第5話

 大阪府道頓堀付近。バイクを駐車し刀を手に堂々と歩き回っていた。フルフェイスのヘルメットだが犬のキーホルダーがついた大太刀を持っているのは彼しかいない、神代組の隊長だと人々はざわめき、警察は面倒くさそうに肩を落とした。

「犬飼隊長、なぜこちらに……」

 第一機大阪府隊に立ち寄るとトップである府隊長が対応した。ヘルメットを脱いで小脇に抱える彼を少し迷惑そうに見る。時刻は朝の八時頃、平日だ。

「いやあ、探しとる人がおってなあ。目撃情報ないかと思って」

 ヘラヘラと変わらぬ調子に府隊長は「はあ……」と返した。視線が一瞬刀に行く、人を探しているのになぜ零式を持っているのか、勿論その疑問は犬飼でも読み取れた。

「この刀と似たもんを持った女を見んかったか」

 零式を前に突き出して問いかけた。声のトーンが一つ下がり、府隊長は少しどきりとした。彼の桃色の瞳には鋭い眼光があった。

「私自身は見てませんが、府隊内でそれっぽい噂話が広がっとるのは補佐から聞きました。聞き流してしもうたんで詳しくは知りません。補佐に直接訊くのがええかと」

 元々府隊の一般隊員だった名残か、ここの隊長だけは犬飼に対して比較的ラフな言い方をする。飾らないその声音に刀をさげた。

「ほな訊いて来るわ。相変わらずジムにおるんやろ?」

「ええ。ついでに隊長もしてったらどないです。昔よりも細おなってますよ」

 軽く笑う。それに「かっこよーなったってゆうてー」とケタケタ返し、併設されているジムに向かった。

「ああ、“影女”って言われてるやつですね」

「影女?」

 府隊長補佐は犬飼の後輩にあたる。ベンチに腰かけたまま汗を拭う。上官というより先輩に対する態度と調子で続けた。

「夜にしか現れんうえに路地裏か屋上ばかりでシルエットぐらいしか分からん、だから影女って言われてるんですよ。一般人の目撃はないんで、もしかしたらそーゆーBEASTなのかも知れません。ただシルエットぐらいしか分からんとは言え、光の具合とかで何人か顔の辺りを見たって隊員はおります」

 髪は赤黒く染めており、オールバックのような感じで口元は黒かった。そして首には“ドックタグ”がぶら下がっていた。隊員達の証言で一致しているのはこのぐらいで、後はバラバラだったと補佐は口を閉じた。

 ドックタグ、それは犬飼の首にもかかっており、神獣の隊員にも複数名存在する。ただ犬飼のドックタグは一枚しかなく、その影女も一枚だけらしい。

「……犬飼先輩、貴方一人じゃ探しきれんと思います。だから」

「いやいい。俺一人で十分や。俺がいい言うたらいいんや」

 一つ息を吐き、最後にそれぞれの目撃した場所を教えてもらった。適当な紙にそれらをメモしたあと、府隊を後にした。

 犬飼が大阪で探し回っているあいだ、蛇塚は頬を硬直させていた。

 玄武:視(シ)、十秒間相手の思考を透視できる代わりに発動中、酷い悪寒が本人を襲う。だが訓練でそれは克服した。代償に表情筋が定期的に硬直するようになり、それもあって常に笑顔の仮面をつけている。

「残念ながらこちらにメリットがありません。犬飼の零式を公安が見逃しているのは過去の事件もあるからです。ですが他式長は日本企業の武器で十分です」

 恐らく彼らに基準値以上の武器は扱えない。白鷹は平気だろうが他は武器に振り回されて終わりだ。体組織が多ければ多い程重たく、精神力も持っていかれる。

 ただ神代組自身が職人を抱え込み、幾つかの企業と上手いことやれれば基準値はともかく、規定は超えられるだろう。そうすれば多少は強くなる。それを海外マフィアの職人にやらせる訳にはいかないし、これ以上調子に乗らせる訳にもいかない。

 マオは口先では国を荒らす事になるからと黒貓貓をあまり関わらせないようにしているが、本心は逆だ。あわよくば、日本の裏社会を少しでも手のなかに入れたい。どうにかして懐に潜りたがっている。蛇塚にとってその本心は丸見えだった。

 BEAST元祖帯、一番最初に現れた、発音が一音のものを指す。それらは相手が国のトップでも恋人でも明かす事は出来ず、BEAST検査などにも引っかからない。唯一判断出来るのはシャボン玉のように常に動く、虹色の瞳だけだ。

 然し蛇塚はそれを隠す為にも胡散臭い身なりで常に眼を細めている。BEAST持ちかどうかすら、近くにいる七泉でさえ判っていない。勿論マオなら尚更の事、中を覗かれている事も知らず口先だけの言葉を連ねた。

 難攻不落の城を相手にマオが苦戦している頃、犬飼は一つの目撃情報を手に入れた。それは繁華街の奥の方で、夜にしか現れないという情報とは逆についさっき見かけたというものだった。

 罠か、嘘か、単なる酔っ払いの見間違いか、どちらにせよ犬飼のなかには苛立ちがあった。

 自分と同じ刀を持つ得体の知れない女……一種の同族嫌悪かも知れない。彼にとってはドッペルゲンガーのような不気味な感覚があった。零式を考え提案し所長に伝えたのは自分だけなのに……。

 ヘルメットを被ったまま路地裏を進む。その先には少し開けた場所があり、十代の頃にそこでタバコや酒を仲間と嗜んでいた。殆ど景色が変わらないのなら、今でもぽっかりと空いているはずだ。

 ざっとブーツの底が鳴った時、頭上に一瞬の影を感じ、避けた。

 振り向く。そこには長い刀身があった。柄を握る女が徐に上半身をあげた。

「影女」

 赤黒い髪に黒のリップ。そして胸元には一枚のドックタグがあった。刀を一瞥する。長さも形もデザインも、まるっきり零式と同じだ。

「なんのつもりや。いや、もしかしてコスプレイヤーか? やとしたらえらい完成度やな」

 刀を持ったまま親指の付け根辺りを右手で叩いた。籠った拍手の音とかちゃりという音が鳴る。

「……日本人か、お前」

 ヘルメットを片手だけで脱ぐと睨みつけた。風が吹き、ヘルメットで押さえつけられ平たくなった髪が揺れた。

 女は無表情で、まるで人形のよう。より一層気味が悪い。格好も性別も違うが、彼の隊長としてのブランドを丸々コピーしたような、なんとも言えない人外感を覚えた。

 精神力を奪い、本能的に凄まじい恐怖を植え付け、人間を狂気に陥れる邪神に仮面なしで立ち向かえる彼が、この得体の知れない人間の女には純粋な恐怖や気持ち悪さを感じた。じりっと後退る。相手は動かない。

「なんも言わんのやったら、実力行使や」

 ヘルメットを投げ捨て、柄に手をやった。ブーツの底を擦りながら脚を広げる。ぐっと親指で鍔を押した。

 刹那、がきんっと金属同士がぶつかる。ぎちぎちと刃がお互いを削り合う。白銀の長い刀身、黒と桃色の柄。然し犬のキーホルダーだけは片方にしかなかった。

 犬飼側が刃を弾き、距離を取る。張り詰めた空気が雑居ビルに囲まれた小さな空間を支配した。

「なんなんや、ほんま……」

 気味が悪い。ざわざわと心の奥深くが居心地悪く疼いている。

 まるで人間が邪神を見た時に感じる恐怖と拒絶反応みたいだと彼は思った。神獣の精神科医から教わった事と丸っきり同じだと彼は思った。

 とても相手を同じ人間だとは感じられない、刀を構え、歯の隙間からゆっくりと息を吐く。

 いや、確実に人間ではない。人間のふりをした何か、そう思った瞬間、ケルベロスの幻影が犬飼の背後に現れた。

「BEAST解除」

 ぼそりと呟いた。桃色の瞳は蛍光色のように光り、血圧上昇に伴い血管が浮き出る。そして口を開け、短く呼吸を繰り返しはじめた。時、刃がぶつかる。

 犬飼は驚いた表情で背に手をやって耐えつつ、左足を後ろに退いた。弾いた後にも攻撃が来る。

 BEASTは死を覚悟で全てのリミッターを解除出来る。その際、それぞれの力の元とされている幻獣や神獣が幻影として現れ、邪神を一時的にでも怯ませる。勿論人間が相手でも効果は抜群であり、犬飼などのイカれた精神力であれば死ぬ事もない。

 しかし。

「ちっ、なんやねん! ケルベロス出しても意味ないやんけ!」

 相手の刀を防ぎ、弾き、受け流す事しか出来ない。一切衰えない隙のない連撃に舌打ちし、とうとう壁際まで追い込まれた。ケルベロスの幻影は女を睨みつけて唸っている。

 がきんっ、一際大きく鳴る。スーツ越しにコンクリートの冷たい感触が伝わる。

「こちとら、人類最強やねんぞっ」

 ぎりっと歯を鳴らす。犬歯を剥き出し、ふーふーとまるで威嚇する犬のように息を吐く。

 更に押し込まれ、べったりと背中も尻も踵も壁に当たった。相手の双眸は黒色だ、なのに本家帯である暴のBEAST解除を上回る力で押し込んでいる。

「くそっ、たれ」

 自身の刀の鍔や峰が身体に食い込みはじめ、反対に相手の刃は長いのを活かして首に近づいた。邪神の体組織で作られたライダースーツは首まできっちりとある、だがその体組織を斬る為にこれらの武器は特別に造られている。

 地肌に金属の冷たい感触が伝わる。真っ黒な双眸を至近距離で睨みつけ、更に力を入れる。ばきんっと耐えきれなくなった奥歯が砕け散った。と同時に、薄汚れたコンクリートの壁に鮮血が飛び散った。

 ややあってがたんっと重たい刀が落ちる。ずるずると滑る音を奏で、壁に寄りかかる形で膝を折った。

 対邪神用の武器はその性質上、邪神以外を傷つけると止血が不可能になり、また壊された細胞から一気に腐食が始まる。その為対邪神用に関する法律や規則は一般の銃よりも遥かに厳しく、防神用として販売されている物も医薬品以上に厳しく審査されている。

 どくどくと黒いライダースーツの上を流れていく。勿論止血が不可能なのも腐食するのも犬飼は知っている。何もせず、何も出来ず、朦朧としはじめる眼で女を見た。

 女の後ろにいるケルベロスの幻影は既に消えており、BEAST解除の代償として身体に大きく切り傷が出来た。普段ならばその時点で回復タイプのBEAST持ちが飛び出してくるが、ここに彼らはいないし府隊もすぐに気づくはずがない。

 出血量が多くなり、呼吸が浅くなる。

「……なんなんや、お前は」

 かすれた声で呟く。女は視線を外して彼の近くまで行った。それは刀の方で、右足をあげた。

 ぱきんっと機械の壊れる音が響く。足をあげる。潰され、中身が飛び出した犬のキーホルダーが見えた。

 それを見て犬飼は笑った。

「くそがらす」

 好きでもない、ただ朝烏の身元を偽造する為に蛇塚に金と女を積まれて結婚しただけ。だが死の間際になって不意に思う。朝烏がいやいや言いながらも作る炒飯を食っておけば良かったと。

 犬飼の負傷に関しては報道規制が敷かれ、府隊は形式上ではあるが責任を問われた。勿論大元である神代組も同様だ。神獣本部からすれば日本一の核爆弾を壊されたようなものだ。

「BEAST解除の痕があるみたい」

 七泉が蛇塚に伝える。

「そうですか」

 その声はトーンが低く、静かに怒りを溜めているのが分かる。何に対する怒りかは分からない。だが自身の判断ミスに関して苛立っているのは確かだ。

 邪神はいつ何時現れるか分からず、ランクも型も予測はつかない。自然災害と変わらない。だがどんな相手だろうと現場に立たせればほぼ確実に殺す事が出来る。蛇塚は頭を抱え、下唇を噛んだ。

 一先ず死は免れたが、回復する見込みはないと神獣の医者達は口にした。無理矢理止血したものの腐食は抑える事しか出来ない。しかも首という最悪な場所、脳に到達するのも時間の問題で、その前に意識を取り戻したとしても長くはない。

 先は暗く、第一機隊の士気はがくんと落ちた。このままランクの高い邪神が出現すればどうなるか……神獣本部は苦肉の策で対邪神用殲滅兵器「天照」と「草薙」を使用するか、アメリカの邪神対策局、通称GOD MOTHERに応援を要請するかで常に慌ただしく、怒声も飛び交った。

 だがどのみち殲滅兵器の導入は避けられない。GOD MOTHERの隊長クラスが来てくれる程向こうも平和ではないし、犬飼と同等かそれ以上の力となると兵器しかなくなる。

 ただ日本の武器防具、その他邪神に関する技術や品物は海外でも使われているし、何より評価も高い。アメリカやフランスなど、多くの諸外国では隊員の五割が日本製の刀を使用しており、剣術も日本人の師範がしっかり教え込んでいる。

 殆どの対邪神組織に関して、日本の刀は銃と並ぶ程にメジャーで威力の高い武器として広まっている。その日本の武器がなくなるような事があればどうなるか……近年確認されている邪神のなかには、銃や戦闘機、戦車と同じく刀に対して警戒する個体もおり、それだけ脅威になっているという事だ。

 アメリカのGOD MOTHER以外にも様々な国から助け舟が来るだろう、だが同時にデメリットもあるし、単に助け合ってどうこうという問題ではない。一国が絡んでいる以上仕方の無い事だ。

 そう揉めているあいだに事は起こった。

 二千二十三年四月中旬、犬飼が殺されかけてから数ヶ月が経った頃、東京、愛知、大阪、福岡の計四箇所でランク不明の人型が複数体出現。しかもそれらは“人間と全く同じ姿かたちたった。”

「ちょっと、何よあれ」

 朝烏が呟く。少し震えた声に卯野が唸った。

「こっちも何がなんだか」

 キャンディを噛む余裕もない。それもそのはずだ、全く同じ機体のヘリが目の前でホバリングをしている。卯野のヘリや戦闘機は特注品であり、ウサギのマークが機体に描かれている。勿論、相手のヘリにも。

「気配は邪神っぽいけど」

 白鷹が柄に手を伸ばしつつ訝しげに言った。向こうの手にも同じデザインの両刀がある。

「総隊長、一体どうなってるんですか」

 装甲車両の上でしゃがんだまま相手を睨みつける。両手に嵌めている攻撃用のグローブも、腰や太もも、背中にある銃の類も全く同じだ。

『分かりません。七泉がドローンを向かわせています。対象が動き出さない限り待機しておいてください』

 蛇塚の声は淡々としているがいつもより雰囲気が違う。「待機って」と朝烏が吐き捨てた。

 先輩達が狼狽えているなか、猿楽は白鷹の指示で装甲車両のなかにいた。仮面を首にぶらさげ、卯野から貰ったガムを噛む。とんとんっとリズムを刻むようにつま先を鳴らした。

 刹那、がこんっと装甲車両の天井が大きくへこんだ。咄嗟に身を低くし、両開きの扉に手をかける。

 然しそこから扉を突き破ってくるのが一本。それは猿楽の持つ伸縮可能な棍棒で、眼を丸くしたまま相手を見た。若い女だが大人なのは分かる、覇気のない人形のような顔立ちだ。

 狭い車内で避けたせいで脚にベンチ部分が当たり、尻もちをつく形で身体が動いた。隙が生まれる、がきんっと棍棒同士が音を奏でた。

 猿楽は柔らかい身体を駆使して両足でも棒を支え、同時にBEASTを発動した。ぐぐぐっと押し返す。

 腕が限界まで伸びたところで棒を蹴りだし、右手で大きく振るった。装甲車両の側面が内側から破壊される。相手はそのまま突き破ってきた扉から外に出た。

 ボロボロになった扉を蹴り飛ばして一気に距離を縮める。柔軟な身体としなる棍棒の合わせ技は隙がなく、相手を更に圧していく。

 だが埒が明かない。猿楽は殆ど掠れきった声にならない声で「BEAST解除」と呟いた。

 第一機隊から飛び出した幾つものドローン。それらは七泉が操作しているもので、ホストドローンに他が自動でついてまわる。カメラの映像をリアルタイムで見ながらスキャナーを展開した。

 朝烏と同じハンドガンとショットガンを持つ青年。白鷹と同じ両刀を持つ少女。剛田と同じグローブとハンドガン等の銃器を持つ中年男性。卯野と同じ機体に乗る老婆。そして猿楽とやり合っている、同じ棍棒を持つ女。

 それぞれの近くにドローンが飛び、各自でスキャンを開始する。ホストを含めた六機の映像が六枚のモニターに映され、七泉はそれを見ながらホストの映像で全体を見据えた。

 ぴろりんっとスキャン完了を意味する電子音が鳴り、画面を見た。そして驚く、そこには『人間』と書かれていた。

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