第16話 研究所
こうして、クレアは魔法研究所への入館資格を得た。
魔法研究所は、王宮の一角にある。得体の知れない、賢者たちの棲み家と呼ばれていた。
古来伝承された魔導具を研究するためには古代文明について知る必要がある。古代の民俗誌などを研究している研究室もあるそうだ。魔道具は現代の文明では解明しきれない仕組みで動く。
それを研究して魔術具、現代の研究で作られた現代の人々の為の魔法の道具にする研究も盛んに行われていた。国が注目しているのはこちらの部分だ。クレアの開発した保冷庫や水の出る蛇口石は魔術具の一種だった。
それらの生活魔術具の研究が認められて、クレアはこの魔法研究所に入所することが認められたのだった。
タクトに案内されて、クレアは研究所に踏みいれた。
階によって、スライムがおそってきたり人喰い花にかじられたりしながら階段を上がる。白い扉の前にきた。
《クリスティーナ・クレール研究室》
「え……」
飛び込んできた母の名前にクレアは凍り付いた。
「ここにはこういう故人の研究室も、残されている。ここはクレール博士が強い希望で残した場所だ」
タクトが言う。
「ここの階には普段僕も入らないからね。先日クレール家のことを調べていてはじめてこの部屋にたどりついたんだ」
タクトが鍵を取り出した。クレアにそっと手渡す。
鍵を手渡されてその重みにクレアは震えた。母は、病みついて動けなくなる直前まで仕事に行っていた。ここは、母の大事な仕事場だ。
ゆっくりと鍵を差し入れ、回した。ぎい、とすこし錆び付いた音を立てて、扉が開いた。
一人用の研究室は大きな机と書架で大部分を占めていた。書棚の一段、一番目につくところにクレアと祖母たちの肖像画が飾られていた。
クレアは中に入り、天井の高さまである本棚を見上げ、こちらに向かって座る形の机を見た。
---あら、クレア。ついに来たのね。
母の幻影がそう言って笑った気がして、クレアは目を瞬いた。
「お母さま……?」
母の幻影がちらりと、肖像画の横の書箱を見る。そして、クレアをみつめて微笑んだ。
---頼んだわ、クレア。
母は、光に薄れて消えた。
クレアは力を失ったように座り込んだ。母の喪失が、実感をともなっておそってきた。
子どもの頃は何とか母の病をくい止めようと戦うのに必死だった。だけど、母はもういないのだ。
「お母さま……」
泣き崩れたクレアを、アルフレッドが支えて母の椅子に座らせてくれた。
「クリスティーナ様がまだおられるみたいだね」
アルフレッドがささやく。これまでこんなに泣くことはなかったのに。すっかり心が弱くなってしまったのか。アルフレッドたちを、信頼しているから泣けるのか。
クレアは小さくうなずき、しばらくこの部屋に一人にしてくれるように頼んだ。
一人になって、しんと静かになる。クレアは息を整えた。
(あの、書箱)
肖像画の横に、まるでそういう私的なものをおいているかのような自然なたたずまいで、鍵のかかる意匠の書箱がそっと置かれていた。そっと埃をはらい、鍵穴を見る。母の魔法書から栞の鍵を取り出し、形を確かめた。
(合う)
そっと鍵の羽の軸を差し込むと、書箱がふんわりと光った。クレアの存在を確かめるように、書庫から放たれた魔法がクレアを通っていく。この書箱は魔術具-魔導具かもしれない。魔力を帯びたものだった。クレアを確認して、魔法書箱がひらく。
入っていたのは、母の魔法書とよく似た書物だった。ただしこちらは歴史を経た風格があり、紙もしっとりと重く褪色しているようだった。表題の文字も古代言語だろうかすぐには読み解けない。革を止める留め具に宝石がいくつもあしらわれていた。
(
魔導書を持ち上げるともう一枚、紙があった。現代の紙だ。
『我が娘クレアへ』
クレアはまた、息をのんだ。
『ここに、たどり着いたのね。おめでとう。がんばったわね。早々といなくなってしまってごめんなさい。貴女にもっとしてあげたかった。わたくし以上に才のある貴女の行く末を、一緒に見たかった。この手紙を読んでいるということは、きっとできていないのですね。残念です。
あなたの、未来が幸多きものであることを祈っています。
さて。この手紙を書いたのは他でもない、あなたに中途半端な形で継承させたあの魔導具のことです。
本来ならば何年もかけて、貴女の資質も見極めつつ、伝えようと思っていました。悪用することもできる恐ろしい魔導具だからこそ、どこまで伝えていいのか自身がないの。ごめんなさいね。それでも、この手紙を見つけることができたのなら、伝えられることがあります。
わたくしが作った魔法書は、これとともに入っていた魔導書のレプリカです。わたくしの魔法書では、王宮図書館への片道通行でした。本物の魔導書の効力は、それどころではありません。世界中の図書館の扉があなたを待っているのです。
詳しくは、世界樹の魔導書をお調べなさい。あなたのまわりに、手がかりがあるはずよ』
クレアは読み終わり、伏せていた目を上げた。
魔導書をみる。鍵がかかっているのか、ひらかない。
「どうすれば良いの?」
途方に暮れてクレアはつぶやいた。ため息をついた。
「……お二人の協力を、あおぎましょう」
これまで、何も聞かずに保護してくれたあの二人を信じよう。
クレアは、アルフレッドとタクトをクレール研究室へ呼び出した。
「これが、母の作った魔法書…魔術具です」
革の表紙。飾りにも見える、星の魔法陣。それに、クレアはゆっくりと魔力を流す。
魔法陣は光を放ち、魔法書自体が光を帯びた。
「登録者の魔力を流すと、このように起動します。そして、……「
呪文を唱える。
星の形の陣の真ん中に、鍵穴が現れた。
栞の鍵に、魔力を込めて宝石を起動する。羽の軸の部分を刺すと、回す。鍵が開いた。
魔法書から立ち上った光が扉を形作る。クレアが取っ手をひねると、扉の木枠の中には王宮図書館が見えた。
「これが、わたくしが図書館へ脱出するときに使った被密です」
「ですが、こちらの魔導書。本物のグリモワールの方はもっと可能性を秘めているそうです。まだ使い方もわかりません。母の手紙にあった名は<世界樹の魔導書>。この、研究をしたいのです。協力していただけませんでしょうか」
それから三人は様々な文献を調べ、魔導書自体も調べた。クレアは母の研究室に日参した。
ある日、魔導書の入っていた魔法書箱の底板が動くのに気づいた。剥がしてみる。そこには、母の症状と思い当たる毒物、試みた解毒方法の記録があった。そして、その毒物を父が入手したという証も。
クレアは息を飲み、目を閉じた。瞼の裏に赤い炎が蘇る。母の蔵書が燃えた色。炎に照らされた、父の恐ろしい顔。
ふっと、意識が遠くなりかけて、クレアは自分を取り戻した。このまま無防備に倒れるわけにはいかない。
素早く内容を写し取ると、原本は再び底板の下に隠した。魔法書箱自体クレアにしか開けられないから、ここが一番安全なはず。
クレアはぐっと手を握りしめた。許さない。父に対する恐怖を、怒りが超えた瞬間だった。
「君の魔法書が王宮図書館に出口の刻印が必要だったように、この魔導書の魔法も出口の刻印が必要なのではないかな」
クレアが調べた、世界樹の魔導書をかつて使っていた姿が描かれているのは三人。いずれも図書館の聖女に任じられている。
「では、教会で調べた方が良いでしょうか……」
「教会の図書館ならもっと詳しいことがわかるかもしれない。でも危険だな。君を図書館の聖女として取り込まれたくない」
アルフレッドは心配そうに首を振った。タクトも頷く。
「そうだな、最初に聖女が現れた伝承のある、海辺のオーレリー地方にある海洋図書館に行ってみるのがいいんじゃないだろうか」
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