる。すでに飲み終わっているのに、ストローをズズズと音を出して吸いながら。
私は、Vチューバーになるまでアニメをそんなに観た事がなかった。日曜朝の女児向けアニメも、たまにしか。
ああ、別に親がアニメを否定しているとかじゃないし、私もそれを好きでも絶対に馬鹿にはしないよ?
ただ、アニメよりも現実で体を動かす方が好きで、よく友達と外で走り回っていた。近所のおじさんに、静かに遊べ! って怒られるくらいに。
ちゃんとアニメを見始めたのは、Vチューバーになってからだ。私に何をやって欲しい? ってリスナーに質問したら、アニメの同時視聴をしてと言われて。
正直に言うと乗り気ではなかったけど、いざ視聴したら面白かった。何となく食べる事がなかったお菓子を、初めて口にしたらすごく美味しかった様な感動すらある。そのアニメが、「ドラララ」なんだけど。
「救われたかは別かもだけど」
ストローから口を離して、私は自分の気持ちを出す。
「マッスル団長が、私の知らない世界を教えてくれたって感謝してる。マッスル団長が出てるアニメ観てなかったら、私の人生損してたかもって思うほど」
実際、そうだ。アニメがこんなにも面白いと知ったし、恋愛にも疎かったけどマッスル団長が私に恋を教えてくれたまである。私の心を奪えるのはマッスル団長だけ。
「なるほど〜。それは推しに救われたと言って良い事だよかなちゃ〜ん。……悔しいけど〜」
「悔しい?」
「気にしないで〜。それより
その救ってくれたマッスル団長に、今のかなちゃん見せれる〜?」
「⁉︎」
その発言に、私は空の容器をテーブルに落とす。
「死んだって言ったまま悲しんで〜、仕事休んで〜。そんな姿、マッスル団長に見せられないよね〜? 私もそのアニメ観たけど、主人公の上官の人が言ってたよね〜? 『命懸けで死んだ者の前で泣くなど、侮辱行為だぞ!』って〜」
確かにそうだ。じぁあ、私はマッスル団長を、侮辱をして……。
「あ、あああ……」
「かな。ここで叫ぶんじゃないわよ?」
「でも、母ちゃん。私は……私はどうしたら」
「泣かないで〜、かなちゃ〜ん。どうしたら良い〜? それは最初にも言ったけど、推しの分まで楽しく生きるんだよ〜。つまりは、推し活〜」
「推し活?」
耳にした事はあるが、あまり理解してないその言葉の意味を訊ねる。
推し活。好きな現実のアイドルや二次元のキャラクターを応援する事。
「……え? それだけ?」
「うん、そうだよ〜。まぁ、応援にも色々あって〜。好きなキャラクターを友達同士で語り合ったり〜、好きなアイドルのライブにグッズを持って応援したり〜。あ、推しのグッズ持って色んな場所に行ったりもあるよ〜? だから、かなちゃんもマッスル団長のぬいぐるみとか持って〜、色々なところ行ってみて〜? 推しと一緒に行動する事で、楽しく生きられると思うから〜」
*
そうみくちゃんに言われて、私は一番綺麗なマッスル団長のぬいぐるみを首に掛けながらこの映画館にいる。
『お前間違えたの? 牛丼は? ねぇ? 早く取ってこいや!』
今上映されているのは、注文を間違えたデリバリーの配達員が客の女にどこまでも追い回される……ホラーでいいのかな? まぁ、そんな感じの作品だ。
予告編のCMではお客さんの悲鳴が上がってたけど、私はそんなに恐怖を感じない。怖いのは苦手だけど、この映画のどこに怖さを感じるのか、いまいち理解出来なかった。
「いや〜、怖かったよ〜。かなちゃ〜ん」
映画館から外に出ると、みくちゃんが私に抱き付く。泣いて……るんだよね? 嘘泣きじゃないよね?
「あれのどこが怖いのよ。二時間ずっと追い掛けっこしてただけじゃない。ノーカットで。ずっと走ってた役者とカメラマンの体力は賞賛するけど」
「本当に怖かったって〜。牛丼頼んだのに来ないなんて〜、わたしには耐えられないよ〜」
「……どこに恐怖感じてんのよ? 牛丼好きめ」
そんな会話に耳を傾けながら、私達は次の目的地に向かって歩く。その歩いている最中に、私にくっ付いているみくちゃんが訊いてきた。
「それでどうだった〜、かなちゃ〜ん? マッスル団長と一緒に映画を観た事で〜、楽しく出来てる〜?」
「う〜ん、どうだろう。まだ判らない」
「ふ〜ん。でも〜。
口が少し緩んでるよ〜?」
次にやって来たのは、小上がりになっている座敷席が一つしかない和風な喫茶店。お昼時なのにお客さんが誰もいないのは、座れる場所が限られているからかな?
そんな疑問を抱く私に対して、母ちゃんとみくちゃんは靴を脱いでそこに上がる。
「かなちゃんも座りなよ〜。わたしの隣に〜」
「あ、うん」
と、私もスニーカーを脱いでみくちゃんの隣に座る。畳の上にお尻を置いたの、いつぶりだろう。
「あたしトーストとコーヒー頼むけど、あんた達は?」
私達の対面に腰掛ける母ちゃんがメニューを渡し、みくちゃんとそれを見る。みくちゃん、顔近くない?
メニュー表にはトーストやコーヒー、ナポリタンといった喫茶店では定番の品が記載されている。私はナポリタンと、コーヒーは苦手なのでココアを選ぶと「わたしもかなちゃんと同じの〜」と言った。
「そう。じゃあ呼び鈴押しわね」
そう言ってチーンと鳴らすと「はーい」と渋い声が返り、白髭の生えた執事服っぽいそれを着たおじいさんがメモ帳と鉛筆を持ってやって来た。この人がマスターで、六十代くらいかな。
「はい。トーストとコーヒー。それと、ナポリタンとココア二つずつですね。ちなみに、
「もう一人?」
首を傾げて訊ねると、おじいさんは「ほっほっほ」とサンタさんを思わせる笑い方をした後に言った。
「お客様が首に掛けてらっしゃる、格好良い男性の事ですよ。マッスル団長でしたか?」
「! 知ってるんですか⁉︎」
立ち上がって、訊く。その拍子に、抱き付いていたみくちゃんを軽く飛ばしちゃって謝る。
「ごめん、みくちゃん⁉︎」
「だ、大丈夫〜。わたしはこの痛みを〜、一生忘れない〜。デュフ……デュフフフ〜」
「気持ち悪い笑い声あげてんじゃないわよ」
母ちゃんがみくちゃんに軽蔑の様な視線を向けているけど、そんなのはどうでも良い。大事なのは、
「あの、マッスル団長知ってるんですか? 知ってたらどんなところが好きとかあります?」
「もちろん。わたくしの好きな最近のアニメですから。どこが好きかとの質問ですが、やはり報われなくとも好きな女性の方を大事にする姿ですかね」
「そうですよね⁉︎ その姿が格好良いですよね⁉︎」
興奮……いや、大興奮しながらの私。他のお客さんがいたら、きっと大迷惑なくらいうるさかったと思う。
けど、これが興奮せずにはいられない。見た目だけに惚れた、あのお洒落な店員さんとは訳が違うのだし。
「落ち着いて下さいお客様」
「ああ、ごめんなさい」
言われて少し興奮が収まって、私は再び畳に座る。
「ところで? マッスル団長にも注文してくれるんですか?」
「もちろんです。と言っても、ミニチュアサイズの食品サンプルの提供になりますが。どうなさいます? 二百円頂く事になりますが」
あー、お金取るのかー。そんなの
「お願いします!」
ここに私を連れて来たみくちゃんによると、この喫茶店はアニメやゲームキャラクターにも料理(食品サンプル)を提供してくれる事で有名なお店らしく、彼女自身も推しのぬいぐるみを持って何度も来店してらしい。何のぬいぐるみなのかは、恥ずかしくて言えないと頬を赤く染めてたけど。
「何をそんなに恥ずかしがってるのよ? いつもかなに対して……」
「りこちゃ〜ん。それ以上は駄目だよ〜?」
「……ストーカー怖っ」
言ってトーストを
それはともかく。
「マッスル団長! 美味しいですか!」
木製のテーブルに置いたマッスル団長に、スマホで撮影しながら話し掛ける私。
リーゼが結婚する前に食事に誘おうとしていたけど勇気を出せなくて結局誘えなかったマッスル団長のシーン思い出すけど、リーゼのぬいぐるみも買って置けば良かった。そうすれば、一緒に食事させる事が出来たのに。でも、いないのなら
「母ちゃん! リーゼ役やって!」
「いや、誰よそれ? あたしそのアニメ知らないから、みくにやらせなさいよ」
「絶対嫌〜。わたしの推しはただ一人〜。その人以外の隣に絶対に座りたくない〜」
「では、お客様が隣に座るのはいかがでしょうか?」
母ちゃんがコーヒーのおかわりを頼んでやって来たマスターが、それを席に置いてそう告げる。
「わ、私がですか⁉︎」
「はい。聞き耳を立てて申し訳ないのですが、話を聞く限りお客様が一番こちらのアニメを理解しているらしいですから」
確かにそうかも。みくちゃんも観たらしいけど、「わたしには合わなかった〜」って言ってたし。
でも、良いのかな? 私がマッスル団長が恋心を抱くリーゼになって良いのかな?
そう照れながらも、私はその役をやりきった。
*
「幸せだった」
店を出て、マッスル団長を抱き締めてそう呟く。
これが推し活。初めてやったけど、最高だったよ。
「それは良かった〜。元気になってくれた〜?」
「もちろんだよ! ありがとうみくちゃん」
お礼を口にすると、「どういたしまして〜」と返ってくる。
実際、推し活をしなければ私はずっと塞ぎ込んでいたと思う。好きな推しが死んだと悲しんだまま。
でも、もう悲しさはない。マッスル団長と楽しい時間を過ごせたから。
だから
「私、明日から配信するね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。