第2話 解釈
「かなー、開けろー」
インターフォンが何回も鳴らされ、幼なさを感じさせる声でドアをノックする音が聞こえる。けど、動きたくない。私のマッスル団長が……。
ベッドでマッスル団長のぬいぐるみに囲まれたまま、泣く私。もう、世界の終わりだ。
「開けろー。開けないと、お前の見た目アヒルにすっぞー?」
私が配信を休んで二週間。事務所のマネージャー、更には社長まで家を訪ねて来たが鍵をしたまま家から出ない。「アンチコメントに法的措置取ってるから」と言われても。
それからも引きこもった私を、同僚のVチューバーや親。そして、私のモデルを作ったイラストレーターの母ちゃん(私が勝手にそう呼んでるだけ)がやって来る。今、外から声を掛けているのはその母ちゃんだ。
「いいのか? いいんだな? あんたを本当にアヒルにしていいんだな? あたしはやると言ったらやる女だぞ」
ノックする音が、だんだん速くなる。ドアノブも、何回もガチャガチャしている。まるで、暴力団のアジトにやって来た強面のお巡りさん達みたいに。
うぅ、ごめん母ちゃん。今は、放って置いて……。
言葉にせずの謝罪。普段から「スカイちゃんは、元気だね? うるさいくらいに」と言われるくらい明るい二十五歳の女だけど、今は声を出すのも辛い。
ガチャリ。
ふと、閉めた鍵が開いたよう音がする。いや、それは有り得ないか。誰かが合鍵を持ってない限り、開く訳……。
「あんたの家の合鍵持ってたの、忘れてたわ」
母ちゃんが鍵と膨らんだエコバッグを見せて、ベッドの横に立っていた。
「あんた、ちゃんとご飯食べてるの? 食べてないなら、カレー作るけど?」
「母ちゃん、カレーもっと食べたい」
リビングのソファに座って、おかわりを要求。いつもなら十回くらいおかわりするけど、傷心中の私はたった五回しか頼めない。
「あんた、本当は元気じゃないの? あと、もう無いわよ」
台所に立つ母ちゃんが、空っぽの鍋を見せてそう言う。
さっきも言った通り、この人は私のイラストモデルを担当したイラストレーターである。
活動名は『ごぜんより ごご』で、年齢は二十八歳で私よりも三歳上。そして、金髪のショートヘアー。背は一六〇くらいでそんなに高くない。
そして母ちゃんには、もう一つの顔がある。私と同じVチューバーだ。名前はイラストレーター名と同じで、その見た目は白衣の銀髪猫耳ロリ。企業に所属せず、個人でやってる。
「それで? 何で活動休んでるの? やっぱりアンチコメが原因?」
「……違う」
「スプーンを咥えたまま喋るな。行儀の悪い。アンチコメじゃないなら、何が……」
「マッスル団長が死んだ」
「……何て?」
スプーンをローテーブルに置いた皿に戻して言うと、聞き返された。だから、もう一度言う。
「マッスル団長が死ん……死ん……うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
泣く。その事実があまりにも辛くて、悲しくて。
その横で耳を押さえる母ちゃん。
「うるさい。子どもじゃないんだから、そんなに泣くんじゃないわよ」
「だってぇ〜、マッスル団長がぁ〜!」
隣に座った母ちゃんの胸に泣き付く。まるでスマートフォンの様な、平な硬いそれに。
「今、失礼な事考えなかった?」
「考えてないってー! 私が考えてるのは、マッスル団長の事だけぇ! ぶびぃぃ!」
「ええい、あたしの服で鼻水拭くな。汚い。マッスル団長て、この家に馬鹿みたいにあるキャラの事?」
「マッスル団長を馬鹿って言うなぁ!」
「はいはい、それはごめんなさいね。で? そのマッスル団長が死んだってどういう事?」
呆れながら謝っている様な母ちゃんに、私は説明した。アニメの同時視聴で、推しが死んだ事を。もう、涙無しでは語れない。いや、すでに泣いてるんだけど。
「……そのマッスル団長は、あんたにとっての何なの?」
「旦那にしたいナンバーワンの男!」
「そう。それはともかく、外に出るわよ? さっさと着替えて」
「……え?」
*
久しぶりの外出。日差しが眩しい。今が春じゃなくて夏だったら、暑い暑いと連呼していたと思う。
ところで、
「どこ向かってるの?」
「服買いに。あんた、いい加減ジャージ以外の服持ちなさい」
人通りが多い都会のこの街で、手を繋いで歩きながら答える母ちゃん。
確かに私の今の格好は、全身黒いジャージ。街行く人達はお洒落な見た目だけど、服にこだわりはないので普段からこの服装である。
「あんたがその格好ばっかりだから、仕事(Vチューバー)の服ジャージにしてんのよ? 可愛い服で仕事したいなら、まずあんたが可愛い服を着なさい」
「そうかもだけど、何で今なの?」
「あんたの職場のお偉いさんに『ごごさん。スカイさんと仲良いですよね? どうか外に出る様説得して下さい。そうしないと、ごごさんが描いて下さったイラストが公表出来ませんので』って脅されて」
「……脅迫なのそれ?」
「脅迫よ。あたしが死ぬ気で描いた絵が世間に出ないなんて、子どもを返して欲しかったら、大金用意しなって言ってる様なものよ」
怒気を含ませた声音で説明。服を買いに向かうのは、「ただのついで」と付け加えて。
それにしても、母ちゃんを使ってまで事務所に心配されちゃってるのか私。
色んな人に迷惑掛けてるなー。事務所にも同僚のVチューバーにも本当の家族にも。そして、何よりも応援してくれる約七十八万人のリスナーのみんなにも。もしかしたら、減ってるかもだけど。
でも、解ってほしい。大好きな推しが死んだ絶望感を。初めて好きになった人なの!
「……何で泣いてんのよ?」
「マッスル団長が……」
「あーはいはい。服屋に着いたわよ」
母ちゃんに連れて来られたのは、大型商業施設の中にあるお洒落な服屋だった。
店内にはたくさんの女の子達が楽しそうに服を試着していたり、これがお洒落ですけど何か? と言わんばかりの服で接客している店員。ジャージの姿の私は、場違い感が半端ない。母ちゃんも黒っぽいワンピースの可愛い格好してるし。
「帰ろう、母ちゃん。私には、この店お洒落過ぎる」
「駄目よ。あんたに似合う服を……」
「お客様、どの様な服をお探しでしょうか?」
どこからともなく、笑顔の店員が目の前に現れる。一切気配を感じずに来たので「ひゃあ⁉︎」と大声を出すと、周りのお客さん達の視線が集まる。一応、すいませんと頭を下げておこう。
そんな状況にもかかわらず、母ちゃんはスマホを店員さんに見せる。
「これとこれとこれ。あと、こういう感じの服、あります?」
「う〜ん、そうですね〜。こちらのイラストと同じ服はありませんが、似た様な服なら何着か。お時間いただきますが、ご用意しましょうか?」
「お願いします」
そう母ちゃんが言うと「分かりました」とこの場を離れたが、十秒も経たない内にたくさんの服を持って戻ってきた。これがプロのお仕事なのかな?
「じゃあ、かな。この服全部試着して?」
「え? 全部?」
「うん、全部。さぁ、試着室に行った行った」
強引に手を引っ張られ、そこに放り込まれた私。小声で、「着替えないと、あんたの衣装本当にアヒルにするから」と脅されて。
アニメならきっとダイジェストで放送されていると思うほど、私はたくさんの服に着替えさせられる。
確かに全部可愛い。けど、普段からジャージの私は、何だか落ち着かない。
「可愛いわよ、かな。スマホの連写が止まらないわ。あ、店員さん。この子、私の娘なんです」
「そうなんですか〜。……娘?」
笑みを浮かべたまま困惑する店員さんだったけど、「ああ、あだ名ですね」と納得してくれた。
それにしても、本当に落ち着かない。だから、
「あの……いったん、元の服に着替えます」
言ってカーテンを閉め、元の服に着替える。着替え過ぎて暑くなったので、ジャージの上着を着用せずに黒い半袖のシャツに。
「母ちゃん。もう、何の服でも良いから帰……⁉︎」
試着室から出た刹那、接客してくれている店員さんに肩を掴まれて私の半袖を見られる。さっきまでの笑みはなく、バッキバキの目で。
「お客様、その服はどこで?」
「え? これは『ドラララ』ってアニメの公式通販で買ったやつですけど?」
「マッスル団長、お好きなんですか?」
「もちろん、愛してます!」
店内に響くほどに、肯定する私。事実、今着用しているのはマッスル団長がプリントされた服である。
私の叫びに再び視線が集まる。そして、その目は、泣きながら言った次の言葉でもっと増えた。
「でも、マッスル団長が死んで……うわぁぁぁん!」
「解ります! 私もマッスル団長推しなんで大泣きする気持ちが! マッスル団長を殺すなんて、作者を殴り殺したいですよね⁉︎」
「いえ、そこまでは」
店員さんと私が抱き合いながら泣いていると、別の店員さんがやって来る。何をしているのと、注意する為に。
が、
「うるせーな! 私等の推しが死んで悲しんでる時に話し掛けてくんじゃねーよ!」
私から離れ、さっきの笑顔が嘘かの様に豹変する店員さん。それに「え?」と言われた方は驚愕するが、マッスル団長好きであろう店員は止まらない。
「仕事の疲れを癒やしてくれたマッスル団長。格好良い見た目のマッスル団長に、私は惚れたんです。なのに、そのマッスル団長が死んだ気持ち解りますか? 解らないでしょうね? 先輩には!」
早口に言うと、先輩と呼ばれた人は呆気に取られたまま口を開いている。周囲の人達も同様に。
だけど、私には気になった事がある。だから、訊ねる。
「見た目に惚れた?」
「そう! あの筋肉質で金髪碧眼。私のタイプ!」
「……マッスル団長の生き様には惚れてないんですか?」
「生き様? ああ、それに惚れてなくて私は見た目だけ……」
「この解釈違いがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
店の外まで聞こえていただろうか。私はそう叫んだ。周りの迷惑も、考えるのを忘れるほどに。
「見た目に惚れた? 一緒にすんな! 私はマッスル団長の生き様に惚れたんだ! 外見しか見てないあんたとは……」
「皆さん、失礼しましたー!」
私の手を掴み、急いでこの店から出る母ちゃん。私の上着も手にして。
結局商業施設から出て、現在はハンバーガーショップにいる。あの施設のフードコートにもハンバーガーショップはあるが、母ちゃんが「もう、あそこ行けないわ」と絶望感溢れる顔でここに入った。
「で? 何であんなに怒ったのよ?」
「だって、マッスル団長を見た目だけで好きって言うのが許せなくて」
「そうだよね〜。見た目だけじゃなくて、全てを愛さないとね〜」
「……いつからいたのかしら? みく?」
母ちゃんと向かい合って座っていると、いつの間にか私と同じ仕事で、友達の
茶色の長髪で、おっとりした口調と顔。ニットのワンピースで隠し切れない大きな胸。そして、何故か私のところに急に現れる事が多い二つ歳下の女の子。
「まあまあ、気にしないで〜。それより、かなちゃん。大好きな推しが死んだから休んでるんだって〜?」
「うぅ……」
「かな、また泣くんじゃないわよ。それと、あんた何で知ってんのよ?」
「かなちゃんの事は全部知ってるよ〜。わたしの事ももっと知ってほしいくらいに〜」
「この、かなのストーカーめ」
母ちゃんが何か言ってたけど、泣くのを我慢してたから聞き取れなかった。
「かなちゃん、推しが死んで悲しいのは解るよ〜。でもね〜?
その大好きな推しの分まで、楽しく生きるって考えるのはどうかな〜?」
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