第21話 人身売買

 朝食に向かう席で、アルフレッドは侍従から気になる情報を得た。

「人身売買?」

 若い娘が何人も行方不明になっているという。

「先週、海へ散歩へ出かけたまま、当オード家のお嬢様が戻ってきていないのです。……お嬢様を、助けてください」

 そこへタクトがかけてくる。

「アル! クレア嬢とルーシェが、朝の散歩から帰ってきていないそうだ!」

 アルフレッドはいやな予感に顔をひきつらせた。

 領主オード伯を問いつめると、頭を地につけて謝罪した。

「申し訳ありません! 娘が! ……娘が、戻っておらず」

「……心配のあまり、クレアを囮にしたということか」

「すいませんでした!」


「謝罪だけで済むと思うな!」

アルフレッドはオード伯を怒鳴り上げた。護衛たちに情報収集に走らせる。

 オード伯爵はおろおろと、アルフレッドの前と執事の間を動いていた。

タクトは、怒りのあまり無表情になっていた。

「アル。先に行くね。船の上だ」

「あ、兄上、まっ……」

そのまま音も立てずに姿を消して転移した。


タクトが転移した先は、檻の中だった。

目の前には頬を腫らしたルーシェがいた。

「たくと?」

 目が合うとみるみるルーシェの目に涙が盛り上がる。

「ルーシェ」

タクトが言葉にならずにルーシェを抱きしめる。無事でよかった。その頬はどうしたの。誰がやった。そいつを。

たくさんの言葉がタクトの脳裏を駆け巡った。だけどそんなことをルーシェに聞かせたくなくて。ひたすら抱きしめた。


「タクト。クレアがあっちにつれていかれた。なんか、かねめのむすめだって」

 ルーシェが、涙を落ち着かせながらタクトに訴えた。

「金目の……?」

「あのね。あのおとこたち、くれあ、しってた」

 青ざめた顔のルーシェ。

「タクト。クレアを助けて」

 


 男たちに、クレアは引きずられていた。

 朝、ルーシェと浜辺を散歩していたら物陰に引きずり込まれた。そのまま口を被われ、男たちに担がれると裏手の岸につけていたこの船に連れ込まれたのだ。

 最初に二人が放り込まれた牢には、たくさんの女性がいた。少しくたびれているが質のよい服を着ている少女。

「わたくしは領主の娘です。この地の民を護る必要があります。そなたは奥へ」

「貴女がオード伯爵令嬢だったのですね。わたくしはクレア・クレール侯爵令嬢。この子はルーシェです」

 少女は顔をひきつらせた。

「クレール……クレール侯爵はご存じ?」

「父ですが。何か?」

 少女は突然、牢の外へ向かって叫んだ。

「ここに、クレール侯爵令嬢がいるわ! この娘の命が惜しかったら、わたくしたちを解放なさい!」

(え……どういう、こと)

 にたにたと笑いながらやってきたのは父侯爵だった。

「元気のいい女だな。うるさくてかなわん、しばっておけ」

 オード伯爵令嬢を見てそう命じると、父はクレアに目を向けた。

「……我が娘は王都にいるはず。そのような娘は知らんなあ、クレア」

 頭が真っ白になって動けないクレアの、髪を格子越しに無造作につかんで引き寄せる。

「顔は、見たことがあるけどな。あの気取りくさった女の顔にそっくりだ」

 そして、手下に命じる。

「おい。あの娘を連れてこい」

 クレアを護ろうとしたルーシェを蹴り飛ばして、男たちはクレアに掴みかかった。こうしてクレアは牢の外、賓客室へとひきずって連れて行かれたのだった。



 父の座る椅子の前に、押さえつけられる。

「ひさしぶりだな、クレア。よい身なりをして、娼婦にでもなったか」

 耳飾りをつかみ、引きちぎられた。頭を踏みつけられる。

(やめて。いや。)

「脱がせろ。この娘にはもったいない服だ」

(いや。いや。)

「我が下にいれば、死ぬまで屋敷で下働きさせてやったものを」

 身ぐるみはがれて、ぼろ布を投げつけられる。

「こちらの側に来たならば仕方がない、奴隷には奴隷の最高の場所があるよ、クレア。家畜のように汚泥にまみれて這いつくばって、蹂躙されるが良い。……その母親そっくりのまなざし、虫唾が走るわ」

 唾を吐かれた。顔にぴしゃりとかかる。涙もこぼれなかった。この男は屑だ。

(アルフレッドさま。たすけて)

『君を、守る』

あのときのアルフレッドの真摯な眼差しが蘇る。

侯爵の背後の船室の硝子が大きな音を立てて割れ、瞬きする間に刃が侯爵の首筋に突きつけられた。背中で硝子を受けたらしく、いくつもの破片が侯爵の背中に刺さっているが、深くない。命を奪うほどではない。

歯をくいしばったアルフレッドが、寸止めの刃を震わせながら、続く配下に命じる。

「縛れ。殺すな」

 部屋の扉が開き、ルーシェが駆け寄ってきた。タクトがクレアにマントをかける。

「裁きを受けさせる必要がなければ、この場で切り刻んでやるのに」

刃を侯爵の眼前に握りしめて、アルフレッドは震えた。

 護衛たちが侯爵とその部下を捕縛し終えたのを確認して刀を納めると、アルフレッドはクレアの下へ駆けつけた。ルーシェを抱きしめて震えているクレアを、ぎゅっと抱きしめる。

「ごめん。遅くなった」

「……いいえ、殿下は間に合いました。まだ誰も売られていません」

「君が! 君がこんなに傷ついているじゃないか」

「あの男が、いるなど、だれも想像していませんでした」

 クレアはうつろな目で笑った。

 アルフレッドが、もう一度クレアを抱きしめた。ルーシェがするりとクレアの腕の中を抜け出す。クレアはそっと、アルフレッドの背に手を伸ばした。怖かった。ぎゅっと、抱きついて、アルフレッドの鼓動の音を聞いて、ようやくクレアは落ち着いて息ができる気がした。

「……本当に、無事で良かった。もう会えなくなるかと思った」

 頭の上でアルフレッドがつぶやく声が落ちてきた。ぽろりと、クレアの心情がこぼれた。

「……わたくしも」

「うん?」

「わたくしも、すこし、おもいました。殿下に会えなくなったらどうしようって。……でも、必ず助けに来てくださると思っていました」

 にこりと、こわばった頬で、なみだをうかべた目尻で、笑みを浮かべた。

「だって、わたくしと本棚をまもってくださるのでしょう?」

「クレア。本当に無事で良かった」

 クレアは安心したようにアルフレッドの服をつかんで、ふっと意識を失った。

黒猫がクレアの足元で丸くなって、クレアを護るように見つめていた。





 クレアは高熱を出した。クレアが寝付いた寝室に領主オード伯爵が膝をついて謝罪に来て、アルフレッドにすげなく追い返されていた。犯罪者たちは一足先に王都に護送されていった。オード伯爵令嬢は、犯罪者へ侯爵令嬢を差し出そうとした罪で、王都に送られた。正気に帰った後は涙ながらに謝っていたが、アルフレッドはクレアにあわせる必要性を感じなかった。

 ようやく熱が下がったので、翌日、王都へ向けて出発することになった。

「その前に、海を見に行かないか」

 アルフレッドから誘いがあった。

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