第9話 黒猫との日々

 黒猫はルウと名付けた。紺色のリボンを首輪代わりに巻いた。ゆるめに巻いたら引っかかって何度もほどけたので、落としたらわかるように鈴をつけた。

 マーサは、ルウのお世話をあれこれとしているクレアをみて元気が戻ってきたと喜んだ。

「だって」

 クレアは今も、籠から落ちようとしている黒猫ルウをはらはらと見ていた。

「危なっかしいでのですもの。ようやく食事を食べるようになりましたけれど、まだ小さいでしょう」

 黒猫の手がすべる。すかさずクッションを敷いて受け止めた。小さな体を抱えて籠に戻す。

「なんだか。わたくしがここに来たときに、マーサやアルフレッド様が寝台からなかなか出してくださらなかった理由がわかった気がするわ。危なっかしすぎて、はらはらするもの」

 黒猫はそれでも目を離した隙に、籠から脱出して家具の下に入ったり、窓辺の花瓶を落とそうとしたり、小さいけれど元気いっぱいだった。

 クレアのことを母親だと思っているのか、お腹が空いたら駆け寄ってきて頭をすりつけねだる。そのかわいいしぐさに離宮中が子猫に夢中だった。




「私としては少々複雑だけどね」

 視察旅行を控えたアルフレッドが、クレアの膝の上で抱かれて丸くなる黒猫を見て言った。

「私の贈った本よりも君はその子に夢中だし。そのリボンは君の瞳の色だし。私は持っていないのに」

「本はいつでも読めます、アルフレッド様。ルウは目を離せないのです。小さいのにおてんばなので」

「うん。まるで小さい頃の君みたいだね。可愛いと思うよ」

 子猫とお揃いにした、クレアの髪を結うリボンに口づける。

「いい子にしててね。お土産を買ってくるから」

 その距離の近さに驚いて、クレアが身をひいた。膝が動いて驚いたのかルウがぴょんと退く。リボンがしゅるりとほどけてアルフレッドの手の中に残った。

「これ、借りていってもいい? 君の代わりに連れて行きたい」

 クレアは目を瞬いて、うなずいた。

 あまり深く考えないようにした。


 



 アルフレッドは視察旅行へと出かけていった。

クレアは黒猫のお世話で忙しい日々を送っていた。

「やあ。可愛い子を拾ったって聞いたんだけど」

 扉がノックされ、タクトが入ってきた。

 その物音に目が覚めたのか、黒猫ルウは籠の上でうーんと延びをする。そしてすとんと姿勢良く座ると、黄色い目でタクトをじっとみつめた。

「ああ、この子か。可愛いね」

 タクトがそっと手を伸ばす。

 黒猫ルウはその手をふんふんと確認して、よろしいとばかりに首筋をこすりつけた。タクトの指が首筋を撫でる。黒猫は心地よさそうにのどをごろごろと鳴らした。

「この子、魔力が強いな。使い魔とかにも向いているかもしれない」

 首筋から耳の周り、そして頭と撫でながらタクトが言う。

「タクト様は猫をなつかせるのもお上手ですね」

 子どもの頃子犬のように「兄上」「兄上」となついていた幼なじみを思い出しながらクレアは言った。

「この子は、特別な子な気がするよ。気持ちが伝わっているという感覚がある」

「うふふ。ルウは優秀なのです」


「あ、そうだ」

タクトは持ってきていた書物を差し出した。

「こんな研究があるよ。参考になればと思って持ってきたんだ」

タクトが紹介してくれたのは、動物の言葉がわかる魔術具の研究だった。古代魔導具ではなく、最近発明されて改良が進んでいるものらしい。

「面白いですね。……これなら付与魔法でも……いや、材料のこれが……いや、刺繍すればよいのかしら。でもそうしたら、ここにあれを付け加えるでしょ」

 クレアは夢中になり、思いついた形を手元の紙に書き殴った。

 タクトはその様子を見てつくすりと笑う。クレアが夢中になりすぎる前に、声をかけた。

「じゃあ、僕はそろそろ失礼するよ。クレア、ルウ、またね」

 にゃうん、とルウが見送る。クレアも腰を上げた。

「ありがとうございました」

 扉が閉まると、クレアの頭は新しい魔術具の可能性でいっぱいになった。




 翌日、早速王宮図書館で関連文献を漁った。

「おや、クレア嬢じゃないか」

 カウンターの内側にいたのは、かつて子どもの時に何度もお世話になって顔見知りだった図書館の館長だった。

「あの小さかったお嬢様がおおきくなって」

と泣かれてしまった。

「いまでも読書はお好きですか」

「わたくしは、きっとずっと本も図書館も大好きです」

 クレアは胸を張って答えた。



「ルウも本が好き?」

 本の上に丸くなった猫と目があって、クレアは微笑んだ。

「ここのね、『その昔アリノラ王国に合った伝承で、……』のところがきになってね。アリノラといえば先日干ばつがあった地方でしょう? 少し調べてみたいと思っていたの」

 ルウはくあっとあくびをして、クレアをみつめた。

 そのとろんとした大きな丸い目をみつめているとふと思いついたことがあり、記述に目を戻す。

「あ、そうか、この川の上流の、ロクサーヌ地方の降雪量が影響しているのかしら。そうね、この筋をもう少し追ってみましょう。ルウ、あなたのおかげよ、ありがとう」

 ルウを撫でると、ルウは嬉しそうに首筋をこすりつけてきた後で満足したように丸くなった。小さな黒い子猫の可愛い姿に、愛おしさが込み上げる。

 猫ってほんとに可愛い、とクレアは思った。

 ルウは頭も良い。クレアの話すことをよく聞いている。

 まるで母親の後を追うように、黒猫はクレアの後をついて回った。

「はやく、あなたの言葉が聞きたいわ」

 未だ完成しない魔術具の改良の山を見ながらクレアはそう思った。



***



「ドレスを仕立てましょう、クレアお嬢様」

 マーサが言った。仕立屋を呼ぶという。

「どこからお金がでるというの。そもそもこちらの離宮の運営費も疑問なのだけれど」

「王太子殿下と国王陛下の承認をいただいております」

クレアは驚いた。

「アルフレッド殿下はともかく陛下まで?」

「はい。クレール侯爵令嬢にふさわしい衣装を整えるようにとのことです」

 はあ、とため息をついた。

「仕方がないわね」


 仕立て屋が採寸に来た。王都でも評判の仕立て屋だった。

「すらりとお美しいお嬢様ですね。どう言った感じにいたしましょうか」

「何でもいいわ」

「今の流行はこう、リボンや宝石をつけてスカートを膨らませる装飾過多のラインが多いのですが、お嬢様ほどすらりと姿勢が美しい方ですともう少し、こうここをしぼってシンプルにして素材の美しさが生きるようにするのも良いかと思います」

 クレアはそのデザインよりも、仕立て屋が見本に広げている布の方が気にかかった。

「その布はランドル地方で新しく仕立てられたという布ですか」

「そうです、特殊な織り方をするそうです」

 興味を持って、手に持ってみる。

「なめらかで美しいのに伸縮性があって素晴らしいですね。こちらの生地を使ってください。デザインはお任せします」

「お任せくださるのですか! では私の腕によりをかけて作らせていただきます!」

 仕立て屋の顔が嬉しそうに輝いた。

 数週間後、流れるようなラインの美しいドレスが納品された。

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