剣の頂
「では、死ね」
「――」
斬撃が、奔る。
ロータスの体を斬り裂く、キルエラードの権能による不可視の斬撃。
一度や二度ではなく、同時に、絶えず、無数。
身を引いたところでその先にも斬撃を放たれ、剣で防ぐにはキリがない。
100、500、1000――
何とか致命的なものだけは集中して避けるが、斬撃が重なるたびに体中にいくつもの斬傷が刻まれていく。
「よく耐えるな。だが、いつまで続くだろうな。貴様は無数の斬撃を絶えず浴びせられ、私はとくに消耗することもない。仲間の救援でも待つか?」
「……クク、ナメられたものよな」
「ふむ」
ふいに、キルエラードが権能による攻撃を止める。
「どうした、休憩か」
「貴様、まだ勝てると思っているのか?」
「クク、異なことを言うな。勝てると思わず戦う者などいないじゃろ」
「だが、貴様に勝ち目はないぞ。このまま続けていれば、私の勝ちは揺るがない」
「そうかもな。だが、ワシは今最高に楽しんでおるぞ?」
ロータスの言葉に、キルエラードは眉根を寄せた。
キルエラードの権能によって全身を斬り裂かれたロータスは、傷だらけで無事な箇所などどこにもない。
肌のほとんどが見えないほどに血だらけで、疲労や出血によって体はふらついている。
どこからどう見ても立っているのがやっとの様子だ。
それにも関わらず、ロータスは笑っていた。
楽しくて仕方がないと言わんばかりの好戦的な笑みを浮かべ、ふらつく体とは正反対に眼光は鋭くキルエラードを睨む。
「理解できんな。人類の強者には、神器とかいう力があるのだろ。使わないのか?」
「使っておるよ。ワシの神器――『悪魔の義眼』は周囲のすべての
「それが貴様のあの守りの要因か。どれだけ剣を振るっても、まるで未来を知られているように対応された。まさしく、未来を視ていたと言うわけだ」
「そうじゃな。だが、お主の権能には意味がないらしい」
ロータスの神器は未来を
敵の視線や筋肉の動き、風の流れ、小さな環境の変化、魔法の前兆…………観測できる現在のすべての要因を解析し、検証し、確定的に訪れる少し先の未来を予測する能力だ。
ゆえに、キルエラードの権能は天敵だった。
その権能による力は、予兆や予備動作などはなく突如として斬撃がその場に現れるのだ。
キルエラードが発動すれば、瞬時。
その発動の意思こそが予兆と言えるかもしれないが、『悪魔の義眼』はこの世の物質のすべてを観測できるが、他者の思考を覗くことはできない。
故に、キルエラードの権能を神器の力で予測することはできなかった。
ロータスは斬撃が肌に触れる瞬間の感覚と、長年の経験と勘によってキルエラードの権能を防ぎ続けていただけだ。
「知らず知らずのうちに、ワシはこの力に甘えていたのじゃろうな。使えないとなった途端、このザマよ。斬れ味の良すぎる武器は、時として持ち主の力を錆びつかせる毒か。ま、それが絶対的に悪いことだと思わんが」
脳裏に浮かぶのは、レヴィやメリーネ。
武具や小細工に頼りすぎることはなく、ただひたすらに己を高めるあのやり方はとても好ましい。
ロータスは自嘲する。
がむしゃらに剣を鍛え、神器を手に入れ。それでもなお、己を高め続けてきた。
――昔の話だ。
今となっては体の衰えを理由に神器に頼り、昔ほどの貪欲さもなくしていた。
「この神器も、強い武器はいらないと願ったから得たものだったか。たしか女神様は、それなら決定打ではなく戦闘の補助になるものを、と選んでくれた。それなのにワシは、いつの間にかこれを戦いの中心に置いておる」
「? 貴様、何を」
「女神様よ。せっかく選んでもらったのに、不信心なワシを許してくだされ。悪いが、今はワシには邪魔なようじゃ」
そう言ってロータスは自身の右目を手で覆い――抉り出した。
「…………正気か、貴様」
「正気じゃよ。お主のおかげで初心を思い出せたわ。剣士にとっての主役は、剣であるという当たり前のことをな。ククク、間違っても目ではないよな」
ロータスは楽しげに笑う。
「なんとも爽快な気分じゃな。絶えず頭に流れていた情報がすべて消え去った。ワシは今、この
あぜんとするキルエラードを後目に、神器ごと抉り出した右目を投げ捨てたロータスは剣を構える。
「血は足りん、足はおぼつかず、敵は強大、視界はこの左目だけ、未来なんぞまるで見えはしない――それがどうした! 剣士とは、常に死中に生を見出す者。つまり、今のワシこそ絶好調というわけじゃ!」
「狂っているな。だがまぁ、これも剣士の在り方か。貴様の剣に敬意を持って、殺してやろう」
再び、発動するキルエラードの権能。
ロータスの全身を、無数の不可視の斬撃が絶えず斬り裂き続ける。
だが、さっきまでとは違った。
さっきよりもロータスの動きが良くなっているのだ。
「…………どういうことだ?」
「言ったはずじゃろうて。頭がすっきりしてるのよ!」
神器『悪魔の義眼』は常にロータスに未来の観測結果を知らせ続けていた。
その能力は便利で強大だが、彼の脳へと少なくない負荷を与え続けていたのである。
だが、ロータスはその
強力無比な神器とはいえ、キルエラードの権能に対して無力なのであればこの戦いにおいてはただの邪魔にしかならなかった。
それがなくなった今、ロータスの頭はとてもすっきりしているのだ。
ようするに、脳の負担が減っていつもより集中力が増した。
それだけである。
「ククク、感謝するぞ魔族の剣士よ。ワシはまだまだ強くなれるらしい」
キルエラードの攻撃を防ぎ続けていたロータスは、次第にその動きを減らしていく。
当然、斬撃への対処をやめれば斬り刻まれるだけ。
そのはずだったが、なぜか動きを減らしていくにつれてその体への斬傷は減っていった。
「っ!? 貴様、何をした!?」
「死中に生を見出した、それだけよ。師であるワシが弟子の技に活路を見るとはな。クク、やはりあの娘は面白い」
ロータスのやったことは、敵の攻撃に反応して闘気を操作して瞬時に盾とする技術――メリーネの持つ、闘気による自動防御と同じものだ。
戦いが始まる前、メリーネの『
そこで見た彼女の技術を、ロータスはこの土壇場で再現してみせたのだ。
しかも、ただ再現するだけにはとどまらない。
キルエラードの斬撃は威力がかなり高く、手数も無数と言えるほどのもの。
ゆえに、ただの闘気の自動防御では間に合わない。
より精密で、より早く、より強固。
メリーネのものよりもさらに高度に再現した闘気の自動防御が、キルエラードの斬撃を防ぐ。
「ハッ、その老体で強さの天井には至っていないのか。無茶苦茶なやつめ。これが人類最強の剣士、『剣聖』というわけか」
「そうじゃな。竜王女殿下、レヴィ、バカ弟子……ワシより強き者はいれど、こと剣に限ってはこの老木に並び立つ者などこの世には1つとありはせん。ゆえにこそ、ワシは『剣聖』の名を背負うのじゃ」
『竜王女』エレアはロータスより強いだろう。
人類最強たるその強さはもはや埒外の域にあり、ロータスは自身の力が彼女に及ばないことを知っている。
『白銀』レヴィはロータスより強いだろう。
接近戦では負けない。だが、遠距離から超威力、広範囲の魔法を怒涛のようにぶつけられれば、未来が見えたところでどうしようもない。
レヴィの魔法はキルエラードの斬撃よりもはるかに威力が高く、耐えるには限界があるとロータスは察している。
『二代目剣聖』メリーネはロータスより強いだろう。
人類の規格を超えた圧倒的な身体能力に、自己の強化と超威力の攻撃という神器。
その二つが合わさったどこまでも純粋な力は、技や小細工をすべて真正面からねじ伏せる理不尽だ。
ロータスには、彼女と同じことはなどできはしない。
だが、剣だけは。
剣に限って言えばロータスはこの世界の誰にも負けないと自負しており、それが『剣聖』たる誇りであった。
「さて、魔族の剣士よ。お主の力は、もうワシには効かんぞ。降参するか?」
「フッ、貴様は勝てると思わず戦う者などいないと言っていたな。その通りかもしれないな。どうやら、私は貴様に負けたくはないらしい」
「クク、それでよい」
斬撃がその密度をさらに増していく。
だが、その渦中にあるロータスはただ立っているだけ。闘気の防御によって、そのすべてを防ぐ。
ロータスはゆっくりと、剣を構えた。
「のう、魔族の剣士よ。剣の頂はどこにあると思う?」
「さあな。そも、そんなものがあるのか。あるとして、私たちの身がそこに到達することはあるのか」
「そうだな。目指す頂はいまだ遥か。剣の深奥、その果ては、この身老いさらばえ朽ちゆきとも彼方。だが、剣の頂というのはたしかにあるのじゃ」
「……もしそんなものがあるのなら、見てみたいものだな。剣を手に取った、一人の剣士として」
キルエラードの言葉を聞いたロータスは、にやりと笑う。
「であれば、一つ。
剣を構えたロータスから発される尋常ではない剣気が、空間を満たし、軋みを上げさせる。
「故に示そう。我が
――ロータスが、剣を振る。
その剣はゆっくりと振るわれ、ただ何もない空を斬った。
だが、それだけではなかった。
それは、ロータスが長きにわたる研鑽の末にたどり着いた剣の一つの境地。
極限まで研ぎ澄まされた剣は、今のすべてをねじ曲げて、『斬る』という現象を世界に上書きする。
剣を振ったから、斬ったのではない。
すでに斬ったから、ロータスは剣を振ったのだ。
これはそういう、剣だった。
「…………これが、剣の頂か。あっぱれだ」
「――まだほんの、指先程度よ」
満足気な笑みを浮かべながら、身がわかたれ崩れ落ちるキルエラード。
一人の剣士を見送ったロータスは、ゆっくりと剣を鞘に納めた。
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