第18話 海辺の街へ
聖女が最初に現れたのは、かつてはオーレリー国だった、オーレリー地方だったと言われている。オーレリーの、図書館好きの少女だったという。なぜ彼女が初代図書館の聖女に認定されたかと言えば、彼女が教会で巫女となり出世するときにまるで奇跡のように図書館の資料を使いこなし、本を操ったからだという。
クレアたちはまず、オーレリーの港町に行ってみることにした。噂では、珍しい海中がのぞける図書館があるという。王都からの距離も馬車で半日ほどとお出かけに最適だった。
話を聞いたアルフレッドが言った。
「オーレリーの領主はオード伯爵か。連絡しておくよ。私も行くしね」
「アルフレッド様。……王太子のお仕事はよろしいのですか?」
クレアは心配になって問う。アルフレッドはにこやかな笑顔で頷いた。
「現地を見るのも大切な仕事だ、と先日の視察旅行で学んだよ」
「かしこまりました。……心強いです」
ほっとして、クレアもにこりと微笑んだ。
旅立ちは10日後に決まった。海辺の街は王都よりも少し暖かい南に位置するので、春でも初夏のような陽気のようだ。念のため夏用の薄手の服なども準備した。
「ルーシェも!」
黒猫少女のルーシェが言った。
今の見た目は5歳くらいで、まるで人形のように可愛らしい。クレアはルーシェの髪を櫛削りながら同意した。
「そうね、一緒に買い物に行きましょう。ルーシェの、暑い時用の服も買いに行かなくてはね。時間があればわたくしが作るのだけど」
今は研究に準備に忙しすぎて手が回らないが、クレアは可愛いルーシェの服を考えることがたまらなく楽しかった。
ルーシェは、5歳くらいの背丈なのにすらりと手足は長く頭も小さく、目尻がきりりとつりあがった緑色の瞳をしていて、くるんとカールした黒い髪と相まって人形のように可愛らしい。
何を着せても似合うが、ひょっこり覗かせる頭の上の耳やしっぽをデザインに含めた、ルーシェ専用のものの方がより可愛らしさが際立った。時間に余裕ができたらぜひルーシェのための服をデザインしようと、クレアは心に決めていた。
ドレスショップの店員によると、海辺の街では水に濡れても良い丈夫な服で水遊びを楽しむことが流行しているらしい。濡れる!?とクレアは驚いたが、知らない体験に少しわくわくもしていた。
タクトが研究をきりの良いところまで片付けたりアルフレッドが留守中の仕事を先取りするためにふらふらになっている中で、クレアとルーシェは優雅にお買い物を楽しみ旅の計画を立てていた。
「ここの廃墟へ行ってみたいわ」
「ルウはここの市場のね、おいしいお魚がきになる」
二人は地図をのぞき込み、あれこれ指を指す。
「そうね、ここの市場はぜひ行きたいわね」
「図書館」
ルーシェが本のマークを指した。
「そう、図書館よ。オーレリー市最大の図書館はこの海沿いのここにあるの。宿泊予定地はここなので、少し遠いわね。あと、こちらの島に廃墟もあるって聞くから、初日はここの市場の屋台街と海遊び、次の日にこちらの廃墟と、図書館に行きましょうか。で、3日目はまた行きたくなったところに行ける自由日にしておきましょう。そうしたらもう帰る日ね」
「ふふ。クレア、たのしみ?」
「ええ、楽しみね」
「うん!ルーシェも!」
二人は荷物を詰めながら笑い合った。
ルーシェのしっぽが喜びのあまりぴょこりと飛び出してパタパタと揺れていた。
旅立ちの日は快晴だった。マーサたちウィンフィールド公爵邸の家人たちに見送られながら、クレアたちは旅立った。一行の構成は馬車が2台と馬で同行する護衛騎士たち、と言うものだった。タクトも行きたい場所があるらしく、馬で同行していた。いつもアルフレッドについている護衛のピートもいる。アルフレッドは馬車に乗るなり寝てしまった。
ルーシェはわくわくしながら窓の外を見ていた。が、たまらなくなったらしく、黒猫の姿になると馬に乗るタクトの元へ行ってしまった。
「にゃうん」
「あれ、ルーシェじゃなくてルウ、ここに来るの?」
「にゃー」
ルウはタクトの懐にすぽっと収まる。のんびりと、馬上で風を感じながら、一人と1匹は進んだ。
クレアは眠りについた王子に寄りかかられながら、現地の情報を集めた本を読んでいた。
ふと眠りから覚めたアルフレッドが目をこする。
「ん……。ごめん、重かった?」
「いえ、大丈夫です。お忙しいのに調整して一緒に来てくださってありがとうございます」
「君と一緒に出かけたかっただけだよ」
アルフレッドはクレアの髪をくるくると指に巻き付けながら、にっこりと笑った。クレアは赤面する。
「今日はどんな予定になっているの?」
「今日は図書館の場所の確認と、海辺の珍しい品物を見たくてお店に行ってみたいなと思っています」
森の川のほとりで休憩をとった。ルウは黒猫姿のままではしゃぎまわる。
「もー、ルウ、危ないよ!」
タクトに捕まって、ルウは鈴のなる追尾性首輪を付けられていた。
クレアは岩場に腰掛けて、マーサが持たせてくれたバスケットを開いた。料理長が腕に寄りをかけた軽食、ハムサンドやプチケーキが入っていた。
タクトが魔術具でお湯を沸かし、お茶を入れてくれる。アルフレッドの護衛のピートたちが数人で、簡易なテーブルを作ってくれた。クレアは楽しくてにこにこと笑みを浮かべた。
「こんなふうなおでかけは初めてです。とても楽しいです、ありがとうございます」
アルフレッドもタクトもにっこり笑った。
「これからも一緒に色々行きたいね、クレア」
楽しすぎて何も深読みしなかったクレアは「そうですね」と満面の笑みで頷いた。その笑みで、アルフレッドが顔を赤くして「……反則」と呟いていたのも聞こえない。
「あ、ルウ」
黒猫姿のルウが、興味津々で森の奥へ行こうとしていた。
「だめよ、迷子になってしまう……っ」
クレアが追うより早く、黒猫は森の中へ入っていった。
「ルウ、戻ってきて!」
しかし、ルウはするりと森に消えてしまった。遠くに鳥の声しか聞こえない。クレアは青ざめて立ち上がった。
「大丈夫。見てて」
タクトが、腕に巻いたルウとお揃いのリボンに魔力を込めた。森の奥に光が灯る。
「あっちだ」
一行は黒猫を追いかけて森に入った。
小川の上流、小さな滝壺になっているところで、ルウは蝶と戯れていた。
「ルウ」
めずらしく、タクトが怒った声でルウの首根っこをつかむ。ルウは目を丸くして、タクトを見上げ、それからしょんぼりとみぃと鳴いた。
何かがルウの足の爪に引っ掛かっていた。不思議な虹色の羽根。これが気持ち悪くて走り出したのだろうか。タクトに叱られるルウの爪から、クレアはそっと羽根を外した。
こんな鳥、見なかったけれど。ここまで来る途中に、落ちていたのだろうか。あとで調べてみよう。肌身離さず持っている手帳に挟み込む。
滝を見ていたアルフレッドが、訝しげな声を出す。
「あれ? 風が……」
滝から風が吹いていた。
滝の裏に、小さな洞窟があるようだった。
繁殖した草をのけていくと、大人の頭ほどの空間があった。腕なら通るが、大人は入ることができなさそうだった。
にゃう。
立候補するようにルウが鳴いた。
タクトが仕方なく、ルウを地に下ろした。
なうん。一声鳴いて重心をおとし、構える。ルウが走る。弾丸のように岩壁を走り、穴へ飛び込んだ。
洞窟の奥で、何かを掘るような音が響いていた。 しばらくしてルウが出てきた。何か咥えている。
革の袋と金属の箱が繋がれた、何かの道具のようだった。
「ルウ、見せて」
手を伸ばしたタクトにルウが渡す。
クレアも一緒にのぞきこんだ。
「魔導具ですね」
「魔導具のようだね。ここに魔法回路が描かれている」
皮袋の紋様をタクトがなぞる。
「こちらが風で、こちらが制御を意味する古代語だろ……」
「でも、こちらは火の石が必要なようですね」
タクトとクレアはすぐに魔道具に夢中になった。
「タクト兄上。後にしましょう」
そうた、休憩予定時間をとうにすぎている。
タクトは名残惜しそうに魔道具を懐にしまった。
休憩場所に戻ったら、荷物番をしていて待ちくたびれたピートの他の護衛たちが、机や籠などを片付けてくれていた。
ルウはあれだけ首根っこを捕まえて怒られてもやはりタクトの懐が良いらしく、馬にぴょこんと乗り込んだ。
こうしてクレアは再び馬車の旅をはじめた。
今度はクレアがさっき見つけた魔導具について考え込んでぼんやりとし、アルフレッドにくすくすとからかわれた。
「……家でも、いくつかこっそり改良していたんです。効率よく仕事するために、まどろっこしい旧型魔術具が耐えられなくって。でも何回か爆発させてから、父たちに殺されそうなほど暴力を振るわれたので、それ以降は隠れてこっそりできるくらいのものに留めていました。……また、実験したり魔術具改良とかできたらいいなと思っています。楽しいです」
「そうだね。君の才能が生かされるよう期待してる。今後は存分に実験したらいいよ。君は自由なんだ」
アルフレッドはぽん、とクレアの頭に手を置いた。
真昼を過ぎて夕方にはまだ早いくらいの時刻に、目的地であるオーレリーの港町に到着した。
「海って、広いんですね!」
クレアは息をのんで海に見入った。陸地の端から空との境目までずっと海が続いている。
船の汽笛の音が鳴り、たくさんの船が広い海を往来していた。
ふわあ、と口をあけたまま、海の雄大な景観に見とれるクレア。そんなクレアを、アルフレッドはにこにこと見つめていた。
「気に入った?」
「はい。……世の中にはこんなに大きな世界があるんですね」
瞬きを忘れて海に見入っていたクレアの頬を、一筋の涙が流れる。
すかさず、アルフレッドが指でぬぐった。そのまま頬を包み、クレアを目の前の現実に引き戻す。
「これからもたくさんの世界を、一緒に見ようね」
「はい、……ええと、よくわかりませんが、たくさんの世界を見たいです」
とりあえずうなずいてから、クレアは首を傾げた。いっしょに、とはどういう意図か。アルフレッドは微笑んで答えてくれなかった。
隣では海へ向かって走りたがるルウを、タクトが苦慮しながら捕まえていた。
「ルウ。ルーシェになって。屋台街へお買い物に行きましょう」
なうん、と黒猫ルウは返事して、タクトの肩からひらりと身を転じて猫耳少女へと変身した。タクトの結んだ魔術具はルーシェの腕に巻き付いており、そのリボンの先はタクトが握ったままになっていた。迷子防止紐だ。
「うみ! クレア! うみ! いきたい!」
「海は後ね。屋台街がお酒の時間になる前に、先に行きましょう。きっと美味しいお魚もあるわよ」
「おさかな!」
ぱあっとルーシェの顔が輝いた。
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