第24話 婚約


 告白、されてしまった。


『クレアが、好きだよ』


 アルフレッドの言葉が蘇る。


 クレアはぎゅっとクッションを抱きしめた。

 好きでいてもいいのだろうか。

(わたくしで、よいのでしょうか。流行りの装いも知らず、貴婦人とのお茶会よりも一人で読書することを好んでしまう、わたくしなどで。)

 社交。

 母が亡くなる前に、母の友人たちの集まりに何度か参加したくらいだろうか。それも研究者の母の友人であるから、一癖も二癖もある人物たちだった。

 それ以来だ。

(こんな、わたくしなど……)

 また落ち込んできた。


(落ち着いて考えよう)

 クレアは深く息を吸い、吐いて、鼓動を落ち着かせる。


「わたくしは、アルフレッド様が好き?」


 自分に問う。


「……好き」


 アルフレッドの笑顔を思い起こすと、じんわりと心が暖かくなる。

 クレアと対等に話のできる知識のある、幼馴染。最近再会してからは、何度も助けてくれた。

 その、王太子として正しくあろうとする高潔な姿も、タクトに対して無邪気に懐く姿も、とても好きだ。

(……わたくしが小賢しいことを言っても、否定しないところも。否定しないどころか、喜んでくださる)


 脳裏に父の顔が浮かんだ。

 首を振る。


(もうあの人のことは気にしない)

 かき消すように、アルフレッドの言葉を思い出す。


『結婚して、そばにいて』


 結婚。

 結婚?

 クレアにはよくわからない。王太子妃に、クレアがなるということだろうか。

(本当に? わたくしが?)

 クレアは戸惑って目を伏せた。

 耳に着けた珊瑚の飾りを触る。

 想いが通じ合ったのは嬉しい。天にも昇りそうなほど嬉しい。

 だけど、アルフレッドの妻……つまりは王太子の妃に、クレアがなれるのだろうか。


(いまのわたくしは、犯罪者の娘)


 しかも10代をほとんど家の中で、家事をして人に仕えて過ごした。こんなクレアが、侯爵家のお飾りの妻などではなく、王太子の隣に並ぶ妃になることができるのだろうか。


 とても不安になって、クレアはため息をついた。



 馬車の中で、アルフレッドに心配そうに尋ねられた。

「どうしたの、クレア。体調がまだ悪かった?」

 クレアは無理矢理笑って否定した。

「いえ、体の調子はもう大丈夫です。ありがとうございます。……あの。殿下」

「アルと呼んでと言っただろう」

 隣に座り、髪を撫でられてクレアは上目遣いにアルフレッドを見た。恥ずかしい、けど。

「……アル、さま」

「様もいらないよ」

 アルフレッドはくすりと笑って言った。

「私は、クレアが私のものだって、私がクレアのものだって、世界中に言ってまわりたいくらい嬉しい気分なんだよ。だから、名前を呼んでよ」

「…………アル」

 あの夕焼けの中では簡単だった名前を呼ぶことも、馬車の中、日常の中ではとても勇気がいった。恥ずかしかった。クレアは、どきどきしてまともにアルフレッドを見ることができなかった。

「で、どうしたの、クレア」

 優しく促されて、重い口を開く。

「あの、……アル。その、わたくしと、結婚したいと言ってくださいました」

「うん」

 アルフレッドはにっこりとうなずく。

「ですが、アルは王太子です」

「うん」

「わたくしに、王太子妃などつとまるのでしょうか。無理な気がします。せいぜい愛妾として、そう、タクト様のお母さまのマーガレット妃さまのように、」

「いやだよ」

 アルフレッドがクレアの言葉を断ち切った。

「私は、クレア以外の妻を娶るつもりはない。幼いころ、タクト兄上に良くしていただいたから、マーガレット妃様の悲しみも知っている。それだけじゃなくて」

 アルフレッドは、クレアの手をぎゅっと握った。

「私はクレアに隣にいてほしい。どんな時も、同じ景色を見て語り合いたいんだ。……もし、どうしてもそれが叶わないなら位を捨ててもいい」

 クレアは驚いて首を振った。

「だめですよ、アルはとても王太子としてがんばっていらっしゃいます。それに、民にとってもアルのような方が国を継いでくださるのが最良だと思っています」

「うん、私も王太子としてやりたいこともあるし、目指しているのはほら、ウォルタニア帝国の中興の祖アルバート帝だ。昔、君と話したあれが私の原点なんだよ。あのころからずっと、君は、私の心の隣にいたんだ。姿を見せない間も、ずっと」

 クレアは心がふるえて、涙があふれそうになった。

(わたくしは、ずっと。……あの、日々も、アルフレッド様の心の片隅にいられたのですね)

 それだけで、クレール侯爵邸でのつらい日々も報われる気がして、クレアは棟がいっぱいになった。

「わたくしが隣に立ってもよいのですか」

「私の隣はクレアしかいないよ」

 涙をこぼしながら、クレアは微笑みうなずいた。

「ありがとうございます。……わたくしががんばって、アル様から位や立場を奪わないように、アル様にふさわしい婚約者になれるように、追いつきます」

 アルフレッドは嬉しそうに笑った。いつものきれいな王太子の微笑みではなく、本心からこぼれたような柔らかな笑みだった。

「クレア、様はいらないよ」

 鼻をちょんとつつかれて、クレアも頬を染めて笑った。

「そちらも、がんばって慣れます」

「慣れなくてもいい。照れながら呼び捨てしているクレアもかわいい」

「……え?」

 自分に言い聞かせるようにうなずいていたクレアは、ぽそっと言われた言葉が良く聞こえなくて首を傾げたが、アルフレッドは教えてくれなかった。




 王都に帰ってからしばらくして、クレアはタクトに話があると呼ばれた。

 タクトの私室で、お茶をごちそうになる。

「まずは、婚約おめでとう」

「…………ご存じだったのですか」

 あの夕日の海の後、誰にも何も言われなかった。

 たしかに馬車でふたりきりで同乗して帰ったけど、それはルーシェがタクトと馬で帰ったからだし。アルフレッドが国王陛下に報告すると言っていたし、二人で陛下に会いに行って、それから世に公表しようと思っていた。まだ誰も知らないと、クレアは思っていたのだ。

 タクトはにっこりと、ごまかした。ルーシェと二人、しっかり会話が聞こえるところで見守っていた、馬車での会話にも耳を澄ませていたなどと、クレアに伝えるつもりはない。

「それで、君の身分のことなんだけどね。クレール侯爵位を継ぐこともできる。だけど、もしよければ、ウィンフィールド家の養女にならないか?」

クレアは思ってもみなかった申し出に、目をぱちくりと瞬いた。

「わたくしが、タクト様の」

「うん。よかったら、考えてみて。王太子妃としては、公爵家くらいの箔があってもいいと僕は思うよ。僕自身にはたいして力はないけどね」

 クレアはクレール侯爵位にあまりこだわるつもりはない。先祖から継いだものは父に全て燃やされてしまったのだから。それに、犯罪者の娘というのは王太子妃としてはなかなかの弱点になるだろうと思っていたところだった。

「僕としても、旗色をはっきりとさせるという意味でも価値がある縁組だしね」

 臣籍に下ったといえども現国王の長子、あれこれというものもいるらしい。はっきりと王太子派であるとわからせることで、そういうややこしい声を一掃したいのだろう。

 クレアはにっこりと頷いた。

「わかりました。ありがとうございます、お申し出を受けさせていただきます」

「そうか! ではアルフレッド殿下と話をつけておくよ」







 国王と王妃の私室に招かれた。

「父上、母上。彼女が僕の結婚したい女性です」

「クレア・クレールと申します。ウィンフィールド公爵のご厚意でこの後養子縁組していただく予定です」

 クレアは膝を折り、礼をする。

「良く来たな。……なにやら、クレール元侯爵の下で過酷な目にあっていたと聞いた」

 国王が、言った。

「はい、……いいえ、父はわたくしを外には出しませんでしたし、たくさん奪われたものもございますが、通常では得られない学びを得た場でもありました。……父の犯罪に気づかず止められなかったことをお詫び申し上げます」

「よい。調べは聞いている。そなたの手の届く範囲ではなかったであろう。不問にいたす」

「ありがとう存じます」

 クレアはにこりとお礼を言った。国王と目が合う。

「うむ。才女と呼ばれたクリスティーナ・クレール前侯爵夫人によく似ているな。…そういえば王妃、そなたクリスティーナを慕っていなかったか」

 え、とクレアは驚いて王妃を見た。以前会った時にはそんな様子を見せなかった。王妃は国王を相手に拗ねたように少し顔を背けた。

「……昔の話です。クリスティーナ様は一つ上の学年で、りりしくてすてきだったのです。あのころの同じ学年の令嬢はたいていクリスティーナ様に憧れておりましたわ。学園のパーティーで男装して、古語由来の口説き文句を言ってくださって。クリスティーナ様と踊るために令嬢たちが列をなしていました」

「そう、クリスティーナ嬢より素敵な告白の言葉を言えと言われたのだったな。故事成語を調べるのに大変だった。今思い出した。」

 はっはっは、と国王は笑った。

「アルフレッド、クレア。そなたたちを認めよう」

 ありがとうございます、とアルフレッドとクレアは声をそろえた。

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