灰の中で

「はあ……はあ……はあ……」


 森であったはずの第4階層はその様相を一変させ、すべてが真っさらな灰の世界へと姿を変えた。

 そこには魔物の1匹すらも気配がなく、無と形容されるような空間が広がっている。


 俺はかつてないほどに消費した魔力の影響か、とてつもない疲労感を感じながら肩で息をする。


「レヴィさま、大丈夫ですか?」


「ああ、疲れただけで、異常はない」


 心配気なメリーネにそう返すと、彼女は安心したようにほっと息を吐いた。


 我ながら無尽蔵な魔力量だと思っていたが、これだけ消費するとさすがに底が見えてくるな。

 今の魔法に9割近くの魔力を注ぎ込んだから、残ったのはたったの1割ほどだ。


 とはいえ、それでも平均的な宮廷魔法使いの10倍近い魔力量は残っている。

 消費が激しい黒炎魔法を使うのを控えれば十分すぎる魔力量だろう。


「それにしてもさすがですね、レヴィさま! こんな規模の魔法は七竜伯の魔法に匹敵するのではないですか?」


 メリーネがそう称するのも無理はない。

 この第4階層は領都アルマダが2つは入りそうな大きさだ。

 これだけ広大なダンジョンの空間を一度の魔法で灰燼にしたのだから、それを七竜伯の魔法に例えたくもなるだろう。


 仮にこれを地上で放てば、数万の軍隊や大きな街すらたやすく壊滅させられるな。

 そんな機会は別に求めていないが。


「メリーネ、空から階段を探すぞ」


「了解です! これなら探しやすそうですね」


 スラミィにグリフォンへと変身してもらって、その背中にメリーネと2人で乗り込む。


 木々が失われた第4階層は空からだと見晴らしがよく、これならかなり楽にダンジョンの先へと続く階段が見つかりそうだった。


「わあ、本当に全部燃やしちゃったんですね」


 空から見渡したメリーネが感嘆する。


「他人事みたいだな。お前が燃やせって言ったんだが」


「えへへ」


 メリーネは笑って誤魔化した。

 仕方ないので誤魔化されてやろう。提案したのがメリーネとはいえ、実際にやったのは俺だしな。


「これって、ちゃんと修復するんですよね?」


「そのはずだ。ダンジョンの損傷は魔物の減少と同様に自動的に補修されるものだ。まあ、この規模の損傷だとしばらくはこのままかもしれんがな」


「そうなのですね」


「それにこの階層までやってくる探索者なんてほぼいないだろうし、誰かに迷惑をかけることもないだろ」


 B級の魔物が手の届かない頭上から狙ってきて、そのくせ自分たちの動きは徹底的に阻害される構造なのが、この第4階層だ。

 人間の中ではかなりの強さであろう俺たちですら苦戦するここを探索しようなんて、そんなモノ好きはなかなかいないだろう。

 そもそも第3階層のボスのグリフォンを突破できるやつがどれほどいるのかという話だ。


 そう判断したからこそムスペルヘイムを放った面もある。


 このアルマダのダンジョンを探索することで生計を立てている探索者は、そのほとんどが第1階層か第2階層を狩場にしている。

 ここまで降りてくる探索者は本当にごくまれだ。


 それに加えて、念のためムスペルヘイムを使うときは他の探索者に危害がないよう配慮して条件付けを行った。

 仮にいたとしても直接的な怪我などは与えていないはずだ。


 しかしまあ、こんな階層に人がいるわけがないだろうけどな。

 まさかな。


「あ、レヴィさま! あそこが少し盛り上がってませんか?」


「ん?」


 メリーネの指差す先を見ると、たしかに真っ平らな灰の絨毯の中で小山のように盛り上がってる部分があった。

 灰をかぶっているため、何があるのかはわからない。

 しかし、そこに何かがあるのは明らかだった。


「もしかしたら宝箱かもしれませんよっ!」


「いや、この様子なら宝箱も燃えてると思うが」


「とにかく見てみましょう!」


 メリーネがスラミィに指示を出す。

 魔物はすべて倒せたと思うが万が一ということもあるので、一応すぐに魔法が使えるよう警戒くらいはしておくか。


 灰が盛り上がった場所に近づく。

 すると、何やら声が聞こえてきた。

 あまりにも小さな声で聞き取れないが、それはまるで人間の声のようだった。


「いや、まさかな」


 こんな階層を探索している者などいるわけがない。

 俺はそう判断する。

 きっと、そう。これは風の音かなんかが人間の声に聞こえるみたいな、あれ。

 そのはずだ。


 しかし、メリーネはあることに気づいたらしい。


「レヴィさま。これって、人がうずくまって丸まったらちょうどこのくらいの大きさになるんじゃないですか?」


「……」


 言われてみると、たしかにそんな感じに見える。

 まさか本当に人なのだろうか。

 だとしたら申し訳ないことをしたかもしれない。

 怪我はさせなかったとはいえ、この階層が修復するまでのしばらくの期間狩場を奪ってしまったことになるのだ。


 謝罪ぐらいはするのがスジだろうな。

 俺はそう判断し、灰の小山へと声をかける。


「おい、そこにいるのは人か?」


 謝罪の前に、まずは本当に人間なのか確認しなくてはならない。

 そう思って問いかけると、小さな声がとぎれて小山がぴくりと動いた。


 それを見て、そこにいるのが人間だと判断した俺は言葉を続けた。


「どうやら俺の魔法で迷惑をかけたみたいだな。もう黒炎は消えたし魔物もすべて倒した。今はこの階層には危険がないから、隠れてなくても平気だぞ」


 俺の言葉に反応したように灰の小山は動きだす。


「あ、どうやら人間だったようですね」


「まさか本当に人間だったとは……いや、待て――!」


 灰を振り払い、その姿が見え始めると俺は思わず身構えた。


「危険はない……出れる……にんげん……?」


 小さく呟くそいつは人とはかけ離れた姿をしていた。

 2本の手足があり、直立するその姿はたしかに人間のものと同じ。

 しかしその体には人の肉体にあるはずのものがなく、逆に見えてはいけないものだけが見えていた。


 メリーネが青い顔をする。

 無理もない。なにせ、そいつの姿は人間に根源的な恐怖を抱かせる恐ろしいものだったから。


 皮がなく、肉がなく。

 剥き出しの骨。ただ、それだけがあった。


「出、出る、出られ、出、出ろ、出出出出出出出」


 意味のなさない言葉の羅列。

 骨格標本のようなそいつがうわごとのように繰り返す様子は、あまりにも不吉で不気味。


「出、出るううう? ――」


 立ち上がったそいつは突然黙りこくると、その首をぐりんと回してこちらに向ける。


 不吉で不気味なしゃれこうべ。

 ぽっかりと空いた真っ暗闇の眼窩の奥に、ふと赤い光が怪しく宿る。

 ――目が合った気がした。


「 あ 」


 次の瞬間、やつは笑った。

 表情を浮かべることのできない骸骨の顔であるはずなのに、俺は身の毛がよだつような感覚とともに直感したのだ。


 こいつは、俺たちを見て、笑ったのだと。


「 に ん げ ん だ 」

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