第3話

「なんで俺があ?」

 デスクの上にばさりと資料の束が投げられる。ころりとキャンディを転がして卯野が簡潔に答えた。

「隊長だからです」

 常に困ったような八の字の眉に皺を寄せて犬飼を見る。年下の上官は首にさげているドックタグを揺らし、身体を大きく逸らした。

「邪魔くさーい。卯野がやってやー」

「サポートはしますけどそれ以上はしませんよ。隊長補佐なんで」

 無表情に言うと棒を掴んだ。最近ハマっているソーダ味のキャンディで、自宅にはストックが大量にある。

「蛇塚は? こおゆうのって総隊長の仕事じゃないん?」

 椅子を回し、デスクに肘をついた。あからさまに嫌そうな顔を見下しつつ飴を舐める。

「そんな暇ないでしょあの人に。それに現場監督はアンタなんで」

 でないと説得力が生まれない。蛇塚は現場を知らない所謂上の連中であり、安全圏から指示を飛ばす立場だ。最前線の現場に出て刀を振るう犬飼でないと隊員には響かない。

 それは幾ら自由奔放でバカな彼でも理解している事……然し面倒くさいという気持ちの方が大きい。卯野が苛立ち踵を鳴らすようになるまで、犬飼はゴチャゴチャと文句を垂れた。

 軍服に着替えた彼は壇上に登場すると軽く欠伸を漏らした。影にいる卯野と剛田は互いに視線をやり、アメリカ育ちの剛田が少しオーバーに眉をあげた。

「えーっと、一先ず初の出動、お疲れ様」

 関西弁の訛りをそのままに話を始める。とても隊長とは思えない覇気のない声音に、幾らかざわざわと話し声が聞こえてくる。

「卯野さん、五年前も犬飼隊長がやったんスよね」

「ああ」

 比較的身長の低い卯野に合わせるように背中を丸める。

「そん時もこんな感じだったんですか?」

 剛田は三十前後で犬飼と大差はない。だが元々は自衛隊員であり、二年前に第一機隊にスカウトされた。丁度ランクの高い邪神が現れ、大量に人員が消えた頃だ。その為剛田がこれを見るのは初めてになる。

「隊長になる前からずっとだよ。寧ろああじゃない時が怖い」

 十の頃から犬飼を知っている卯野は「まあ」と息を吐いた。

「今年の新人にナメた奴がいなけりゃ、このまま無事に終わるだろうよ。覇気はないが言われた事は出来るから」

 まるで保護者のような言い方に剛田は「ならいいんですけど」と視線を隊長に戻した。立ち方も片足に体重を乗せているようで、ずっと手元の資料を見てダルそうに続けていた。

 BEASTという力について、邪神というものについて、規則について、武器について……学校で習った事を再度復習する形で進んだ。息を吐きつつ資料を捲る。だがその時、上の方にいる若いグループの一人が手をあげた。

「たいちょお、BEASTの発現不可能体について教えてくださーい」

 舐めた態度の軽薄な声が響く。隣にいるグループのメンバーらしき男女がクスクスと笑った。

「チッ、不可能体はマズイ」

 卯野が踵を軽く鳴らす。

「剛田、お前耳塞いどいた方が」

「いや大丈夫です。慣れてるんで」

 薄暗いなかで剛田を見上げる。軽く掌を見せて制した彼に一つおいて視線を戻した。

「ならいいんだが。犬っころの方はどうだか……」

 犬飼は資料に手をやったまま止まっていた。若い男が更に続ける。

「発現不可能体って生物として欠陥品だとか、そもそも人間かどうかも怪しいって話がありますけど、それって本当なんですかー? もし本当だとしたら、そんなのを式長にしてる第一機隊ってヤバくないですか? 人間かどうかも怪しい奴に守られるとか、俺ら嫌なんですけどー」

 響き渡る声に、流石に他の新人隊員達も顔を顰める。その中で最前列の方にいる眼鏡をかけた男が立ち上がろうとした。

「まあ落ち着けや」

 然しマイクを通した声が空気を変えた。犬飼は顔をあげ、発言した男を見た。背後にあるスクリーンが逆光になって、桃色の瞳がいつもより光って見えた。

「発現不可能体には色んな説がある。なかには邪神の卵が作り出した人間擬き、なんてのもある」

 犬飼は手動でマイクのスイッチをオフにした。

「で?」

 腹から出した声は風圧さえも感じた。びりっと緊張が走る。笑っていた数人も怯えたように隊長を見た。

「だったらなんや? お前らの力なんて雑魚やんか。何の役にも立たん。ハッキリ言って今年の新人はぜーーーーいん! 雑魚!」

 邪神の咆哮にも負けぬ声量で言い捨てた。矛先が全員に向いたせいか、短気な新人が立ち上がって怒鳴った。然し犬飼は無視をして続けた。

「一式式長の剛田は発現不可能体や。みんな知っとるやろ。んで元自衛隊員。陸上で色んな被災地に行ってきた。日本だけちゃう。海外にも行った。黒人とのハーフでアメリカ育ちの不可能体、そりゃ肩身は狭いよな」

 彼の表情はいつもと違い、真剣なものだった。だがそれは苛立ちの合図、卯野はいつでも飛び出せるよう、袖を捲り上げた。

「ほんで? お前らはなんか結果残してきたんか。特にそこの、如何にもアホそうな奴ら。どーせなんもしとらんやろ。コンビニの募金すらしとらん」

「剛田がここにおるのを知った上で言ったんやろうけど、お前ら今までの人生でも今の人生でも立場でも、なんなら戦闘面でもあのゴリラに勝てるんか。人間かどうかも怪しい欠陥品相手に完璧なBEAST持ちが負けるわけないもんなあ」

 ニコニコと笑顔を見せる。その時、犬飼の首筋に一瞬血管が浮かんだ。卯野が飛び出そうとする。だが横を男が駆け抜け、犬飼の身体を押さえた。

 剛田は一瞬で熱くなった隊長を宥めつつ、横眼で彼らを見た。その黒い普通の眼に新人達は声が出ない。

「犬飼隊長、アンタがやらずとも戦場に行けば勝手に死ぬ」

 少したんの絡んだ声で呟く。確実に実力がある、しかも世界でも有数の本家帯を持つ犬飼から認められている、そんな男から実際に「どうせこいつらは」と言われ立ち直れる者はいない。すとんっと落ちるように座った男に犬飼は溜息を吐いた。

「もう大体話した。後は知らん。復習したい奴は勝手に一人でやってろ」

 資料を手にとり、先に壇上から消えた。剛田は再度隊員達を見てから戻った。

「へえ、犬飼隊長に噛み付いたバカ、いたんだ」

 都部の近くにある喫茶店で短く切り揃えた金髪と左頬にある傷が目立つ女、三式式長、白鷹が鼻で笑った。それにコーヒーカップを手にとり、口に運ぶ。

「ええ。それにキレちゃって、全員質が悪いって怒鳴ったみたいよ」

 眼を伏せたまま答え、ブラックコーヒーを啜った。皿に残っているサンドイッチを拾いあげつつ白鷹が問う。

「今年はあたし参加しなかったんだけど、そんなに悪かったの」

 ぱりっとレタスが音をたてる。カップを置いて膝の上に手をやった。

「かなりね。全員ギリギリだったわ。まあ死ぬかもしれない、生きたとしても邪神のせいでメンタルがイカれるかもしれない仕事を、わざわざ今の子がやろうだなんて思わないわよ。それに立て続けに災害もあったから、自衛隊から引き抜くのも無理だし」

「少子高齢化も手伝ってるわ。第三機隊なんかジジイばっかりって噂よ。加齢臭で空気ヤバそう」

 ナチュラルに毒を吐く朝烏にもぐもぐと口を動かしつつ問いかけた、

「民間がここ最近増えてんのも原因だったりする?」

 然し実際にはもごもごと言っているだけで、言葉は聞き取れない。朝烏が軽く眉根を寄せて「飲み込んでから話しなさい」と呆れつつ注意した。

 その言葉通りに口の中をすっきりさせてから、もう一度問いかけた。それに朝烏は肯く。

「個人事業主になった方が金がいいからよ。それに税金がー税金がーって無駄に国民共から叩かれる心配もない。あー、武器関係の企業が最近民間に有利なのを始めたとかなんとか……政府相手だと予算が決まっているから商売としては民間を相手にする方がいいんでしょうね。私達としてはふざけんなって話よ。国を護る為よ? もうちょっと予算増やして企業が浮気しないようにしてほしいわ。武器も型落ちが多くて大変なのよ」

 不満が爆発したのか一点を見つめて捲し立てる。訊いておいて半分以上も頭に入っていない白鷹はオレンジジュースを飲んだ。

「ところでさ」

 からんっと氷が動く。

「最近ネットの方で話題なんだけど、蓮華の教えって団体知ってる?」

 彼女の問いに「蓮華の教え?」と復唱した。汗のかいたグラスを置き、話を続ける。

「宗教団体なんか、詳しくは分かんねんだけど、まあ怪しい感じの団体でさ、どうやら邪神を崇拝してるみたいなんだよね」

 それに理解した朝烏は軽くかぶりを振った。

「邪教ってやつね。もしかして過激派?」

「そうっぽい。流し見してるだけだけど、所謂霊感商法っていうの? それで被害者が最近SNSで暴露しはじめてて、YouTuberが取り上げたりして盛り上がってるっぽい」

 手についた水分をミリタリーパンツで拭う。

「ふうん。まあいつの時代でもいるわね。その類の詐欺師と被害者は。で? その蓮華の教えがどうかしたの? わざわざ訊いたって事は何かあるんでしょう」

 肘を置き頬杖をついた。センターでぴっちりと分けられた長髪が腕を覆うように動く。

「ああそれがさ、民間の中にも信者っぽいのが増えてるみたいで。噂だけど、蓮華の教えのスパイが民間を通じてうちらに入り込もうとしてるらしいんだよね」

「ふーん……スパイね」

「そ。まあうちはあの人がいるから平気か」

 あの人、同時にいけ好かない仮面のような笑みが浮かぶ。蛇塚はどちらかと言うと詐欺師、教祖様になるような人間だ。

「貴方がそう思うって事は確実に狙われてるんでしょうね。意外とそういう宗教団体にはお偉いさんが関わっていたりするから、政府側からも来るかも知れないわ」

 すっと外を見る。平和な街の流れに店内のざわめきが程よく聞こえてくる。

「にしても、なんで邪神なんかを崇拝するんだろね」

 同じように外を見る。ライトグリーンの瞳が綺麗に見えた。

「さあ。人間が嫌いだとか、世間が憎いだとか、世界なんて滅亡してしまえーって思ってる厨二病が期待してるだけじゃないかしら。邪神とかいうただの化け物に」

「惨めだね」

「ええ、惨めよ。そんな可哀想な奴らから金を巻き上げてるんだから、教祖様とか言うのは邪神よりも心が醜いわ」

 白鷹と朝烏が喫茶店でだべっている間、新人隊員達の第二回実技訓練が行われていた。二人は式長として出る必要がある、だが今期の質が悪いのは明白でありすっぽかしても誰も文句は言わなかった。

 ただ犬飼だけはどんなに頑張っても逃れる事が出来ない。ライダースーツのような装備に身を包み、犬飼は隊長として実技訓練の様子を見ていた。

 真面目な性格である卯野と剛田も参加しており、また三式の鉄砲玉であり最年少である猿楽が新人達の相手をしていた。

 一部を赤に染めたツインテールを揺らし、十六歳という若さで訓練用の棍棒を振り回す。自分の身長よりも長くしなる棒は訓練用とは言えかなりの重さだ、隊員達は為す術なく倒され蹲っていた。

「モンキーちゃん、あんま本気出さんであげてー」

 犬飼が声を張り上げる。その言葉は皮肉交じりでもあり、このあいだの事もあって隊員達の表情は暗いものだった。

「完全に士気が下がってますね......」

 剛田の溜息に卯野がエナジードリンクの缶を回す。

「元々成績は最悪、その上伝説級の男に雑魚呼ばわりされたんじゃやる気なんて失せて当然だよ。まあ今期の連中は時間稼ぎぐらいには使えるかな」

 よっこいせと立ち上がり、一歩前に出た。少し垂れたジェルまみれの前髪が揺れる。

「おいそこ! やる気がねえんなら下がれ!」

 卯野の声に指されたグループは不貞腐れたような顔を見せ、だらだらと動いた。まったくとエナジードリンクに口をつける。

「ヘリも戦車も今期は適性のない連中ばっかりだよ。質が悪いにも程があるよなあ?」

 振り向いて剛田に同意を求める。身体の前で手首を掴んだまま肩をすくめた。

「今は建築業界さえやりたがらないのが多いっスから。それより危険な神獣なんて」

「だよなあ」

 はあと肩を落とす。沈黙が少し流れたあと、犬飼が数歩下がって剛田の横に並んだ。

「蓮華の教えの仕業やって話もある」

 軽く声を潜めて言った。愛刀を杖のようにしながら隊員達の、いや猿楽の動きを眼で追った。

「最近話題の新興宗教団体、ですっけ。流石に無理があるでしょう。こいつら全員信者だって言うんスか」

「そりゃ俺は知らんけど、噂やと邪神の卵を保有しとると。ほら、一定の年代をターゲットに洗脳出来る邪神の卵があったやろ。名前なんやったっけ......」

 とんとんっと人差し指で叩く。剛田がすぐに答えた。武闘派だが頭も良い、結構な大学を卒業していたはずだ。犬飼はそれすらも覚えていないが。

「ナンバー六十六、【笑うコンピュータ】」

「ああそれや!」

 人差し指を出しながら剛田を見る。それを横眼で見たあと、「でもそれならとっくに危険団体に認定されてるでしょ」と疑問を口にした。

「蓮華の教えには警察の上層部や政治家も多く関わっとる。流石に神獣本部のオッサン共や防衛省の連中にはおらんようやけど、そんでも十分やろう。蓮華の教えを危険団体に認定させんよう工作出来る人間は内部におるし、多分表向きだけやと思うで、ちょっとヤバいカルト集団ってやってんのは」

「......隊長、それ全部蛇塚総隊長からの情報っスよね。なに自分が持ってる情報みたいな感じで話してるんですか」

 幾ら表情を作っても剛田には分かる。発現不可能体にはBEAST持ちの感情が第六感を通じて伝わってくる。「バレたか!」と軽く肩を揺らし、刀を縦のまま軽く上に投げた。ぱしっと左手に取る。

「今蛇ヤロウはその辺を警戒しとる。神獣本部にも強いのはおるがな」

 大太刀を腕に添わせるように持った。

「自分の地位を脅かされるかもしれんから本気になっとる。やからもし今後蛇ヤロウに呼ばれたらそれ前提で行け。話が早い奴は好かれる」

 数歩前に出ると口の近くに手をやって「モンキーちゃーん、そろそろ休憩やー!」と叫んだ。

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