第25話 図書館の聖女
公爵家の養女となることになった。
「それに伴って、一人挨拶が必要な人物がいるんだ」
教会へ馬車で移動中、タクトが説明してくれた。
「ウィンフィールド枢機卿。前ウィンフィールド公爵で、教会に入るときに爵位を放棄している。数代前の国王陛下の末子、つまり陛下の大叔父のような人物なんだ。僕は叙爵のときに、形だけ枢機卿の養子になってる。つまりは現在の僕の後見人といったところだな」
なお、本日はルーシェは留守番だ。
「教会はきらい」と言っていた。タクトは残念そうに、そんなふうにそっぽを向いたルーシェの額を撫でて留守番をお願いしていた。
教会は、王都の南にある。
鐘の鳴る尖塔があり、王都の時を告げる役割を担っていた。
そして、教会には図書館があるのだった。クレアはかつて、もし王宮図書館に行けなくなったら、教会に身を捧げて生涯を教会図書館で過ごすのもよいかもしれないと思っていた。
「今日は教会図書館の話は無しだからね、クレア」
「え、どうしてですか」
「もし、君の図書館魔法が教会図書館で発動したら、君の存在を教会に知られてしまう。そうしたら君は図書館の聖女として教会に取り込まれてしまってもおかしくないんだ。教会は危険だ。だから、今日は枢機卿と挨拶するだけで帰るよ」
「……承知いたしました」
クレアは不承不承うなずいた。
「ようこそ、クレア嬢」
教会の迎賓室では白髪の好々爺が待ちかまえていた。
「わしが、セオドア・ウィンフィールド。タクトの父代わりじゃ」
「はじめまして、クレア・クレールと申します。本日はご多忙中にお時間をありがとうございます」
クレアは片足を引いて挨拶した。
「よいよい、暇をしておったからの。しかし、先日養子に迎えたタクトが早速養女を持つことになるとは、驚いた」
枢機卿は、茶をすすめる。
「教会故に、贅沢な歓迎ができなくて悪いのう」
「いえ、お気遣いなく」
「それで、王太子と恋仲なのかの?」
クレアは頬を染めてうつむいた。
「わたくしなどがよいと、アルフレッド殿下は言ってくださいました」
「枢機卿。クレアは知性が高く、視野も広い。王太子妃となって彼の治世を支えることができる女性だと僕も思うよ」
「趣味は?」
「……あえて申し上げるのなら、読書と魔術具研究でしょうか」
「ほう」
クレアはにこりと微笑んだ。
「先日、海辺の廃墟にて地中都市の、図書館を発見しました。書物はほぼすべて塵になっておりましたが、石板が残されておりました。古代フェニキア文字で書かれたそれを、持ち帰って研究しております。わたくしの趣味は、むしろ図書館の研究ですね」
「ほう。図書館の研究、な。良いところに目を付けなすったな。海辺の、フェニキア文字の図書館の廃墟じゃと? よいのう、わしもいってみたいものじゃ。……では、生きて歴史を残しておる人の世にある最古の図書館、教会図書館へ行ってみるかの?」
「教会図書館」
クレアの瞳がきらりと輝いた。
(行きたい)
タクトがすっと肩に手をおく。
「枢機卿。クレア嬢は王太子と婚約を控えている多忙な身です。図書館は後日が良いかと存じます」
「え」
クレアの口から思わず反論じみた声が漏れてしまった。だって、行ってみたい。
枢機卿は目を輝かせ、タクトはやれやれというように目を覆った。
そういえば、図書館は避けるんだったか。瞬きして、思い出したクレアは肩をすくめた。すっかり忘れていた。
「では、後日に活用できるように、今日は見学だけとするかな、ふぉっふぉっふぉ」
枢機卿がニヤリと笑った。
枢機卿に案内されながら回廊を歩いた。
中庭で、子どもたちが畑仕事をしていた。孤児院があるそうだ。孤児たちと面倒を見ているらしい女性の姿に、クレアは眉を顰めた。
(……飢えていそうだわ)
子どもたちはどこか目がうつろだし、女性は目の下にうっすら隈が見てとれた。苦労しているようだ。
孤児院の建物の方から、立派な服を着た体格の良い男性が現れた。にやにやと女性に声をかける。ふとクレアの視線に気づいたように、こちらをみた。
男は慌てて子どもたちを孤児院の方へ追いやった。杖で小突きながら子どもたちを建物の中に入れて、こちらに跪いた。枢機卿と、その客人と見えたのだろう。
枢機卿も、そちらを見て頷いていた。
「ああいう子供たちを救うためにも、陛下や王太子殿下にはまつりごとをしっかりしていただかねばの」
枢機卿は穏やかに言った。
「……そうですね」
クレアは孤児たちの服の様子や男の乱暴な様子も気にかかったが、ここではあれが当たり前の風景なのだろうか。枢機卿の穏やかな表情に口を出すのを控えた。
「古来、図書館と教会は縁が深いのです。我らが奉る女神は図書館を創世した女神そのものですし、その巫女ともいえる、図書館の巫女姫を何代も輩出している。
わが宗教の歴史をご存じですかな。まだ天と地が分かれて間もない黎明のころに、この地に降り立った女神は、民に書物を与え、図書館を作った。知識があれば、万民が栄えることができると説いた。
書を愛し、世界を平和にするために魔力を使う女神を、信仰するものが集まっていまの教会を形作っていった。
ですから教会の図書館は、原初の女神の図書館を由来とし、原初の図書館を映しとったものだと言われておりますのじゃ」
枢機卿が語りながら、図書館は向かう。
図書館は、美しい天井画と装飾に彩られていた。思わず天井画を見上げたまま動けなくなってしまうくらい、荘厳で美しかった。壁面に据え付けられた豪華絢爛な装飾を施された家具や、魔術具の地球儀などが並んでいる。その中心に祭壇があり、女神像があった。
(あれが、図書館を愛した原初の女神)
クレアは思わず女神像に近寄り、跪いた。
「あ、クレア……」
タクトが止めようとするが遅い。
クレアが指を組んで祈ると、胸元から光が放たれた。
(あ。まずい)
女神像もほんわり光を放つ。
首から下げた栞の魔導具が熱い。おさえきれない。
ふわりと浮かび上がった魔導具は、女神像の持つ本に刻印を付け、栞の宝石をまたひとつ光らせた。今度は黄色だ。
『光の知識を授ける』
教会の知識だろうか、光の知識の波がクレアの中に流れ込んできた。
(うわあ、またっっ)
知識の波に翻弄され、とりあえずそれを受け止めつつ意識の外へと追いやる。
知識の授与が落ち着いた後には、ちりちりと残光を纏うクレアの姿があった。
(やってしまった)
入り口で、どさりとものを取り落とす音がした。
この図書館で働く司書司祭が、手に持っていた本を取り落として愕然とクレアと女神像を見比べていた。
ちらりとクレアは隣を見た。すべてを眼前に収めた枢機卿は震えていた。
「図書館の聖女じゃ!!!」
ああ。やってしまった。クレアは冷や汗をだらだらと流した。タクトは頭を抱えていた。
教皇まで駆けつけて大騒ぎになった結果、クレアの身は一時教会預かりとなってしまった。
***
図書館隣の聖女棟、普段は空室で賓客室として使われている棟が大慌てで整備された。
「図書館の聖女とは、つまるところ何なのですか」
クレアが枢機卿に問うた。
「図書館の聖女とは、図書館の女神に仕えるしもべです。女神の図書館の間へ至る扉をあけることができ、女神の巫女となって助けます。そういう伝説ですな。世が乱れたときに出現するとか。かつて数名の聖女がいました」
「……そうですね。どなたも皆、教会に身を捧げられてから、お力を発揮したのでしたね」
クレアは祈りを捧げて受け取った知識を睨むように見つめて、必要な情報をつかみとった。これはまだるっこしすぎる。情報が多すぎて動けなくなるし、関連する言葉もなかなか見つけられない。まだ関連する本を積み上げて読んでいた方がマシかもしれない。
クレアはため息をついた。
「私の婚約者をかえしてほしいんだけど」
急な話を聞いて、アルフレッドが駆けつけたのは翌日だった。
様々な仕事を振りきってきたらしい。くる途中の馬車でも書類を見ていたようで、従者が心配そうに書箱を抱えていた。
枢機卿がにこやかに拒否する。
「いまだ、口約束の段階と伺っておりまする。クレア様は図書館の聖女ですじゃ。難しいですな」
「どうして。どこへ行こうとクレアの自由だろう」
「聖女様の行動を束縛する意図はございませぬ。ですが、こちらがわが聖女様をお迎えする準備が必要なためしばらくの滞在をお願いしているのでありまする」
「聖女様は図書館の巫女姫。ですからこれからは教会が聖女様のお家になります」
「クレアの本棚がある場所がクレアの家だ、だから今はウィンフィールド公爵邸がクレアの家だ!」
「ふむ、本であれば教会図書館にも多数ございますよ」
クレアは首を振った。
「わたくしの本棚がある場所が、わたくしが帰る場所です」
枢機卿が去った後、立ち会っていたタクトが頭を抱えていた。クレアの本棚は現在小さい。奪い合いになりそうだった。
「ルーシェの結界術を鍛えるか……」
「ルウが結界を?」
「そう、クレアを助け出すために魔法を覚えたいと言ってね、魔法の練習につきあっちているんだけどなかなか強い結界を作れるようなんだ。ルーシェは、人に変身できることといい、単なる黒猫じゃなくて猫の精霊のような気がするね」
「タクト様。アルフレッド殿下は本棚を護ってくださいます。ですよね?」
クレアから向けられた信頼感に満ちた笑顔に、アルフレッドはひきつってうなずいた。
「もちろんだ!」
お茶を飲みながら、聖女について調べたことを話し合う。
「図書館の聖女は皆、図書館に愛されていたようだよ」
「不思議に本が聖女の元に集まるという伝承もあるね」
それを聞いて、クレアはふと目をぱちくりと瞬いた。
「そういえばわたくし、本を見つけることが得意です。知りたい本がすっと目の前に現れます。目が引き寄せられるという感覚ですね。え、他の方もそうなのではないのですか」
クレアが不思議そうに尋ねた。
「そういえば、クレアが並べたウィンフィールド邸の書庫は使いやすいね。ほしい本がすぐみつかるというか。本の精霊に愛されている感じがする」
「ええ。でも、必要な本が輝いて見えたりくらい、皆あるでしょう? え、ないのですか?
アルフレッド様も?」
「僕は司書に探してもらうよ」
「わたくしは閉架書庫の本を持ってきていただく以外は司書の手を借りたことはないわ」
「ほら、図書館の精霊に愛されているんだ」
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