第4話

 第一機隊が管理している日本最大級の邪神収容研究センター、通称「冥府」にて一部問題が発生した。第二セクターのAグループに収容していたナンバー六十七、【未来のアナログ時計】が突然消滅したというもので、所属している神代組の隊員数名が収容エリアに確認しに行った。

 未来のアナログ時計は邪神の卵であり危険性は殆どない。ただ特異性が極めて高く、六十六の【笑うコンピュータ】と対を成す存在でもある。

「異常なし」

 リーダーが無線を飛ばす。管理室側も特別異常は見つからなかった。

「だったらどうやって......」

 邪神の卵は一定のエリア内を自力で移動出来る。だがそれ以上は不可能であり、誰かが運び出さない限りは動けない。未来のアナログ時計は一定のエリア自体もない、完全に移動不可能な個体だ。

 だが監視カメラや生体反応、モーションセンサーなど数多くのセキュリティには何も記録が残っていない。不可解な現象だ。

「もし六十七が誰かの手に渡ったら......」

 研究者の男を振り向く。男は渋い顔を見せた。

「相手によってはかなり面倒な事になる」

 未来のアナログ時計は時間感覚を狂わせる力があり、笑うコンピュータが近くにいる場合、その効果は更に増幅される。上手く使えば一部の人間を「自分は過去or未来から来た者だ!」と錯覚させたり、歴史上の偉人がいると思い込んだり現在第二次世界大戦が起きていると思い込んだりする。

 何かしらの“信者”を作り出すには好都合な代物だし、実際その二体が発見された理由は年寄りを洗脳させ、時間感覚を狂わせ陰謀論的な事を吹聴して金を稼いでいた連中がいたからだ。ネット上での通報が相次ぎ警察が調査、異常性が強い為神獣本部が引き継いだところ、そのグループと二体の卵が見つかった。

 しかも今は蓮華の教えが目立ってきている。蛇塚の話によれば、既に笑うコンピュータを所持している......冥府としても幾らなんでも関係がないと切り捨てられる相手ではなかった。

「一先ず他のセクターとグループにも問題がないか確認し、全てのセキュリティを再度更新しておいた方がいいな」

 第二セクターから全管理室、制御室に情報が伝わり、施設全体が一気に騒がしくなった。

「......申し訳ない。どうやら問題が発生したようで」

 冥府内部のみで使われている連絡用の端末を一瞥し、所長である老婆が言った。場所は大阪府某所の高級ホテル内、彼女の傍には神獣本部に所属している隊員が一人ついていた。

「イヤイヤ、それより、ダイジョブなんですか?」

 指輪をはめた手を見せて笑う。老婆と対面しているのは香港に拠点を置く香港系マフィア、黒貓貓(ヘイマオマオ)のボスであり、黒猫商会の会長。華奢な身体と童顔、そしてBEASTの力で二十代に見えるが、実際の年齢は五十近い。

 ふざけた名前の組織だがその歴史は古く、香港を裏から支配してきた。香港警察とも強い繋がりがあり、幾らか凶悪事件の解決に手を貸した事もある。

「ええ大丈夫です。何せ日本一の施設ですからね」 

 男、通称マオは「そーですカ」と訛った日本語で返すと話を戻した。

「それより、武器の調子は、イイんですか?」

 独特なゆっくりとした喋り方で首を傾げる。ピアスが揺れた。

「犬飼の零式の事ですか」

 問いかけると眼を細めて肯いた。

「そうですね。特に七泉から報告はありません。なぜ」

 軽く身を前に出した。綺麗に纏めあげた白髪に控えめなイヤリングの宝石が光を反射する。

「いやァ、ここ最近、犬飼サン本人からの連絡がなくて。忙しいンですかネ」

 手を広げてかぶりを振る。少しオーバーなリアクションに「さあ」と答えた。

「犬飼は適当な男ですから、気分ではないですか。零式に問題がないのならいいのでは」

「それもそうですケド、」

 猫のように眼を細めたまま歯切れの悪い反応をする。所長は膝の上の手を軽く揉んだ。

「なにか、犬飼に伝えたい事でも」

 彼女の声は七十過ぎとは思えない程ハッキリとしており、一種の威圧感があった。巨大マフィアのトップでもその声には逆らえない。

「......実は、イヤな情報を耳にしましてネ」

 ころころと表情が変わる。所長は息を吸ったあと、「ほお」と興味を示した。マオは続ける。

「犬飼サンの零式はウチの特注です。それは所長サンもご存知のはず」

「ええ。犬飼からの“お願い”で邪神の体組織を貴方に売ったのは私ですからね」

 確認作業のように答える。マオはうんうんと満足げに肯いてから軽くこめかみを掻いた。

「アナタからの体組織は神獣でないとムズカシイ、ランクZのモノ。零式のあの見た目も性能も、その体組織にカナリ依存してマス」

「ええ。全て知っています。それが」

 マオはこういう話をする時、必ずと言っていい程結論をすぐに話さない。所長は手を組み、語気を強めた。だがマオは変わらず続ける。

「職人もウチの専属デス。長い事ウチにいます。他の仕事は絶対に受けない」

 返事はせずに待った。

「なのに変なんです」

 肩を竦める様子に「何が変なのですか」と促した。

「“零式と全く同じカタナを持つオンナが、ニッポンで目撃されたらしいんデス”」

 それにくっと眉毛が動く。

「証拠はあるのですか」

 所長の顔つきが険しくなったのを見て、マオは傍にいる部下に指示を出した。部下はタブレットを出し軽く操作したあと、所長に画面を見せた。

「BEAST持ちの人間から貰ったデータです」

 それは人間の視界をそのまま映像化したような短い動画で、繁華街の路地裏に零式と酷似した刀を持つシルエットがあった。細かいデザインまでは分からないが、大太刀は現状、犬飼が造らせた零式しかない。

「この情報は、誰がどこまで知っているのですか」

 タブレットに顔を向けたまま視線をあげる。細められていたせいで分からなかったが、彼女の双眸は様々な色が常に動いていた。オーロラのように。

「ワタシと幹部、それと、零式に直接関わった職人だけデス。最初にこれを目撃したのは、ニッポンのヤクザの方でした」

「では殆どの人間は知らない、と」

「ハイ。本音を言えば、ファミリーに知らせてローラー作戦をしたいンですが、ヘタに海外マフィアがニッポンを荒らせばよくないでしょう。暴対法がなければ、ヤクザの方々に任せたンデスガ」

 指輪を軽く触る。所長は繰り返し流れる映像を見たままだ。

「......恐らく表社会の人間ではないでしょう。そうなれば我々神獣は簡単に人員を割けない。かと言って公安に任す訳にはいかない」

 香港マフィアと繋がりがある事を知られる訳にはいかない。いや恐らく公安は大体の事を把握している。ただ神獣側、黒貓貓側からのコンタクトや問題がない為黙認されているに過ぎない。もし公安に助けを求めればこの関係に合法的に介入される。

 所長は軽く額に手をやったあと、息を吐いた。

「望みは薄いですが、そちらから組織に協力を仰いでください。元々こちらの暴力団員が目撃したのならば話は通りやすいでしょうし、警察も公安もそれならば手は出してこない」

「ハイ、わかりました。でもそれだと、人員は少なくなりマスよ?」

 分かっている、タブレットを下げるように手で指示を出し、肩を落としつつも答えた。

「一先ず犬飼、蛇塚、七泉には伝えておきます。恐らく彼らが勝手に探すでしょう。特に犬飼は」

 そうすれば神獣本部は責任を負わなくて済む。精々責任を取るのは犬飼の手綱を掴んでいる蛇塚だけだ。

 マオからはデータを買い取り、所長からは体組織を一部売った。手に入りやすい代物だが、香港では邪神の体組織の殆どを政府が抱え込んでいる。そのくせ装備の質は悪い。殆どの武器防具は黒貓貓からのもので、所長はそれの手助けをしている。

「蓮華の教え......きな臭い」

 大阪から東京に戻る新幹線の車内で呟いた。手元のタブレットには蓮華の教えのHPが表示されており、ニコニコと笑顔を見せる花が揺れていた。

 後日、犬飼が不在となった。状況を知らない朝烏や卯野は呆れ果て、必然的に剛田が前に出る事になった。

『ランクB! 獣型亜種です! 剛田式長じゃ厳しいかも知れません!』

 装甲車両から後ろに流れていく景色を見る。二式からの連絡に軽く舌打ちした。

「あんのバカ犬が」

 ぎゅっと革のグローブが鳴る。オスのゴリラを元にした仮面が首元で揺れる。ランクBは上から三番目、しかも獣型はかなり強い。発現不可能体である剛田には無理な相手だ。

『三式が出動。数分後に現着します』

 オペレーターからの声に少しほっとする。三式は相手が特殊な場合のみに出動するが、今回は犬飼という大きな武器がいない為命令が下った。

「猿楽、タトゥーの具合は」

 軍用のブーツを履きつつ隣にいる彼女に話しかける。猿楽は既に仮面をつけており、ニホンザルを元にしたデザインを見せて何度か肯き、手で丸を作った。

「そう。ならいいけどさ、魔除けのタトゥーって一年後とかに急に痛んだりするから、気をつけてよ」

 紐を掴み、きゅっと締め上げる。頭の上にはシルエットだけを形作った鷹の仮面があり、ブーツの紐を括るとそのまま下げて装着した。

「もう少しで現着する」

 運転席からの声にみな静かになる。ただ猿楽だけは鼻歌を歌っているように足をバタバタとさせた。BEASTの後遺症で声が潰れているから聞こえないが、本人は立派に歌っているつもりだ。

 白鷹率いる三式が現着した直後、対象が動き出した。獣型はBEASTに反応しやすく、白鷹と猿楽は特に彼らを煽りやすい。

『クリア。レッド、ブルー、位置につきました』

 ノイズ混じりの声に返事もせず、唸りはじめる邪神を見た。猿楽は既に武器を手にしており、かなり軽量されているスポーツシューズでとんとんと跳ぶ。いつでも飛びかかれる、それを一瞥し、後ろに手をやった。

 左右にある柄をそれぞれ掴む。鞘から抜かれた刀は自動で広がり、鞘に収まっている時よりも長くなった。

 ざっと白鷹が前に出た。刹那、邪神が一気に来る。六本の足で地面を踏み鳴らし、殆ど瞬間移動に近い速度で来る。

 然し彼女の前に少女が出る。しなる棍棒が牙を受け止めた。仮面の下の顔は赤く、尻尾のようなものが現れていた。

 ハヌマーン:颯(ソウ)・暴(バク)、酷い喘息と引き換えに五秒間身体能力を向上させる。猿楽はこれをスピードに振り切っており、連続使用を可能にした代わりに声を失った。

 勿論筋力もそれなりにあがる。筋肉ダルマの剛田に匹敵する程の力だ。口に噛ませたまま思い切り棍棒を縦にした。

 その速度と筋力に邪神さえも追いつかず、ごきりと骨が折れた。だががっちりと牙のあいだに挟まっており、棍棒が抜けない。

 邪神はそれなりのダメージを受けた直後、カウンターを必ずしてくる。武器を手放して離れれば済む話だが、彼女はまだ十六歳、幾ら能力があっても経験で言えば新人だ。

 邪神の尻尾が一つの生命体のように唸った。瞬間、飛んで来る。

 だがその前に猿楽の後ろにいる白鷹の刃が二本と、対象の上に出現した分身の刃が二本、それぞれ眼と尻尾の付け根に突き刺さった。

 アエロー:嵐(ラン)、二十秒間、自身の分身がランダムで出現する。同時に刃を抜く。カウンターが失敗した邪神は唸り、顎の力が弱くなった。その瞬間に猿楽は再度BEASTを発動、棍棒を手に大きく飛躍して離れた。

 仮面の下で瞳孔が猛禽類のように細くなる。ダメージは五割、然しランクBの場合はここからが正念場だ。

 白鷹がBEASTのデメリットで意識が朦朧としているあいだ、対象を囲むように配置された三式の隊員達が銃口を向けた。弾は超強力な対邪神用のもので、三式のみが使用を許可されている。これは元軍人や特殊部隊員しかいないからだ。

 銃の扱いに長けており、尚且つその危険性も知っている。化け物を相手にする前に人間を相手にしてきた彼らの射撃技術は高く、周囲からの怒涛の攻撃に邪神は怯んだ。

 剛田含む一式が現着した頃には八割を切っており、彼らは白鷹が最後に肉体を滅多刺しにする様子を目撃した。

「......やっぱ三式が一番なんだな」

 ズタボロになった邪神の身体を、装甲車両の上から見つめた。ぷらぷらとブーツの紐が風に揺れる。

「式長、今回は相性が良かっただけですよ」

 隊員の一人が腰に手をやりながら慰めた。一式がトップだと言われているが、実際には特殊な状況下のみで出動する三式が飛び抜けている。

「相性ねえ。不可能体に一式の式長なんて荷がおめえよ」

 はあと大きく溜息を吐いたあと、振り向いて隊員を見上げた。

「ところで、隊長は今どこにいるんだ。確か刀についてるキーホルダー......」

 剛田の彫りの深い黒眼を見ながら答えた。

「GPS付きです。勿論本人は気づいてません。なので追ってますよ。とにかく朝烏式長が早く帰ってこいってメッチャイライラしてて、うちらにも八つ当たりしてくるんですよ」

「あの二人、別居中だって俺は聞いたが、ちげえのか」

「......式長、マジでその辺興味ないっていうか、相変わらずトレーニングばっかしてるんですね」

 じとっとした視線を感じ、下唇を突き出しつつ顔を逸らした。

「別にいいだろうが......で、犬飼隊長は刀をわざわざ持ったままどこに行ってるんだ」

 到着したクレーンが邪神の身体を持ち上げる。一気に体液が滴り落ちた。

「この前は新宿の歌舞伎町にいましたが、今は西に向かってます」

 幾つか肉片も一緒になって落ちる。待っているトラックに移動するあいだも、ぽたぽたとアスファルトにシミを作った。

「蛇塚総隊長は何も言ってねえのか」

「特には。寧ろ深追いするなと言われてますよ。だから卯野隊長補佐も放置してます」

 ただGPS機能での場所の把握だけはしておいた方がいい、蛇塚の餓狼も食わないような調子に事情を知らない大勢の隊員達は噂話を繰り返した。嫁の朝烏と大喧嘩したから出ていった、愛人の一人と揉めたから追いかけにいった、ただ単に故郷に帰りたくなった、様々な憶測が彼のふざけた人間性を裏付けるように飛び交った。

 然しどれも違う。犬飼は所長から話を聞いて映像のデータを貰った直後、バイクに跨って神代組都部から消えた。とはいえキーホルダーのおかげで場所は常に蛇塚と七泉が把握している、一通り歌舞伎町を回った後に関西方面へ向かった。

 迷わず大阪を目指しているのは挙動を見れば丸わかりだ。何か心当たりでもあるのだろうか、タワマンの最上階から街を見下ろす蛇塚に、七泉はパンツだけを履いた状態で犬飼の位置を知らせた。

「今日中には到着するみたい」

 身体中に掘られた魔除けのタトゥーに白いワイシャツが滑る。ボタンを締めながら返した。

「明日、黒貓貓の武器職人が来日するそうです。零式の事もありますが、他式長クラスの武器も作らせてくれないかという申し出でしてね、七泉としてはどう思いますか」

 肩甲骨辺りまである黒髪を下の方で結ぶ。軽く首を振った。

「どう思うも何も、零式は犬飼が作らせたものだし日本の規定や基準値を超えているから質がいいけれど、そうじゃない場合は普通に日本の武器の方が頑丈で確か。正直零式だって、ランクの高い体組織を使用して基準値を超えた状態で日本の刀鍛冶が作った方がいい。昔はヤクザがその辺を上手いことやってくれてたし、ヤクザが関わってるならと警察も公安も黙認してたけど……今は衰退しちゃって職人もみんな離れちゃったから」

 七泉が赤裸々に語る。蛇塚はにこにこと仮面のような笑みを浮かべたまま話を聞いた。

「多分そのせいで黒貓貓が擦り寄って来ているんだろうけど、正直なところ調子に乗りすぎてる。実際力のある組織で信用出来るのは黒貓貓ぐらいしかいないから、調子に乗っても仕方ないんだろうけれど、だとしてもね……」

 元々彼女はボスであるマオが個人的に嫌いだ。それもあって黒貓貓の事になると饒舌になる、蛇塚は「そうですねえ」と呟き、ベッドに戻った。

「一先ずこの話は蹴りましょう。それから、元々ヤクザと関わっていた裏の職人をスカウトしますか。丁度神代組だけお抱えの武器職人がいませんからね」

 多少違法な事をしても今更お咎めは受けない。大体日本の基準値以下の武器では犬飼の力に負けてしまう。そのせいで政治家の一人が邪神に食われた事もあるし、幾ら公安でも手は出してこない。

 BEASTの本家帯は元祖帯に続いてかなり特別なものだ。それならばそれに見合った武器でないといけない。これは全て日本を守るため……そう蛇塚は思ってもいない事を頭の片隅に置き、一先ず犬飼の事は放置して明日に備えた。

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