第27話 婚約披露


「クレア、おかえり」

 翌朝、早々にウィンフィールド公爵邸を訪れたアルフレッドに、クレアは抱きしめられた。顔をのぞきこんでアルフレッドが言う。

「すっきりした顔をしているね。よく眠れた?」

「はい、ありがとうございます」

 と、クレアはにこりと頷いた。

 マーサがお茶を用意して下がる。二人の外聞を考えて扉は少し開けたままになっていた。


「婚約を公表したら、王宮の離宮に居を移す? 私としてはいつでも良いのだけれども」

「そうですね、いつまでもここにいるのも外聞を憚りますよね」

 以前の離宮が、こんどは王太子妃の離宮になるという。

「多分タクト兄上は気にしないけどね。私が気にする」

 

 ふふ、とクレアは笑った。

「いつごろに、発表される予定ですか?」

「もうすぐ秋の豊穣を祝う宴があるだろう。そこで皆に言うと聞いているよ」

 秋の豊穣の宴はほぼすべての貴族が集まる大がかりなものだ。王太子の婚約発表の場としては相応しいだろう。

 だけどクレアは少し困った顔で微笑んだ。

「わたくしは豊穣の宴に出られるのでしょうか。クレール家の娘としてはデビュタントすら出ておりませんし、もはや無くなる侯爵家ですもの」

「私が招待するよ。タクト兄上の養女として出たら良い」

 クレアは困った微笑みのまま首を傾げる。

「ドレスも、マナーも、ダンスも。何もかもが準備が間に合いません」

「うーん……。じゃあ、先に離宮に来る? それで王太子妃教育を始めたら、マナーも学べるのではないかな。合間を見て私とダンスの練習だ」

 王宮の日々を想像して、アルフレッドはにこりと嬉しそうに笑った。

「……わかりました。がんばりますね」

「本棚ごと、君が来てくれるのを待っている。離宮の準備をしておくよ」




 そして、引っ越しの日が来た。

 ウィンフィールド邸の使用人達は皆寂しくなると、笑顔でクレアを見送ってくれた。

 クレアの乗った馬車が離宮につくと、アルフレッドが待っていた。


「おいで、クレア」

 アルフレッドが手を差し出した。

 そっと、その手を取り、馬車を降りる。


 どきどきする。

 クレアは頬を赤く染めてうつむいた。


 そのまま、きゅっと抱き寄せられた。

「そんな可愛い顔は私以外に見せてはだめだよ」

 ささやかれる。

 恥ずかしくて、思わずアルフレッドの棟に顔を寄せてしまった。

 アルフレッドの心臓の音が聞こえる。

 小さく息を吐いて、クレアは気になっていたことを聞いた。


「……ほんとうに、わたくしなんかで良いのですか」


「クレア」

 アルフレッドが少し怒ったように名を呼んだ。

「なんかって、言ってはだめだ。君がいいんだ。君しかいないんだよ」

 そっと、手ぐしで髪を梳かれる。アルフレッドの指が耳に触れて、クレアは飛び上がりそうになった。


「君の、本棚を守りたいんだ。私が、守りたい。だめ?」


クレアは首を横に振った。

「ありがとうございます。疑ってしまったみたいでごめんなさい」


「君が、自分に自信を持てないのはこれまでの環境のせいだから君のせいじゃない。何度だって言うよ。不安になったらいつでも聞いてくれていいよ。クレア、君が好きだよ」

 アルフレッドは満面の笑顔で言った。


 クレアは目元を赤くして、笑った。

「恥ずかしいので一度でじゅうぶんです」

 アルフレッドはおどけたように眉を上げる。

「私はきっと何度も言うから、君が慣れればいいんじゃないかな」

 クレアは少し唇をとがらせて、微笑んだ。



***


 王太子妃教育は、宴のマナーの実地指導から始まった。

 招待客の名や所領にまつわる情報を覚え、失礼のないように会話する練習をした。食事のマナーや振る舞い、背を伸ばして良い姿勢をとること。王妃から遣わされたロットバル夫人が厳しく指導した。クレアはくたくたになりながらもがんばって学んでいった。

 学ぶことは好きだ。内容がどうあれ、新しいことを知ることはとても楽しかった。不安を消し去るように、入念に準備した。

 ルーシェもクレアの横でちんまりと座って、マナーを学んでいた。宴に出席する予定らしかった。タクトが招待状をくれるのだという。クレアの授業の同席の合間を縫って、魔法の修行も継続している。いつの間にか、すっかりタクトと過ごす時間が長くなったルーシェだった。


「ねえ。ルーシェはタクトが好きなの?」

 ある日、マナーのレッスンが終わった後に足をぷらぷらとさせているルーシェにクレアは聞いた。

「にゃ? 好きだよ? クレアも大好きだよ」

「そっか。お父さんみたいな感じ?」

「ううん。タクトは、こいびと」

(え?)

 クレアは耳を疑った。恋人?

 ルーシェは頬をおさえてうへへと笑った。

「タクトが大好きだから、タクトにこいびとになってってお願いしたの」

 耳がぴょこりと髪からのぞく。しっぽがふりふりと踊った。

「最初はタクトはだめだって、ルーシェは家族だからって言ってたんだけど」

(そうね、タクト様それが正解では……)

「ルウがどうしてもって言ったらね。最近タクトがいいよって言ってくれたの! 家族も恋人も一緒かなって」

「それは僕とルーシェだけの秘密だって言っただろう?」

 ぽん、とルーシェの頭にタクトの手が乗った。この後、ルーシェの訓練の成果を披露することになっていたので早目に着いたらしかった。

「あ。タクトごめんなさい」

 ルーシェが口を押さえて謝る。

「……クレア嬢。誤解しないでいただきたいんだが、僕の趣味で言わせてるんじゃないからね。ルーシェがどうしても恋人がいいって聞かないから、今は仮初の恋人役を務めさせて頂いてる」

 タクトはクレアに目配せして必死に訴えていた。ローティーンの少女に劣情を抱いていると思われたくないのだろう。ルーシェを大切に思ってくれていることはよくわかっていたから、クレアは苦笑して頷いた。

「そうですね。……ねえルーシェ、ルーシェが恋人と言うと、タクトが危うい趣味に見られてしまうから言わないほうがいいわ」

「タクトがへんたい?」

「ちがうけど! そう見えると言うことよ」

「わかった」

 ルーシェは真剣な顔で頷いた。

 クレアは苦笑した。タクトも大変な娘に懐かれたものだ。でもタクトも満更では無い様子なので、数年経ってみたら変わるのかもしれない。猫の成長は早いと言うものだし。

 幼い頃から日陰の身だったタクトは、おそらく無邪気に注がれる天真爛漫な愛情に弱いのだと思う。そういうところが、少しクレアと似ている気がして、クレアは微笑ましく二人を眺めていた。




 ひと通り落ち着いた後に、ルーシェの技を見せてもらいに中庭に出た。

 ルーシェが「はっ」と手のひらに魔力を集める。

 めきめきめき、と猫の手のひらを重ねたような結界が出現した。

「いくよ」

 タクトが魔術具の弓で光の矢を放つ。

 矢は、鋭くルーシェをねらった。

「はあっ」

 ルーシェは三本ひらりと交わして三本は結界盾で受け止めて浄化して、消した。


「クレア! みた! ルーシェうまくなったよ!」

 ちりん、と腕に巻いた首輪の鈴を鳴らしてルーシェが胸をはった。クレアはにこにこと拍手した。


 もう少し二人で練習して帰るそうだ。

「先に帰るわね」

 クレアは一人で離宮へと歩いていた。


 中庭で、オリヴィア王女一行が通りがかった。


 王女が足を止める。

 クレアは向き直り、膝を曲げて一礼した。


「貴女。クレア・クレール?」

「今はクレア・ウィンフィールドにございます、殿下」


 オリヴィア王女は上から見下ろす。


「ふうん、貴女がお兄様の。そうですの。……マリアの、お姉様?」


 突如出てきた義妹マリアの名前に、クレアの肌が粟立った。


 そういえば学園で王女と同学年だ、と義妹が家で言っていた気がする。

 知り合いだったのか。

 まあ、とオリヴィアの取り巻きがざわめいた。彼女たちもマリアを知っているのだろう。


 オリヴィアはわざとらしく、物憂げにため息をついた。

「わたくし、マリアと友人でしたの。マリアは可哀想なことになってしまいましたね。

貴女のことも聞いておりますわ。……油断慢心なさらないでくださいませ」

 ぼそっと、刺すようにオリヴィアはひと言付け加える。

 クレアが臣下の礼を取ったまま何も答えられないあいだに、オリヴィアと一行はざわざわとさざめきながら去っていった。


(…………怖い)


 クレアはそのまま動けなかった。しとしとと秋の雨が降り始める。

 冷たくて、動けなくて、しゃがみ込んだ。


(いや。動きたくない)


 クレアの帰りが遅いので、様子を見にきたマーサが雨の中うずくまるクレアを発見した。

「クレア様!」

 マーサの持ってきた布に包まれる。

「大丈夫ですか、誰か呼びましょうか」

「マーサ、歩く……わ」

 マーサの心配が嬉しくて、クレアは微笑んで、力を込めて立ち上がる。離宮へと誘導されながらクレアはよろよろと歩いた。


「クレア!」

 マーサの知らせを受けてアルフレッドが駆けつけた。ルーシェたちも戻る。

 クレアは布を被ったままで震えていた。


「わたくし……わたくし、怖いのです。社交をするということは、ああいう場にたくさん出るということですもの」

 アルフレッドがふわりと布を捲る。髪をくしゃりと撫ぜた。


「大丈夫。誰だってはじめはある。マリア・クレールは母イザベラ・クレールと共に実家に戻った。豊穣の宴には招待されないよ。だから、クレアは大丈夫。自分を責めなくていい」

 アルフレッドの穏やかな声に、クレアは少し落ち着いて息を吐いた。

(……ふう)

 微笑む。大丈夫。

「……失礼しました、弱音を吐きました」

 アルフレッドがクレアをぎゅっと抱き寄せて髪に口付けた。

「弱音、吐いていいんだよ、そんなクレアも可愛いんだから」

 クレアが真っ赤になる。アルフレッドはにっこり笑った。

「これからはルーシェをそばから離さないのがいいかもしれないね。ルーシェ、やなやつがいたらすぐに私かタクトに教えるんだよ」

「うん、わかった」

 ルーシェは重大な任務を承ったように真剣な顔で頷いた。


「オリヴィアには注意する。クレアは私が守るよ」

 アルフレッドが請け負った。

 解散、という雰囲気になった時、クレアがきゅっとアルフレッドの裾を握った。無意識の行動に、クレアは頬を染めて手を離した。

「だいじょうぶだよ」

 アルフレッドがくしゃっとクレアの前髪を撫ぜた。


***


 何とか準備も間に合って、無事当日を迎えることができた。

 ドレスは新しく仕立てた、薄い水色のすらっと見える美しいラインのもの。アルフレッドの瞳の色だった。これはアルフレッドがどうしてもこの色がいいと言って譲らなかったのだ。クレアとしてはもう少し、差し色的に相手の瞳の色を使いたかったのだけれども。

 ドレスの広い範囲でアルフレッドの瞳の色を纏うことで、アルフレッドの愛情自体を纏っているような気がして気恥ずかしくて目を伏せた。


 迎えにきたアルフレッドは満面の笑顔で嬉しそうに笑った。

「クレア、きれいだ。……私は本当に幸せだな」

 あまりにアルフレッドが嬉しそうなので、クレアは苦笑して諦めて、羞恥心に耐えることにした。

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