第2話

 邪神へのダメージは五割程。隊員からの知らせに応えるようにして、全員の耳にオペレーターから連絡が入った。

『一式及び犬飼隊長、まもなく現着します』

 避難は完璧に終了しており、四式以下と民間の団体が各自で護衛についている。舞台が整った、という事だ。

「全員援護体制に!」

 朝烏が大きく言い、新人達を連れてその場から退いた。ここから先は少数精鋭である一式と犬飼隊長のサポートを影から行う。

「ああ、貴方達に一つ注意しておくわね」

 車の近くまで退ると朝烏はハンドガンの弾倉を交換しながら言った。

「一式もイカれているけれど、犬飼は更に頭がおかしいから。絶対に眼を合わせちゃダメよ。もし仮に手を振られても無視して」

 手慣れた様子で三丁とも交換すると腰に戻した。新人の一人が問いかける。

「な、なんでですか?」

 それを一瞥し腕を組んだ。

「あの男に認知されたら最後、地獄の果てまで追いかけてくるからよ」

 まだ犬飼隊長をしっかりと見た事がない新人達は顔を見合わせた。彼ら新人は昨年の春頃にあった入隊式で、軍服に身を包んだ余所行きの隊長しか知らない。とてもバイクに跨って道路をかっ飛ばす男と同じだとは思わないはずだ。

『犬飼隊長、卯野さんのサポートはないそうです』

 一式の式長、剛田から告げられ、犬飼はフルフェイスヘルメットの下で顔を歪めた。

「カラスちゃん俺が来るとまともに仕事してくれんからなあ」

 関西の訛りで独り言のように呟く。腰には大太刀があり、ぎりぎりバイクの後輪からははみ出ていない。本来であれば背中に背負うのが規則だが、相手が犬飼なので黙認されている。

『まあしゃーないですよ。それより隊長、今回の個体は刀があんまり通用しないみたいです』

 日常的な電話のように軽い調子で剛田が告げ、犬飼はそれに鼻で笑った。

「あんまりやったら大丈夫や。通用する」

 ウィンカーをつけ右に曲がる。かなり先だがパトランプをつけたパトカーが数台見えた。

「もうちょいで現着するわ。じゃ」

 一方的に通信を切るとエンジンを吹かし、スピードをあげた。誘導棒を持っている警察官とパトカーが近づいてくる、最初はみな驚いて止めようとしたが、年寄りの警官が「隊長だ! 離れろ!」と叫んだ。

 ぐっと身体をバイクに密着させ、更にスピードをあげる。慌てて避けていく警察官を尻目にパトカーを押しのけて行った。バイクは無傷で、ぶつかったパトカーはその部分が凹んでいた。

「む、無茶苦茶すぎる……」

 へたりこむ若い警官に噂を知っている中年以上は溜息を吐いた。また奴を相手に仕事をする必要がある、あの何を考えているのか分からない総隊長と。

 犬飼はそのままバイクで数台停められている装甲車両のあいだを縫い、朝烏の横をすり抜けた。お互いに顔は見えない、だが犬飼が片手でピースを作ったのを一瞥し、呆れたようにかぶりを振った。

 スピードをそのままに左手を太刀の柄にやる。逆手で持った状態で器用に引き抜き、横に腕を伸ばすと邪神の身体に向かってそのまま突っ込んだ。

 幾らか突き刺さる。だが濡れた紙をハサミで切るように刃が止まり、犬飼はぱっと手を離した。

 後輪を滑らせ停車する。邪神は五割以上のダメージに沈黙を続けており、柄の先に犬のキーホルダーがついた太刀にも気づいていなかった。

 フルフェイスヘルメットを両手で掴み、脱ぎ去った。黒いウルフカットに幾つかのピアスやイヤーカフ、そして甘いホストのような顔立ちと顎を上げて邪神を見下す桃色の瞳。パッと見ただけでは彼が日本一を誇る人類最強の隊長だとは思えない。

 然し彼が犬飼隊長であると一瞬で判断出来る傷が、鼻の上に大きく、横一直線にあった。誰が見ても授業で習ったあの人だと理解し、誰が見てもメディアで見たあの人だと理解し、誰が見ても十年前の皇居汚染事件で活躍した男だと理解した。

「なんやあ、ランクCの変異種やって言うから期待して来たのにい」

 無駄に大きな声で落胆の気持ちを表現する。バイクには跨ったまま、しかも仮面はつけていない。

「剛田、お前来んでもええぞ」

 両手をハンドルにかけ、エンジンを吹かした。再度通信が繋がった事に剛田は慌てて説明しようとしたが、開口一番にそう言われ「は……?」と声が漏れた。

「二式の援護もいらん! 俺一人でいい」

 響き渡る声。それに「はあ?!」と返ってきた。ノイズ混じりの大声に顔をゆがませ、小さく喧しいなと呟いた。

『隊長! アンタバカなんですか?! ダメージ五割だって情報ですが、実際には三割もいってないんスよ!』

 鼻息荒く捲し立てる。突然変異種はBEASTでのスキャンと実際の状態が異なる事が多い。その場合、相手のランクは一つあがる。朝烏の通信機器には既にオペレーターから通達されており、新人達はとっくの昔に装甲車両のなかに閉じ込められていた。

「うっるさいなあゴリラ! 俺がええってゆうとんのやからええの!」

 バイクの振動音が僅かに聞こえてくる。剛田は短く切った頭を触り溜息を吐いた。

「一応近くには待機しときますんで」

 一式の装甲車両は既に到着しており、手と眼配せで指示を出しつつ外に出た。

「五分経っても状況が変わらないようなら出動します」

 黒いTシャツが張り詰める程の筋肉と身長で遠くにいる隊長を見た。相変わらず仮面をつけておらず、また溜息を吐く。部下達に指示を出して朝烏の隣まで行った。

「姉さん、今回はどー思います」

「どーも何も、五分以内に終わるわよ」

 私溜めてるドラマがあるのよねーと軽く首を回す姿に、卯野に続いて常識人である剛田は肩を落とした。

 犬飼はバイクを走らせ左手でもう一度刀を掴んだ。そしてそのまま横に斬る。今度は引っかかる事もなく刃が通り、肩に峰の方を軽く置きながら片手だけで重たいバイクを動かした。

 刹那、前から伸びた腕が迫ってくる。然し彼にとっては遅い、一切ブレーキをかけずに上体を逸らした。勿論、ハンドルから手は離れている。

 眼の前を過ぎる。しかも一本ではなく二本、いや、邪神は腕を伸ばしたまま回転していた。

 逆さまに高速回転をしはじめる対象を見て、犬飼は「ひゃ〜!」と奇声を発した。単純にこの場を楽しんでいる。

 攻撃範囲から外れるとすぐに起き上がりつつハンドルを掴み、向きを変えた。バイクの車体が大きく傾く。然し左手に長く重たい刀を持ったまま立て直し、そのまま真っ直ぐ行った。

 と思いきや、次の瞬間にはシートの上に立っていた。コマのように回転し続ける邪神の指の先が前輪の上をかすった。

 同時に犬飼は跳び上がり、刃を下に向けた。二メートルは確実に超えている邪神の頭上に、大太刀が余裕を持って縦になった。その驚異的な跳躍力に装甲車両から必死に覗く新人達は眼を見張った。

 鍔に近い位置を両足で挟み、ぎゅっと背中を丸める。まるで刀についた重りのように全身を最小限にした。

 剛田が腕時計を確認する。まだ二分も経っていない。

 犬飼はそのまま、邪神の脳天に向かって落ちた。切っ先が滑り込み、顔が割れる。一瞬途中で止まったが、彼の体重に押し負ける形で潰れ一気に切り裂いた。

 搾り取ったミイラのような姿は真っ二つになるとふにゃふにゃと力を無くし、腕を伸ばしたまま地面に伸びた。静寂が一瞬流れたあと犬飼が足を戻し、刀を引き抜いた。

 終わった、そう新人達は思っただろう。犬飼がBEAST、ケルベロス:暴(バク)を発動し、血圧の上昇で犬のように口呼吸を始め額や腕に血管を浮かばせ刀を振るい始めた瞬間、邪神の身体が渦に巻き込まれた海藻のように動き出した。

 ケルベロス:暴、BEASTの本家帯の一つであり力を持つ者は限られている。五秒間、全ての筋肉のリミッターを解除する、たったそれだけの異能力だがその代わりとてつもない激痛と、終了時の多種多様な怪我や臓器の損傷がついてくる。

 だが犬飼だけはそれをものともしない。激痛も、その後の怪我も、例えそれが複雑骨折や内臓破裂にまで至る場合でも彼は止まらない。たったの五秒間を連続で十回以上も発動させられる、日本一どころか世界でもトップファイブに入る犬飼にとって、BEASTはデメリットのない最強のスキルでしかない。

「……三分以内でこれか。なんで発現不可能の俺を式長に選んだのか、未だに分かんねえっスわ」

 ぽりぽりと首の裏を掻く。それに朝烏が仮面に手をかけながら答えた。

「同じ脳筋だからでしょう。それ以上でも以下でもない」

 顔から外しつつ隊員達に指示を飛ばす。剛田は都部の司令室宛に連絡をやった。

「な、なあ、動き見えてたか?」

 装甲車両のなかで新人達は顔を見合わせた。何が起きているのか全く分かっていない表情で、それぞれかぶりを振った。

 犬飼の周囲には邪神のものらしき肉片が散らばっており、体液が彼の足元を囲むようにして広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る