第14話

Alter&Sacrifice 14


顔が蝋で覆われた女神像がある。


私は顔が蝋で覆われた女神像の前に跪いていて祈りを捧げている。形式上だが白薔薇隊は掟として、祈りを捧げる慣習がある。

日が暮れ、空は深い紺色に染まり、薄雲はねずみ色になり、その前には青空に浮かぶ白だった。その中に点々と散り散りに小さな白く輝く宝石のように輝いている。月明かりもはっきり分かるぐらい、月はきれいに空の上で顔を出し、廃れて屋根が朽ちた教会と私を照らす。

あの顔が蝋で覆われた女神像も一緒に。

今宵の月光は青白い。暗闇の中で目を慣らすにはたいして、そのおかげで時間がかからなかった。

私の銀の左手は青白い月光を反射し、きらめいた。その銀色の左手の指で、昔、誰かが、知らない人達に大切にされてきたであろう女神像にあの顔の蝋を剥がして顔が見たくなる衝動に駆られた。

私は銀の左手の指で女神像の左手の頬についている蝋を一欠片、傷をつけ削り取る。

削った跡は白く、像自体は雨風に晒され一部が風化し、土埃や苔などで汚れている。削り取った所は当時のままだろう。おそらくは。

いっその事、全部、顔の蝋を剥ぎ取ってやろうか。

だが、私は自分の銀のフクロウの仮面に左の義手の手の平でおおった。金属同士のぶつかり、擦れる音が鳴る。

「罰当たりな」

独り言を呟くほどに衝動に駆られたが、抑えた。

女神像に私はけっして、話をかけていない。物言わぬからだ。

周囲に誰かいないかと確認し、音も足音や話し声、息の音などに耳を澄ませて聞く。警戒して周りの様子を確認したが、虫が飛んでいるだけで誰の姿も見ない、音は何か野生動物の鹿か兎かは分からないがそれらの足音だけで人の足音が聞こえなかった。私の独り言しか聞こえない。ただあるのは風が優しく草木の葉を撫で合う音や虫の音色しかなかった。

私は顔が蝋で覆われた女神像の顔を生まれてから一度も見たことがない。

この国の、この地の奇習と言えばそうだが小各地の女神像の顔も蝋で覆われているのだ。

祈りを込め続け、顔がわからなくなるほど、何人も何年も何度も幾度も祈りを込め続ける。そうして顔が分からなくなっていく。

人の祈りのために。

何故なのかは少しだけ私の一番上の姉から聞いたことがある。この国の神話から由来すると言う。火を灯した蝋燭の溶けた蝋を女神像に垂らすのはこの国の神話の女神の涙は不滅らしく、それを合わせて溶けた蝋の雫を涙に見立てている。最も古い物だと塩水を垂らし続けて、顔に塩がこびり着いた物もあれば、変わり物だと蜂蜜か樹液を塗っている物もあるそうだ。

そう、私の一番上の姉が教えてくれた。優しく。

もう昔の話だ。だがずっと覚えている。戦っているうちに忘れるものだと思っていたが、忘れられないものだと。

一番上の姉は生まれながらにして左腕と左足が無い、こんな体の私に優しくしてくれた。

今は姉上、いや彼女はどこにもいなくなってしまった。

人は先にいなくなる人の声を忘れてしまうと言う。私は戦い続けて忘れてしまった事を幾度も経験した。だけど彼女のどんな声色だったかははっきり覚えている。薔薇の花の香りのような、くすぐるような甘い感覚と言えばいいのだろうか。甘いのだけは覚えている。

姉上の顔が、私の記憶から、ぼやけて忘れてしまいそうなったときは、恐かった。

いつか全部忘れていきそうだ。でも今は私は覚えている。

私は思い出そうとして、無意識に頭をうつむいてしまっていた。

自分の足元が目に入り、踏みつけているのは古くなって苔と黴で汚れたカーペットとつま先の近く、その先には青緑色に所々錆びた蝋燭立てが10本倒れて落ちていた。その中には折れてしまっているものもある。他にヒビが入った花瓶に、香入れが横になって倒れ、灰をこぼしたままだったりと物が散乱していた。

私は顔を上げ、祭壇の方を見ると枯れた花が4本横になったまま女神像の祭壇は、おそらく当時のまま放置されて来たようだ。この教会は忘れ去られて朽ちていったのだろう。

女神を置いて。

ただ違う事は、私がここにたどり着いてしまった事だけだった。

ここの教会がどういう経緯で建てられた物なのかはわからないが、新しく建てられたときはきっと、この女神像の顔を見ることが出来ただろう。

私は思いを馳せながら、朽ちた祭壇に一つだけ、布に包まれた供物を捧げる。

それはまだ新しく、それは布が赤く染まるもので、それはかすかに温かく、それは徐々に冷たくなって行き、私はまた祈りを捧げ、また立ち上がり、朽ちた祭壇の上の赤く染まった布に包まれた供物に銀の左手をかざす。

「祈ったさ、もうこれでお預けだ」

朽ちた祭壇から、赤く染まった布に包まれた供物を取り上げた。同時に左の銀の手のひらも赤く移る。

私は金属製の胴当てをもう片方の生身の右手で外していく。鎧は植物の蔦や葉の模様を彫られた職人技の物で、それも月明かりに照らされ、光る。

今は本来の銀色と違い、生々しい赤が彩られている。

新しい、いや、少し前にだ。

実の妹を手にかけた、その時に着いたものだ。

妹の血を浴び、それは装備の下の衣服まで染み渡っていた。

半乾きで布と肌がくっつく感触には慣れている。どうってことは無い。慣れている。また洗えば良い。

私は衣服のボタンを外し、中の下着を上にずらした。外気に晒された私の肌は風が古傷を撫でる。

少し肌寒く感じる。まだこの季節は寒くないのに。濡れたせいだろう。それも時期に感じなくなる。

自分の胸の下着は意味はない。だって、自分で削ぎ取った。

こんな生まれながらの不完全な体に不釣り合いな上に、もちろん、病もあった。が、戦う上で邪魔だと。

だから、乳房は両方とも自分で取った。丁度良かった。元あった胸は手術痕だけとなった。

私は頭を上げ、目を合わせる事が出来ない女神と目をそらさず、剣の引き金を引く。

シリンダーの回る音と引き金のぶつかる音が鳴る。強く引くほど、中の水薬、剣に慈悲が満たされていく。

そして、私はこの剣で自らの胸に突き刺す。目を見開いたまま。

女神像の背後には満月が見える。光背のようだ。だが顔は見せない。女神も私も泣き顔を見せたくないのだろう。剣の柄を力のある限り強く握り、胸を縦に裂き、妹ジナヴラが愛したジェーンの心臓を赤く濡れたヴェールをめくり外し、そして私の胸にしまい込んだ。

剣で自らを斬り、痛みは無く、あるのは冷たい異物感だけで終わった。

自分で自分を斬り裂いた影響で、出血が多く、くらつき、勢いよく膝をつき、剣も手から離し落とした。

きらりと、血と薬で剣は輝く。

私はそのような状態になっても、顔が蝋で覆われた女神像を見続け、私は女神に向かって静かに言い放す。

するどく、かなり鋭くに。

「私は白薔薇隊、隊長ヴィクトリア。悲母トランメディセインよ。私はお前の事なんぞ、信じていない。だが形式上の祈りだけは捧げてやる」

女神は相変わらず、物言わずである。偶像だから当たり前だ。

私は張り叫んだおかげで、目眩がし、一瞬目の前が真っ暗になったがすぐに元に戻った。

「私はお前に縋るほど、馬鹿ではない。私の部下や同胞も皆そうだ」

私は傷の痛みを感じず、口元は少し歯を覗かせて、にやりと笑う。

月は女神と私を照らし、風は強く傷を負った胸と肌を撫でていった。

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