第14話 厨房の改良と黒猫の少女

 書庫づくりが終わるころには、屋敷は見違えるようにきれいになっていた。

「ねえ、マーサ」

「はい、クレア様」

「下働きはいけないことがわかったわ。でも、お菓子づくりを、したいのだけれど」

「お菓子ですか」

「タクト様と、アルフレッド様にお礼の何かを作りたくて」

「刺繍か何かになさってはいかがですか」

「刺繍していると魔法回路を刺繍したくなるのよ。きっとタクト様もアルフレッド様もそれを解析し出すわ。それはそれで楽しいのだけど」

「お三方が本気を出すと新たな魔術具を作ってしまいそうですね。了解いたしました。それでは、菓子づくり用に使える用品を準備させておきますね」

「ありがとう、マーサ!」


 厨房を一目見たクレアは、懐かしさを感じていた。かつて、改良する前のクレール邸の厨房もこんな感じだった。

「このオーブンの火加減は……こちらでくべるた薪の量で加減しているのね。この水は、井戸から運んで? 了解しました、すいませんこの棚をひとついただいてもいいかしら。扉をつけて欲しいのです」

クレアは食品置き場の端の使われていない棚を一つ指して言った。


 騒ぎを聞きつけてタクトが現れる。

「すごいことになっているね」

「ああ、旦那様」

「タクトと呼んでくれ、アルフレッド殿下に怒られそうだ、クレア」

「ではタクト様。この厨房へ、いくつかの魔術具を導入してもかまいませんか? どれも、ほとんど魔力のない平民でも使えるものです」

「いいよ、やってみて」

 こうして、家主の許諾を得たクレアはあらかじめ準備していた魔石と魔術回路を組み込んだ魔法陣を使って、ここに魔石を配置してこういう魔術具へ、という指示を矢継ぎ早に出し始めた。

井戸から水を汲まなくても、魔石を介在させることで簡単に少量の魔力で水を召還し出し止め容易な蛇口を作る。食器の乾燥まで、風に熱を纏わせてふわりと乾かす仕組みを魔術具化した。オーブンは火属性の魔石を噛ませて火力調整を可能にしたし、極めつけは保冷箱で、木の棚に扉をつけて密封して、氷冷用魔石を埋め込むことで夏でもひんやりとした温度を維持できる食品置き場を開発した。

「この保冷箱は多少魔力が必要かもしれないわ。厨房の人員で足りなければご主人様、タクト様に頼むといいと思います。タクト様なら一回魔力を込めると半年は補充がいらないのではないかしら。そのおかげで冷たい飲み物が飲めるのならタクト様も文句は言われないでしょう?」

タクトは苦笑した。

「そうだね。しかしすごい発想だ。前から考えていたのかい?」

「わたくし、あの家ではとてもたくさんの仕事をいいつけられておりましたので。効率よく魔力を使おうと試行錯誤していたんです。あの家では屑魔石までしか入手できなかったのでたいしたものは作れなかったのですが」

 あまりの早業で厨房が改良されたのを見てタクトは苦笑した。

「さすがクレアだな。どんな立場にいてもその知性を活用し限界をやすやすと突破するとは」

「あの、タクト様。洗濯を短時間で乾かす魔術具や、しわをのばすアイロンの改良なども行ってよろしいですか」

「もちろん。とても興味深い。ぜひ開発過程も記録にとっておいて、実物ができたら僕にも見せてほしい」

 こうして、クレアは生活用魔術具改良の権利を得た。


 さてクレアが作ろうとしたクッキーは。

「あ、ルウ!」

 ルウがバターをひとかけ奪ってしまった。

「だめよ、それは塩気の多いものだわ。かえしなさい」

「にゃっ」

 ルウは風のように厨房内を走り回り、粉まみれになって逃げた。

「ルウ」

 タクトがふわりと捕縛の魔法をかける。ルウは首筋をつかまれたように風につり上げられてタクトの腕に収まった。

「だめだよ、クレアを困らせては」

 タクトに抱き留められて、薄力粉で真っ白になったルウはくしゅんとくしゃみをした。ふわんと粉が舞う。

「え、ちょっ……」

 タクトが慌てたような声を出した。

 白い粉が落ち着いたあとには、黒い髪に黒い瞳、頭の上に猫の耳をくっつけた少女がタクトの腕の中にいた。

 猫の耳が、ピンク色の地肌をぴくぴくとさせる。

「ルウ……なの?」

 クレアがおそるおそる、黒いドレスを着た4歳くらいの少女に問いかけた。少女はぱっと目を輝かせて、クレアに手を伸ばした。

「クレア!」

 その様子はおやつをねだるルウそのもので、クレアは少女を受け取った。少女が猫のようにクレアに頬をこすりつける。首元にはチョーカーのように紺色のリボンが飾られている。

「ルウ、にんげんになれたよ。ルウ、ルーシェ」

 しっぽがぴょこりとドレスを通り抜けて現れた。

「おしゃべりするの! だから、にんげんになりたかったの!」

「その形だと、ルーシェなのね?」

「うん! ルーシェ!」

 ルーシェは猫耳をぴくぴくさせて笑った。

 すっかり忘れたバターはどこかへ消えてしまったようだった。


 こうして、ルウはときどきルーシェになってクレアとおしゃべりしたり、遊んだりすることをせがむようになった。ルーシェは屋敷の人たちからも愛された。髪を結ってもらい、新しい服を作ってもらったルーシェは、かわいらしいお嬢さまに見えた。

 ルーシェはことのほかクレアの読み聞かせを喜んだ。クレアは嬉しくて、さまざまな絵本や物語を読み聞かせた。ルーシェが特に興味を示したのは、草原の移動図書館の話だった。遊牧民族と共に移動する、ゲルの中の図書館。物語の中に、風の野を転がる黒猫がいたからかもしれない。

 いつか、見に行きたいね。そうクレアはルーシェにつぶやいた。

 ふと見ると、ルーシェが小さな石で遊んでいた。

「これ、クレアにあげる」

 小さな白い石は、クレアの大切な栞の魔道具に付いている石にも似ていて、クレアはま母の魔法書にそれをしまった。


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