銀腕の使徒

 気づいたら、知らない場所にいた。


 晴天の空、波の1つもない凪の海。

 海の上に立つ俺はなぜか沈むことはなく、果てのない水平線しか存在しない世界にただ1人。


「なんだここは」


 呟いて、ふと気づく。


 いつのまにか隣に誰かが立っていた。


「よくたどり着きました。異なる世界の魂を持つ人の子よ」


 足元に届くほどの異様な長さの金色の髪。

 紫色の眼。女性らしい起伏のある体をした、背の高い女だった。


 その表情はうつろで無機質。

 何を考えているのかまるでわからないが、1つわかるのは目の前の存在が人間ではないということ。


「その姿……女神か?」


 この世界で信仰される、『人の女神』と呼ばれる存在。

 不思議なことに教会などにある像で見た姿、そのままだった。

 そういえば、ダンジョンの最奥の像も同じだったか。


「あなたを転生させ、この世界に呼んだ甲斐がありました。滅びの運命をたどるこの世界。すでにあなたは、多くの人間の運命を変えて未来の行末を変化させている。喜ばしいことです」


 どうやら俺はこの女神に転生させられたらしい。

 滅びの運命というのは、ゲームで言うところのバッドエンドという意味だろうか。

 たしかに、『エレイン王国物語』は高難易度のゲームであり、主人公がいたところでバッドエンドルートは無数にあった。


 おそらくこの世界の運命は、そんな数多くあるバッドエンドルートに行き着くはずだったのだ。

 そして、それを覆すために俺という存在を転生させたのだろう。


 メリーネという人類最高の戦力になりうる存在を見出した。

 ケール村を救い、途方もない魔法の才を持つイブを助けた。

 魔族に洗脳され強大な敵になるはずだったネロを、そうなる前に見つけだした。


 もしかしたら、叔父上の病気を治したことでもこの世界の未来に大きな変化をもたらしたのかもしれない。


 それらの出来事が、きっとこの女神のお眼鏡に適ったのだろうな。


 しかし、ムカつくな。俺を転生させたことは別に良い。

 むしろメリーネと出会えたことや、前世であれだけ好きだった世界で生きていけることに関しても感謝している。


 だが、そもそもの話だ。


「この世界の滅びの運命は、あなたの身から出た錆だろ。女神様」


「ええ、『始まりの使徒』が世界を滅ぼす選択をしてしまったこと、残念に思います」


 言葉とは裏腹に顔に残念そうな色はなく。

 平坦な声で、変わらずの無表情で、他人事のような振る舞い。


 そもそも、今のこの世界の状況や未来の滅びはすべてこの女神が原因なのだ。

 なぜなら女神が最初に神器を与えた人間――それが後の魔王だから。

 世界を滅ぼそうとする魔王の存在は、元をたどればこの女神がかつて人であった魔王に力を与えてしまったせい。


 その責任ツケを、これから魔族との戦いに身を投じることになる人類。そしてこの世界を救う宿命を背負う『エレイン王国物語』の主人公。

 ついでに、俺や七竜伯の『変態』とかいう転生者疑惑のある奴に転嫁させているだけだ。


 いったいどれだけ犠牲が出ると思っているのか。

 言ってしまえば魔王や魔族だってこいつの犠牲者と言えるかもしれない。


 だがまあ、神と人間の思考なんてまるで違う。

 女神には女神の理論があり、俺には俺の思いがある。

 それこそ、人と魔族の思考の違い以上に乖離した考え方の違いがあるのだろう。


 理解し合えない相手と問答をするなんて時間が無駄なだけだ。


 女神との邂逅なんてゲームにはなかったイベント。

 この世界を愛したゲーマーの俺にとっては、たしかに心躍ることなのかもしれない。


 だが、今の俺は無責任な女神なんかよりもはるかに大切な奴らを待たせている。

 今こうしている間も、メリーネたちは必死にリルフィオーネと戦っているのだ。


 なのでさっさと神器だけもらって帰りたい。


「魔王は倒す。世界も救う。俺のできる範囲にはなるが、それは約束する」


「感謝します。人の子よ」


「だが、それは俺が死にたくないからで、俺の大切な奴らを死なせたくないからだ。だからさっさとリルフィオーネに勝てるような神器をくれ。女神様と話してたら間に合いませんでしたじゃ、俺が第2の魔王になるぞ」


「それは困りますね。では、望み通り力を与えましょう」


 女神が1歩前に出て、俺の額に指を当てる。

 瞬間、俺の体に流れ込む得体の知れない力。


 同時に襲いくる、強烈な痛み。

 痛みに耐性のある俺ですらキツイと感じるそれは、体の内側をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような不快感を伴った激痛だった。


「ぐっ――!」


「拒絶せず、受け入れなさい。我が神力があなたの体に宿り、神器として形を成すのです」


 言われた通りにひたすら耐える。

 目も開けられないような痛みが続き、しばらく経つとそれは収まる。


「終わりました。目を開けなさい」


 ふと、無くなっていたはずの右腕に感覚があることに気づく。

 見ると、そこには白銀の義手があった。

 白みの強い銀色。サイズは元の腕と変わらず、前腕には何やら複雑で美しい紋様が描かれている。


 義手であるのに、まったく違和感なく動く腕。

 これが俺の神器――


「『真銀の義腕』。あなたはこれより、我が使徒となりました。あなたに下す神命はただ1つ、この世界の滅びの運命を覆しなさい」


「言われずともやるさ」


 俺が答えると、女神はゆっくりと頷いた。


「能力の説明は必要ですか?」


「いや、なんとなくわかる。それより早く俺を元いた場所に戻してくれ。もちろん間に合うよな?」


「ええ。あなたの仲間たちは、類稀なる優秀な人の子。失われるのは私にとっても本意ではありません。確実に間に合うことでしょう」


 ――では、行きなさい『銀腕の使徒』よ。我が神命を果たしなさい。


 そんな女神の声を最後に、俺の視界は白く染まった。

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