第7話 クレアの知識
クレアは緩やかに回復していき、生気を取り戻していった。灰色になっていた髪は白銀の艶やかさを取り戻し、痩けていた頬は少しふっくらと、年頃の少女らしい丸みを取り戻した。
服はこの離宮にかつて住んでいた、タクトの母マーガレット妃のものをマーサが仕立て直してくれた。華美ではないが令嬢らしい清楚なデイドレスにクレアは嬉しくなった。
(服なんて、気にならなかったけど、昔は。でも、ほつれも染みもない服を着られることは、こんなに嬉しいことなのね)
食事のために食堂に行くこともできるようになった。手足はすっかり弱ってしまっていたが、マーサが献身的につきあってくれたので、以前のように動けるようになった。
アルフレッドは時々顔を出して、一緒に食事をとってくれた。
「こんど、アンバー地方へ視察へいくことになったんだ」
鴨肉を美しい所作で刻んで食べながらアルフレッドが言った。
「たしか葡萄入りのケーキ菓子が有名だったよね。おみやげに買ってくるよ」
「そうですね、特産品の数種類の葡萄を生かしたケーキが最近話題でしたね。あ、アンバー地方に行かれるのであればトロスト市の古代遺跡がありますね。わたくしも一度見に行きたいものです」
「古代遺跡?」
「ええ、確か上水道の優れた設備の遺構が出土しているはずです。もしかしたら古代魔法の魔導具なども隠れているかもしれません。設備を見ることは現代の上水路の参考になるはずです。興味深い」
クレアは本で読んだ情報を思い浮かべて、一人頷いた。
「あ、アンバー地方といえば、一昨年だったかに水害の被害にあっていたはずです。そちらの復興はどうなっているのでしょうか。落ちた橋が再度開通したというところまでは父が処分しようとした新聞などから知ったのですが、詳細を調べることができなかったので気になっていたのです」
ぽかんとしていたアルフレッドは、破顔した。
「すごいな、クレアは。どんな環境にいてもどん欲に情報収集をしていたんだね。そうだね、商業的には回復傾向にあるよ。だけど一方で平民の住宅などは後回しにされていたツケがでてきているね。不穏な気配も観測されている。それも確認しにいくつもりだったんだ。でもトロストか、そちらも興味深いな。是非行ってみることにするよ。それにしても、流行りの菓子や食事や人事的な憶測じゃなくてこういう内容がするする出てくる相手と話すのは久しぶりだ。とても楽しい。ありがとう、クレア」
にこりと微笑んだアルフレッドにクレアは赤面してうつむいた。
「小賢しいと、父からは詰られました」
「そんなこと気にしなくていいよ。クリスティーナ様はきっと誉めてらしただろう?」
「そうですね。母は喜んで、さらにアンバー地方を調べたくなるような課題を積み上げてきたと思います」
「はは、それも厳しいな。……クレア、今のままでいいよ。今の君のままで大丈夫だ。だから、こうしてまた一緒に食事をしたりできると嬉しい」
クレアははにかんで微笑んだ。
「ありがとうございます、殿下」
「アルフレッドでいい」
「アルフレッド様。ありがとうございます」
(だけど、アルフレッド様はもうすぐ立太子式だ。)
クレアはため息をついた。きっともうすぐ婚約者も決まって、こうやって食事するのもその令嬢になるのだろう。
(わたくしは、どうしよう。ここで働かせてもらえないかしら。)
どこかの令嬢が王太子妃になり、産んだ子の家庭教師とかをさせてもらう自分を想像する。独り年を重ねた自分が、幸せな親子の背後に立つ光景を想像してクレアは首を振った。
(できればそれは避けたいわ)
他の令嬢にあの満面の笑顔でアルフレッドが笑むのを見たくない。
それくらいには、アルフレッドのことを慕っている自覚があった。
(だけど、侯爵家を出た私は無一文の平民だ。身分をわきまえず、欲張ってはいけない)
この気持ちを、言葉にしてしまってはいけないのだ。
きゅっと、肌身話さず持っている母の魔法書を握る。
(独りで身をたてる手段を考えなくては。王宮図書館の司書になることができればそれが一番なのだけれど)
それにしたって、住む場所が必要だ。
クレアはため息をついた。
コンコン。扉がノックされる。
「やあ、クレア。元気そうだな」
「タクト様」
久しぶりに再会したタクトは、立派な大人になっていた。かつては十代のお兄さんだったのに。でもその優しげな笑顔は変わっていなかった。
「ありがとうございます、こちらの離宮をタクト様がお貸しくださったと聞いています」
「いい、もう使わなくなっていたところだから気にしないで。……アルフレッドから聞いた。つらい境遇にいたんだな。気づかなくてごめん」
「いえ。外に出ることは無かったですから」
クレアはそっと目を伏せた。
「ねえ、クレア。僕は今、魔法研究所で魔導具の研究をしているんだ。またそのうちに、遊びに来ないか? 君の意見を聞きたいものもあってね」
「魔法研究所。……でも。わたくしは学園も行っておりません。研究所にはいる資格がないかと存じます」
研究所と聞いて、思い出すのは母の言葉。
『クレアはまだ研究所には入れないわ。学園を、卒業してからね』
そう言って、母は決して母の仕事場に連れて行ってはくれなかった。
「そうか、その問題があったか。何とかできないかな、少し考えてみるよ。研究課題はまたこちらに持ってくることにする」
「ありがとうございます。新しい魔導具が発見されたのでしょうか」
「そうだな、昨年リンダル遺構から発見された魔導具がね、……、……」
タクトから聞く話だけでもわくわくする。魔導具の研究は、古代史の解明にも繋がるのでクレアはとても興味関心のある分野だった。
ひとしきり魔導具について話したあと、討論に満足したようにタクトはうなずくと、席を立った。
「うん、また資料を持ってくるよ」
「ありがとうございました」
クレアはにっこりとタクトを見送った。
***
また、夢を見ていた。
幸せだったころの日々の夢。
「ですから、その推定ではこちらの記述と破綻します」
「ふむ。じゃあ、こういう説はどうだろう」
クレアはアルフレッドと日々読んだ本の感想から議論をたたかわせる。
学園の課題を抱えたタクトをまきこんで。
「ねえ、どう思われますか、タクト様」
「兄上のご意見をください」
タクトは弱ったように息をついた。
「僕が今取り組んでいる課題は算術であって古代史でもなければ魔導具についてでもないんだけど」
二人が開いている魔導具の研究書をのぞきこむ。
「そうだね、この内容なら学園に詳しい教授がいると思う。今度聞いておくよ」
そして後日、本当に学園への招待状を持ってきてくれたのだ。
「件の教授が、君たちの話を聞きたいって。学園通行許可証をくれたよ。一緒にくる?」
まだ十歳、十一歳という未就学の年齢で学園の教授に招かれるのは学園始まって以来の稀なことだったようで、タクトと連れだって現れたアルフレッドとクレアに教授たちは興味津々だった。
「ですから、わたくしの考えではこの回路を起動してこちらの回路を書き換えればこの魔導具はこういう効果を発するのではないかと考えたんですの」
「でもこの回路に書き換えるとこちらとこちらの要素が矛盾するよね。だから、私はこうすればいいんじゃないかと思うんだけど」
「でもそうすると想定した効果と違う効果になってしまいますわ」
教授の前でも議論を戦わせる二人に、教授はおもしろそうに聞き入った。
そして、魔導具の最初の魔法回路の記号を指し示す。
「いいところまで考えたね。この魔導具は、ほら、この回路の記号がポイントなんだ。これをこうして、ここを起点に回路を重ねて……」
「あ!」「まあ!」
教授の指摘通りに回路を動かすと、魔導具の回路の魔法の流れがきれいに繋がった。
「見落としていましたわ。そこでしたのね」
「この本は古くから研究されてきた魔導具について書いてある。だからほら、この魔導具も、この魔導具の教科書にも載っているよ。しかし講義を受けたわけでもないのにここまで到達したあなたたちは素晴らしいね。これからも困ったことがあれば相談に乗るよ。君たちが入学するのが楽しみだよ。……すぐに飛び級で卒業してしまいそうだけどね」
二人は魔導具の教科書をもらい、タクトともにほくほくで王宮図書館へ帰った。それからしばらく魔導具の教科書に載っている問題を解いては教授に解説してもらう日々が続いた。
このまま学園に通えるものと、クレアも信じていた日々だった。
(たくさん書き込んだあの教科書も……燃えて、)
屋敷の庭で燃える炎に、書物を放り込む父の姿がよぎった。
「いや…………っ」
クレア自身の悲鳴で、夢は終わった。
***
「読みたい本、ある?」
ある日、アルフレッドが聞いた。
クレアは目をぱちくりと瞬かせる。そういえば最近の生活には縁遠い言葉だったけれども。
(本。読みたい。なんでもいい)
聞くだけで、心が浮き立つ魔法の言葉だ。
「ここ数年に出版されたものなら何でも読みたいです」
クレアはわくわくと微笑みをうかべた。
えっと、とアルフレッドが自室の書架を思い浮かべるように天井を見た。
「じゃあ、最初は詩集とかからにしようか。いきなり歴史書とか持ってきて君が読書しかしなくなったら、私がマーサに怒られちゃうし、重いしね」
それにしても。アルフレッドと本の話をするのは夢の日々の続きのようで、クレアはひとり、嬉しくなってふふふと笑った。
そうしてその日の内に、アルフレッドから数冊の詩集が届いた。
ここ数年読書をしていなかったから、しばらくは目がちらちらした。しかし相変わらず読むことはとても楽しい。
本を読むことで頭を使うからか、あまり夢を見ずに眠れるようになった。しっかりと休息を取り、栄養のある食事のおかげで、クレアの体調はぐんぐん良くなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます