第17話 アルフレッドの図書館

 アルフレッドは馬を駆り、王都のはずれの森に来ていた。

 大きな木の前で馬をつなぎ、大木のうろに拳くらいの大きさの宝石をはめ込む。

 木に扉が浮かび上がる。そこをあけると、世界樹の図書館だった。

 二足歩行で本の整理をしていた猫が振り返る。

「よく来たな、アルフレッド」

猫が、言葉をかけた。


 アルフレッドは昔、失踪したことがある。

妹が産まれてしばらくして、母の宿下りの離宮の宮殿中の人が王女殿下に夢中だった頃だったか。

 あまりに放って置かれる状況が少々面白くなかったアルフレッドは一人で庭を探索するという冒険に出た。

 そして、そのまま森の中で迷子になったのだった。



##



 人が立ち入らない、深い森の奥。

 小鳥のさえずりが響き、虫たちの声がそこここから聞こえる。

 木々の間に枯れ葉が落ち木の根を覆い隠す。そんな道無き道を、迷子の子どもが歩いていた。

 その顔は不安にゆがみ、目には涙がにじんでいる。何度も転けたのか、膝や手は泥だらけで血がにじんでいるところもある。

 それでも、少年はぎゅっとこぶしをにぎりしめ、前を向いて歩いていた。


(わたしは、いえにかえるんだ)


 水色の目に意志の光が宿る。

 何度目か、大きな木を曲がったときに、その道に気が付いた。

自然にできたのだろうか、木々の枝や根が絡み合い、トンネルになっている。その奥からは、光が差していた。

 少年はぽかんと口をあけ、吸い込まれるようにその木のトンネルをくぐった。

 永遠に続くかのように思えた木々のトンネルを抜け、その先に、それはあった。

(おうち……?)

 煉瓦の壁を蔦が覆う見上げるような高さの建物。その中央に、大きな扉があった。

 もういちど、ぎゅっとこぶしを握りしめ、少年はとんとんと扉をたたく。

(……なにもない)

 静まりかえったまま、反応はなかった。

 どきどきと高鳴る胸を押さえて、少年はそっとドアノブに手をかけた。

ぎぎ、と、扉が開く。扉から中に光が射し込んだ。そこに見えたのは本の山。壁を書架が埋め尽くし、その前にも本が積んである。図書館のようだった。

 閲覧台らしき机もある。少年は、そろそろと足を進めた。机の上に一冊の本が置いてあった。少年も知っている文字だ。だけど知らない単語だ。

(『ステラ・エト・アトラタ・フェレース』? どういういみだろう)

ページをめくる。ところどころに絵があった。猫だ。少年は興味深く絵を追った。

「ぼくの本を見てるの?」

 突然声が聞こえた。少年はびくりと本を閉じた。きょろきょろと辺りを見回すが人影はない。足下に動く小さな影。黒い猫だった。

先ほどの本から出てきたかのようにそっくりだ。

 猫はくわっと口をあけて牙をむくと、あくびをした。ふるふる震えながら伸びをする。そしてすとんと腰を下ろし、猫は少年をじっとみた。

「いましゃべったのはきみ?」

 にゃおん、と猫が鳴いた。そのままの声で、猫の口から言葉がこぼれてくる。

「ぼくだよ。ここはぼくの住み処の、世界樹の図書館だ」

「せかいじゅ……」

 なんだかおいしそうだ、と考えたらおなかが鳴った。そういえば朝ごはんしか食べていない。

「おいで。何か食べさせてあげる」

 食堂には、温かい食事が用意されていた。ごはんをたべ、眠り、そして本を読み、言葉を学び。長い時間を、アルフレッドと猫は過ごした。


 司書猫は昔は人の形をしていて、ここにアルフレッドと同じように、迷い込んだ子どもだったらしい。

 長い年月を経て、猫の姿になったと言った。

「ねえ、アル。僕に名前をつけてよ。昔の名前は忘れてしまったんだ」

「じゃあ、アイル。知識という意味だよ」

「アイル。ありがとう。…君が必要な時にはこの図書館はいつでも開くよ。そうだ、名前のお礼にこれをあげる」

 古びた髪留めを、アイルはアルフレッドに渡した。

「いちどだけ、僕を君の世界へ呼び出せる魔導具さ。一度だけだから、考えて使ってね」


 ある日、ぼんやりと星を眺めているアルフレッドに司書猫が訊ねた。

「アル」

「なあに」

「帰りたい?」

 父と母の顔を思い出す。妹だって、アルフレッドににこーっと笑った瞬間はとても可愛いのだ。それに、あまり会えないけれど優しい兄の声を思い出した。

 たまらなく家族に会いたくなって、こくり、とアルフレッドは頷いた。

 司書猫は少し寂しそうに笑った。

「もうすぐ満月だ。扉が開くよ」


「この図書館のことは誰にも言ってはいけない。僕と君だけの秘密だよ」

「うん」

「迷うことがあったらまたここに来ると良い。鍵をあげる」

 水色の大きな石をもらった。

「これを、目印の木に埋めると扉が開く」


 満月の夜、アルフレッドは宝石を大きな木に押し当てた。扉が開き、アルフレッドはその扉をくぐった。


 そこは離宮の庭園だった。遠くから彼を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。アルフレッドが迷子になってから、不思議とそれほど時間は経っていない、同じ夜のことのようだった。

 アルフレッドはきゅっと水色の石を握りしめると、懐にしまった。アルフレッドを呼ぶ声がする方に駆け出した。

「お兄様!」

 ぽふりと抱きつく。

「アルフレッド。どこにいたの? こんな時間まで。みんな探したんだよ。近くの離宮にいた僕たちにもお尋ねがあったから、一緒に探してたんだ」

 優しい兄の声に、アルフレッドは嬉しくなってしがみついた。兄に手を繋いでもらって、アルフレッドは両親の待つ離宮へと帰って行った。



 それから、何度か世界樹の図書館へ知識を求めてこっそりと訪れた。


***


「アイル。クレアを、ここに連れてきてはダメか?」

 アルフレッドが問う。

 アイルは首を振った。

「君が彼女をここに連れてくるのは理に反するね。彼女の手には魔導書がある。正しい手段で来なければ、よくないことが起こるだろう」

 アルフレッドは落胆した。

「だけどいつかは彼女がここに来る。君と、二人で来れたらいいね」

「そうだね、きっと喜ぶだろう」

想像して、アルフレッドは微笑んだ。

「そうなるように、全力でクレアを助ける」


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