第8話 立太子式と、黒猫
クレアが王宮に保護されてもうすぐひと月になる春の日に、立太子式とそれに伴う祝宴が盛大に執り行われた。
この小さな離宮の人手も手伝いにかり出され、クレアはひとり、静かにすごしていた。
アルフレッドはクレアも招待しようとしてくれた。しかし、祝宴に出るような装いもなく、身分もない居候なのだ。クレアは、謹んで辞退した。まだ寝台から立ち上がれるようになって間もないこともあり、アルフレッドも理解してくれた。
市民広場でのお披露目は、片隅から遠目に眺めることができた。し祝いの白い花が舞う中で民の歓声に応える、王太子の正装を纏ったアルフレッドは普段離宮に現れるのと同じ人物とは思えないほど、威厳があり凛々しかった。
その後は、王宮の大広間で祝宴が行われていた。
クレアの住む離宮からもその灯りが見え、ざわめきや音楽が聞こえてきていた。
「楽しそうね」
クレアはぽつりと、口にする。
「……仕方がないわ。もしかして、いやきっと、クレール侯爵とか義妹のマリアとかがいるもの」
あの人たちに見つかると、クレール侯爵邸に連れ戻されてしまうかもしれない。せっかくの立太子式の場を、くだらないもめごとで汚したくなかった。いや、それ以上に人目にさらされるのが恐ろしかったのだ。今のクレアは何もない。
だから、通常通りの薄暗い離宮の中庭から、華やかに光る王宮の本宮の大広間と付属した庭園を眺めていた。アルフレッドとの身分差を痛感していた。
雨が降ってきた。
祝宴の方でも、外に出ていたのだろう人々の慌てる声が聞こえた。クレアはそのまま、小雨に降られながら外を眺めていた。
ふと、不思議な音に気づいた。何か、ぴいぴいというような、小さな生き物の声がする。クレアは庭に出て、四阿の床下をのぞき込んだ。小さな黒い猫がふるえてみいみいと鳴いていた。
「あら、猫。どこから迷い込んだのかしら」
ふるえる子猫はぬくもりをもとめるように、クレアによってくる。
まるで王宮図書館へ逃れる前の自分みたいで、思わずクレアは手をさしのべた。
(なにか……あ、飴)
昨日もらった蜂蜜の小さな飴を持っていた。包み紙をほどいて差し出すと子猫はなめた。そして美味しかったのかクレアの顔を見て、みいみいと鳴いた。
「おまえ、ひとりなの? わたくしと一緒ね。……わたくしと来る?」
猫はまた、みゃあと鳴いた。
大きな黒い瞳がクレアを見上げる。愛おしさがわきあがってきた。そっと抱えた。手巾で雨を拭う。黒猫も、お礼のようにクレアの手をぺろりとなめた。
ぬれた黒猫を肩掛けに包み、クレアは離宮に入った。自室でとりあえず乾いた布で黒猫を拭う。自身のケアはそっちのけで濡れそぼった猫を暖めるクレアをみて、祝宴の手伝いから戻ってきたマーサが大いに慌てた。
乾いた布で清められてクッションの敷き詰められた籠に収まった子猫は、可愛い女の子だった。首輪などもないので飼われていたわけでもなさそうだ。
「この子をわたくしの子にしてもいいかしら」
クレアは独り、つぶやいた。
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