第12話 引っ越しとお仕事
「母上! クレアに何を言ったのです」
アルフレッドは王妃の宮へ苦情を言いに行った。王妃がその剣幕に呆れたように肩をすくめた。
「そなたがぐずぐずしているからですよ。あの妾腹のの離宮になにやらこそこそと囲っているからどんな娘かと思えば」
「母上」
思い出すように微笑んで、王妃は言った。
「なかなか、芯の座った娘ではないですか。知識も豊富なようですし、産まれも侯爵家なら王太子妃として適格でしょう。しっかりとつかまえておくのですよ」
「母上のせいで逃げられそうですよ」
「いっとき離れるくらい何だというのです。その間に準備を整えなさい」
「……かしこまりました。次は婚約のご挨拶に! 連れてきます」
「ふん、待ちませんよ。ぐずぐずしていると他の相手を見繕いますからね」
王妃は妖艶に笑った。
***
王宮の丘の上は、見晴らしよく夕焼けが美しく見えた。春の風が渡る。
引っ越し前日、アルフレッドに連れられて、クレアは王宮の丘の上へ来ていた。
「クレア」
アルフレッドが言う。
「この国を、私は護りたい。そして、アルバート帝のように興していきたいと思っている。覚えてる?」
「ウォルタニア全史ですね。もちろん」
子どもの頃に語り合ったときに、アルフレッドが言っていた言葉。クレアの心にも印象に残っている出来事だった。
「なれるとおもいますよ。アルフレッド様なら」
「ありがとう、それで、…………」
「わたくしは、広い世界が見てみたいです。殿下」
何か言いかけたアルフレッドに気づかずクレアは続けた。
「この世界には、図書館がたくさんあります。教会の聖女は図書館を信仰していましたし、古代伝説から図書館は切っても切り落とせません。わたくしは、世界中の図書館を見て図書館の秘密を知りたいのです」
きらきらと目を輝かせて語るクレアに、少しあきらめたようにアルフレッドは微笑んだ。
「図書館が好きなんだね」
「はい、大好きです」
「そういえば、再会したときも図書館にいたね。あれどうやって入ったの? そのあといろいろあって忘れてたけど」
クレアは目を丸くして、それからにこりと目を細めた。
「秘密です」
***
そんなこんなで、ウィンフィールド邸で働くことになった。
下働きとして働きたかったクレアは少々不満だった。12歳の時に母を亡くしてから6年間、クレアは下働きをしてきた。当然掃除も洗濯も、食器を洗うのも身についている。ウィンフィールド公爵邸で働くことになったときも、当然そちらに尽力するつもりだった。
与えられた部屋の広さに首を傾げつつもあらかじめ入手してきた少しくたびれたお仕着せを身にまとい、腕まくりしながら井戸端にやってきたクレアを見つけて他の使用人たちは慌てた。公爵邸には、通いのメイドの他に離宮からクレアと一緒に移動してきた数人の使用人がいる。彼らがマーサを呼び、マーサはクレアを自室に戻して服装を令嬢が着るにふさわしい格のものへと着替えさせなおした。
「ええ? わたくしは下働きから働かせていただくつもりだったのだけれど」
「そんなもったいないことをいたしません。本来ならお嬢様、クレア様はこのマーサの上に立って家政を取り仕切るご身分なのですよ」
「それは難しいのではないかしら。わたくし、ずっと細々とした作業仕事をしてきたのでそちらの方には気がつくけれども、人を使う立場はほとんど記憶がないわ」
「これから順々に慣れていってくださいませ。……なにしろ望まれているのは公爵というよりも殿下なのですからね」
後半の言葉は小さくてよく聞こえなくて、納得できずにクレアは首を傾げた。
とりあえず、クレアはこの公爵邸に預けられた令嬢という身分で女主人の役割の見習いをすることになった。
「何をすればよいのかしら。自室を掃除したり窓の汚れを拭きたいのだけれど」
「それは他のものの仕事でございます、クレア様」
マーサが入れてくれた紅茶を飲んで、クレアは困ってため息をついた。
(退屈だわ。……贅沢なことね)
この数年間は、このようにじっくり止まって考える時間もなかった。手先を動かしながらでも考えることはできたし、厨房や洗濯場、庭の掃除などでいろいろな場所で働くことで噂レベルから「ここだけの話」暴露話まで、様々な情報を入手することができたので頭脳的に退屈はしていなかった。ここに座ってお茶を飲み、次に買うドレスの算段を(しかも経理的な面ではなく装飾的な面で!)考えると言うことは、クレアにとってあまりにも興味がなく退屈だった。新聞や流行の新聞などを取り寄せてみたものの、原産地の状況や素材の入手経路などに意識が向いてしまう。
(はあ。お嬢様も、大変なのね)
「本が、読みたいわ。マーサ」
クレアがあまりに退屈そうにため息をつくのを見て、マーサが呆れたように言った。
「旦那様に書庫の場所を聞いて参ります」
ところが帰ってきたマーサは困惑した顔をしていた。タクトがクレアを呼んでいるのだという。
クレアを待ち受けていたのは困り顔のタクトだった。
「クレア。すまないが、君の助けを借りていいだろうか」
「……? ええ、何なりとお申し付けくださいませ」
クレアは首をかしげて頷いた。
タクトが別棟へと案内する。
「ここを書庫にしようと思っているのだが」
扉を開くと、空の書棚と積みあがった木箱が無数に置いてあった。木箱の中は本で詰まっている。大量の本が入った箱が積み上がっている様を見て、クレアが感嘆のた息を吐いた。マーサは目をつりあげて、今にも「だから減らしてくださいと言ったでしょう!」と言いそうな表情をしていたが。
「このとおり、何も着手できていない」
魔術博士であるタクトの収集した研究書や、その他所蔵している本が無造作に入れられているらしい。
「この本を! 並べたらよいのですね!!! わたくしの好きに分類してもよろしいですか?」
クレアは目をきらきらに輝かせて言った。
「内容順に、なにかの系統だっていて探すことができたら詳細な分類は君に任せるよ。ごめん、頼めるかな」
「もちろんです!」
「クレアお嬢様、まずはエプロンを準備いたしましょう」
見れば書架にはほこりがつもっていた。相当放置されていたのか。聞けば引越しの際に本棚も持ってきたそうで、その移動で舞い上がった埃かもしれなかった。
たしかにこの服では問題がありそうだ。クレアは嬉々として、仕事用の服に着替えてエプロンを付けた。
それから数日、クレアはとても楽しい日々を送った。まずは本を箱から出し、分類する。
問題は、この本をどこに分類しようと思ってつい読みふけってしまうことくらいだった。分類方法は、王宮図書館の分類に準じた独自分類にした。
ゆっくり整理していいと聞いているので、思う存分読書に耽りながら本棚を読み終えた本で埋めていった。目録も作った。
「やあクレア、楽しそうだね」
アルフレッドが、手伝いに来てくれたこともあった。
「へえ。さすが兄上の蔵書だな」
部屋を見回しながら入る。言われるままに本棚に本を並べる仕事をしていたが、一冊の本を手にとった。
「……あ、この本。」
アルフレッドも、空いた木箱に腰掛けて読み始めてしまう。気がつけばクレアもアルフレッドも、それぞれの本を黙々と読んでいた。
近くで作業していたマーサは、妙に静かになったのでこっそりのぞきこんだ。二人共が別々の本を読み耽っているのを見て呆れた。 日が傾き始める頃、お茶の準備をして、微動だにしない二人の前へ戻った。
「さあさあ、休憩なさいませ。お二方とも、子どもの頃に戻ったようでございますわね。温かいお茶がございますよ」
マーサの声に、夢から醒めたみたいに二人は戻ってきて、自分達の様子を見て照れ笑いした。
「王太子殿下からの差し入れのお菓子です」
「マーサ、これは兄上にも?」
「今別の侍女が持っていっているはずです。タクトぼっちゃまも今日はぴくりとも動かなかかったと聞いています。お二方と同じでしょう…………ああほら、いらっしゃいました」
マーサの声とともに、タクトがお菓子とお茶の乗ったトレイを持って現れた。
「アルフレッド殿下が来ていると聞いて。僕も入れてもらってもいいかな?」
そんな風に、公爵邸での日々は穏やかにすぎていった。
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