第26話 孤児院

 教会での日々は、特に強いられることもなくひたすらに教会図書館にこもっていた。

 何人かの女性が細々とした用を聞いたり食事を運んでくれる他は、クレアは教会の敷地内なら自由に動いて良いようだった。

 教会の方でも久しぶりに現れた図書館の聖女の扱いを協議中らしく、クレアの身を確保できれば良いようだったので好きにさせてもらっていた。


 3日目、そろそろ黒猫に会いたくてたまらなくなってきた頃、タクトが訪れた。

 マントの下、上着の内側をもこもこさせている。扉が閉まると、ひょこりと黒猫が顔を出した。

「ルウ!」

 黒猫はクレアに飛びついた。

 膝の上に乗り、肩に乗り、首筋をクレアにこすりつけてごろごろと喉を鳴らす。

会いたくてたまらなかった黒いかたまりに、クレアも思わず顔を擦り付けた。

 ウィンフィールド邸の現状を、タクトが教えてくれる。

 現在クレアの部屋はルーシェとアルフレッドの厳重な結界に覆われていて、何人も入れないようになっているらしい。

 ルーシェは結界の修練を頑張っているらしく、今や家主のタクトでも容易には解呪できない強度になっているそうだった。

 と、ルウがぴんと耳をたてる。

 にゃう、と鳴くと、そのままするりと窓から抜け出した。

「ちょっと、ルウ! 待って!」

 クレアは慌てて部屋を出る。

 庭の端を ルウが駆けていくのを追った。

「もう、教会を嫌がってたのはルウなのに!」

 小走りに後を追うと、石造りの建物にたどり着いた。どうやら孤児院のようだった。

 生垣の下で小さな女の子が泣いていた。ルウは、その女の子の横にすとんと座る。

「……どうしたの? 迷子かしら」

 女の子は首を振る。

「ごはんぬきなの。アンナしっぱいしたから」

「失敗?」

 名前がアンナだろうか、女の子は頷く。

「院長さまの、おさらをわってしまったの。アンナがころんで。だからずっと、ごはんぬきなの」

「ずっと?」

 聞き捨てならないことを聞いた気がする。皿を割ったから罰としてご飯抜き。一食程度ならまだわかる。ずっと?

「うん。おとついからおみずしかたべちゃだめだって。きのうはシスターメアリーが少しだけ牛乳をくれたけど、もうたべてはだめだって。いらないこは、しんでしまいなさいって、院長さまが」

「3日も何も食べていないの? しかも期限も無い? 何てこと」

 クレアはアンナを抱えた。驚くほど軽い。

(どうしよう。とりあえずこの子を助けなくては。)

 そのまま来た道を戻り、クレアに与えられた部屋に連れて行く。

 部屋で待っていたタクトに、アンナを預けた。自分たちが食べるように装い、教会の侍女たちに軽食を頼む。アンナはクッキーをひとかけら食べると、安心したように、眠ってしまった。

「教会がどの程度この現状を許しているのか分かりません。とりあえずタクトとルウで、この子を助けてあげてください。いちどに食べすぎると苦しくなります。少しずつ食べさせてあげて。あと枢機卿を呼んでいただけるかしら。……わたくしは一度孤児院へ行ってきます」


 孤児院は、ちょうど食事の時間のようだった。図書館の聖女の訪問に、慌てて食事の手を止め平伏する。

「良いのです、食事していてください」

クレアは声をかけ、再び食事の席に戻らせた。

 食事の内容は酷いものだった。底が見える薄いスープに、豆が浮いている。あとは野草のサラダだろうか。それだけだった。

「シスターメアリー?」

 おそるおそる食べ始めた子どもたちを見守る女性に声をかけた。女性は再度平伏する。

「はい、メアリーでございます」

「ここの食事はいつもこんな感じなのかしら?」

「はい。院長の指示で」

「庭先で、アンナという子を見たわ」

 それだけで何の用事で聖女が訪ねできたのかわかったのだろう。顔を青ざめた。

「アンナを、ご覧になったのですか」

「罰で何も食べてないと言っていたわ」

「……院長の、指示です。『穀潰しは不要』と」

 メアリーはぎゅっと前掛けを握りしめた。

「聖女さま。孤児たちをお救いくださいませ。院長は、欲の深い方です、……っ」

「おや、メアリー。お客様の来訪なら教えないか」

 食堂の扉が開き、でっぷりと太った法衣の院長が現れた。

「どうも、孤児院の院長をしておりますエドモンドです」

 クレアの父と同じ、搾取するものの笑いを浮かべていた。


 クレアはきゅっと手を握る。

(この手で、救えるものならば)


 覚悟を決めた。

 まっすぐな目で院長と向かい合う。

「いえ、本日の用は済みました。エドモンド卿、また後日ご挨拶にうかがいますね。ごきげんよう」

 形だけ礼を取ると、クレアは踵を返した。



「このようなことが孤児院で行われていたとは。予算は付けておったはずじゃが」

 ウィンフィールド枢機卿は眠るアンナを見てため息をついた。

「枢機卿。孤児院の帳簿を確認させていただけますか」

「そうじゃの、孤児は神からの預かりものじゃ。このように虐げるなど」

 枢機卿は秘密裏に、クレアの私室に帳簿を運ばせた。


(……あら。この数字は。)

他の資料も、ぱらぱらとめくる。

以前に中庭で見た孤児たちの飢えた様子が思い起こされた。

(そうね、こちらが正しいとすれば。こちらは。)

クレアは、帳簿を閉じた。


「枢機卿。見つけました」


 クレアは、孤児院長の着服の痕跡を指摘した。


「あとはお任せしてよろしいですか?」

「もちろんじゃとも」

 枢機卿は請負った。


 アンナは何度か目覚め、少しずつ食事をとり、回復していった。


 すっかり動けるようになったので、孤児医院へ連れて行く。

 シスターメアリーが、院長がいなくなったためどうすれば良いのかわからないとおろおろと困っていた。まだ次の院長は決まっていないらしい。

「ねえシスター、孤児院を改革しましょう」

 クレアはにっこり笑って提案した。


 後日、シスターから報告があった。

 クレアの提案に乗り、元院長から取り戻されたお金で、孤児院でお菓子を焼いた。それを包み、礼拝のある日に持って行って孤児たちに売らせ、運営の足しにした。

 孤児院の運営を、シスターと孤児たち自身で行えるように孤児たちに役割をふった。

 壊れたり売り物にならないお菓子は孤児たちの癒しとなった。孤児たちの笑顔がたくさんみられるようになったと、シスターの報告は結んでいた。



 騒動を経て、教会におけるクレアの立場が確定した。

 クレアは図書館の聖女として認定されたが教会に身を置く立場ではない。あくまで、ウィンフィールド公爵令嬢として、図書館の聖女を名乗るということに落ち着いた。枢機卿に縁ある家であるということも、多少は考慮されたらしい。

 こうしてクレアはウィンフィールド公爵邸へと戻っていった。

 いつのまにか10代の少女に変身するようになったルーシェが、喜んで飛びついた。クレアと抱き合う様はまるで姉妹のようだった。

 ウィンフィールド公爵邸のクレアの部屋は、無事結界を緩められて、侍女たちが出入りできるようになった。マーサの指揮で大慌てで部屋が整えられていった。

 クレアの部屋に入る。ちいさな、大切な本棚が、ちゃんとそこにあった。クレアは嬉しくて微笑んだ。

 少ししか暮らしていないけれどもきちんと自室に帰ってきたという感じがして、クレアは久しぶりにゆっくり眠ることができた。

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