第22話 夕焼けの海で

 しばらく寝込んでいたから足下がふらふらする。クレアは砂浜を、アルフレッドに支えられながら歩いた。ゆっくりと打ち寄せられる波の音は、すべてを飲み込み眠らせるようだった。近くの岩に腰掛け、二人はただ波が寄せる様を眺めていた。


「クレア」


 クレアは隣のアルフレッドを見上げる。そういえばずいぶん身長差をつけられていた。昔はクレアの方が背が高かったのに。アルフレッドの横顔が、夕日に照らされていた。

 ふとこちらを振り返ったアルフレッドと目が合う。アルフレッドははにかんだように笑った。


「クレアが好きだ」


 クレアの目が丸くなった。

「ちゃんと、言葉にして言っておかないとって思ってさ。……私と結婚して、一緒にいてほしいんだ。クレアに」

 いろいろなことが脳裏をかけめぐって、言葉にならない。


「わたくしで、いいの?」


「クレアがいい。クレアじゃなきゃ、いやだ。ねえ……だめ?」


 甘えるような悪戯な目に、クレアは思わず首を振っていた。


 破顔して、アルフレッドはクレアを抱きしめた。


「……わたくしで、いいのですか」


「クレアがいい。クレアが好きなんだ」



 抱きしめたまま、耳元でささやかれる。世界が夕焼け色に染まって、クレアはよくわからなくなった。本音がぽろりとこぼれた。


「わたくしも、アルフレッドが好きです。ずっと前からきっと」


「本当? 嬉しいな。大好き」

 アルフレッドが心から嬉しそうに笑った。

 ささやき声がくすぐったくて、クレアは震えた。


「あなたとタクト殿下と過ごした日々が、わたくしの生きる支えでした。……アルフレッドの、殿下のお役に立てるのであれば」

「殿下はいらない」

「必要です」

「いらない。呼び捨てでいい。二人だけのときは。昔も、言ったよね?」

 にっこりと、唇を押さえられた。


「むかし……ありましたね。それで、家でもアルと呼んでいたら母に叱られた思い出があります」

「クリスティーナ様に言っちゃったの?」

 アルフレッドが目を丸くする。


「はい。他の人に聞こえるところで言ってはだめと、きつく叱られました」

 くすくすと、クレアは笑った。あのときの母のあわてっぷりは覚えている。同時に初めて、アルフレッドとタクトとの身分差を感じた出来事だった。


「でも、二人だけのときは。呼び捨てにして。愛称でもいいよ。アルとか。クレアも愛称で呼ぼうか? クーとかレアとか」

「……わたくしの名は短いですから、クーでは違和感があります。クレアと、お呼びください、アルフレッド。……アル?」


 アルフレッドが嬉しそうにくつくつと笑った。


「あ、そうだ、クレアに渡そうと思っていたんだ」

 すっと身を放し、懐から小さな箱を取り出す。出てきたのは珊瑚の耳飾り。

「これ」

 初日に、街を探索したときに装飾品の店で見かけたものだ。


「君に、似合うと思ったんだ。着けていい?」

 クレアがこくんとうなずくと、アルフレッドはクレアの耳朶にそっと耳飾りを着けた。

「ずっと、私のものでいて」

 クレアはそっとアルフレッドの服を握り、うなずいた。

「はい、アル」



****



 二つの影が寄り添っている。

「しあわせそうだね」

 ルーシェがつぶやいた。

「うん。よかった」

 タクトも応じた。

「淋しい?」

 ルーシェはぷんと首を振る。

「ううん、クレアがしあわせならそれでいいもん」


 人身売買組織から救出された後、ルーシェはとても取り乱した。自分のわがままのせいで朝の散歩をすることになり、クレアを酷い目にあわせるきっかけになってしまったと、とても後悔して落ち込んだ。

「ルーシェ」

 タクトが優しく呼ぶ。

 ルーシェはまた泣き出した。

「ルーシェが、クレアをまきこんだの。ルーシェが、クレアをひどいめにあわせてしまった」

「ルーシェは悪くない。大丈夫。ルーシェは、クレアを守ったよ」

 タクトの何度目かの優しい囁きに、ルーシェは首を振った。

「ルーシェは、わるいの。……もっと強くなって、クレアをまもらないといけない」

ルーシェは思い詰めた顔を上げた。

「クレアをまもるちからを、持ちたいの。タクト、てつだってください」

 タクトは苦笑した。それでも、自虐の海から立ちあがろうとしているルーシェに、頷いた。

「わかった。協力するよ、なんでも言って。僕はルーシェの味方だよ」

 ルーシェは破顔した。

「タクト、大好き!」

 ルーシェは目を閉じ、魔力を集中させる。

 ゆっくり息を吐く。

 みるみるうちに、ルーシェの姿が5歳から、10代前半の少女の姿へと変化した。

「ルーシェ、つよく、なる」

 緑色にらんらんと輝く目で、ルーシェは言った。

 タクトはしばらく圧倒されていたが、そっとルーシェの髪に手を伸ばすと、優しく撫ぜた。

「応援するよ。可愛いルーシェ。僕も、二人が結ばれるよう力を尽くそう」

 ルーシェはにかっと笑った。






 クレール侯爵は投獄され、裁判に掛けられることになった。

 クレアは隠していた母の告発文と、薬草の図鑑を手に父と面会した。

「な、その本は燃やしたはずだ」

 トーマス・クレールは植物図鑑を見て表情を変えた。

「王宮図書館に所蔵されていました。あなたが見ていた項はここ。ボツティリー草のところです。この草の悪作用の症状は、母の病態と一致します」

「ぐ、偶然だろう」

「そして、母はわたくしに手紙を残しました。これが、証拠です」

クレアは、母の魔術書箱に隠されていた書類を提示した。

 いかがわしい業者からの、毒草の購入の記録だった。


「あなたは母を殺した」

 クレアは醒めた目でトーマスを見下ろした。

「すべての罪を告白し、悔い改めなさい」

 そして、踵を返した。

 後ろで父であった男の泣き声が聞こえたが、もう振り返ることはなかった。


 元侯爵夫人と義妹マリアは、夫人の実家に戻ったと、人伝に聞いた。

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