第5話 夢 過去の日々


 夢を、見ていた。

 遠い昔の夢だ。

 母が生きていて、王宮の茶会に連れてきてもらった。クレアより少し年下の王女殿下のご友人を探すお茶会だった。

 だけどドレスや装飾品の話ばかりする令嬢たちと王女殿下とのお茶会はなんとなく退屈で、抜け出してしまった。ふらりと庭園を散歩していると、図書館を見つけたのだ。

 窓から見える整然と並んだ本に、窓に張り付いて興奮した。自宅の図書室よりすごい蔵書量を初めて見た。

 目を輝かせて本の背表紙を眺め、読みたかったあの本やあれに紹介されていた本があるのを見つめていた。中に入りたい。だけど建物の入り口は重い扉が閉まっているようだった。

「中に入りたいの?」

 黒い髪の、少し年嵩の少年が隣にいた。不思議そうにクレアを見下ろしている。瞳の色は優しい茶色。クレアは白銀の髪を揺らしてうなずいた。

「入りたい! 『古代ライオネル大陸前史』や『帝都盛衰記』があるの。それに『ラ・モーナ幻想記』の伝承の巻もあるように見えるわ。わたくし、あれがずっと読みたかったの。邸の図書館にはないのだもの」

「え、きみまだ10歳になっていないくらいだよね。そんな難しい本を読むの?」

 黒い髪の青年は、少し驚いたように尋ねる。クレアは満面の笑みでうなずいた。

「ええ! わたくし、クレア・クレール、9歳です。本は好きよ。だってそこには物語があるのよ! 一日中でも読んで理解したいわ」

「異母妹殿下と同じ年頃とは思えないな。あの子はドレスと美味しいデザートの話しかしないよ」

「さっきの子たちもそうだったわ。こんなにおもしろいのに、ウェルダーの詩集を読んだこともないなんて」

「……それは、僕が今学園で学習している課程だよ」

 クレアは少し不安になって、青年を見上げた。

「わたくし、ずっと本を読んでいられれば幸せなの。でもお父様は少し気味悪そうにしていらっしゃるわ。わたくし、気味が悪いのかしら」

 青年はくしゃりと笑ってクレアの髪を撫でた。

「大丈夫、君の頭が良いだけだよ。したいことをすればいい。したことをとことんつきつめたら、それはいつか、君を助けると思うよ」

 そして青年はクレアの手を握った。

「おいで。たぶん、大丈夫だから」

 門の横に立つ兵士に声をかける。

「ねえ、君」

「タクト殿下」

「この子、オリヴィア王女の友人候補の令嬢なんだけど」

「クレア・クレールと申します。クレール侯爵家の娘ですの」

「一緒に中に入ってもいいよね? 僕が見ているよ」

「承知いたしました。……あ、ただいまアルフレッド殿下もいらっしゃっていますので、お邪魔にならないようにお気をつけください」

 鍵を開けながら兵士は言った。アルフレッド王子目当ての令嬢なら近づかせるなと言っているのだろう。クレアは王子に興味はないのに。

「そっか、アルフレッドもいるのか。では失礼するよ」

 大きな扉がぎぎっと開いていく。興奮して、クレアの耳には二人の会話はすり抜けていった。目の前には本。宝の山だ!

 クレアは夢中で駆けだした。


 窓から見定めていた本を数冊抜き出して、閲覧机に積み上げる。他にも見たい本がありすぎて、クレアは口をぽかんとあけたまま本棚を眺めていった。

 本棚の間に座れるような空間があった。その張り出し窓の下で、さんさんと降る太陽光を金色の髪に受けながら、本を読んでいる男の子がいた。きらきらとした光が彼の周りを舞っているようで、あまりに微動だにしないので最初クレアは人形かと思ったのだった。その整った顔もアイスブルーの瞳も宝石のようで、人形じゃなかったら精霊かなにかかと思ったくらいだ。思わず隣に座ってじっとみつめていると、瞬きをした精霊の男の子が言った。

「なに」

「……ええと。なに読んでるの?」

 生きてるか確認してたとは言えず、クレアは少年の読んでいた本に目を落とした。

(……あ。)

「ウォルタニア帝国全史。この地にかつて栄えた古代図書帝国の栄枯盛衰の歴史を読んで、この国の行く末の参考にならないかと思っている」

「それうちにもあった!」

「え」

 難しい書名を言って煙に巻こうとしたらしい少年は目を瞬いた。

「えとね、先月くらいにようやく読破できたの。最初の頃は本当に理想ばっかりで戦争しているし本当にどうしようかとおもっていたんだけど、中興の祖のアルバート帝が出てきてフェニキアに図書館を作ったあたりからだんだん帝国が安定するでしょ? そこからは彼の子孫がいかにそれを維持していくかを描いているんだけどもう本当に波瀾万丈で、最後帝国が滅亡したときには泣いちゃったわ、わたくし」

「……ちょうどいまアルバート帝が即位したところだった」

「わ! わたくし、ネタバレしてしまいました!? ごめんなさい」

「いや、いいよ。帝国の歴史の流れは知ってるし、それ以上のことは君もまだ言ってない」

「じゃあ、じゃあ、ぜひ読み終わったら感想を語り合いましょう!」

 ふ、とアルフレッドは笑った。

「いいよ。また、ここで会おう」

 そこへ、ようやくタクトが追いついた。

「クレア嬢、走っては危ないよ。と、アルフレッド殿下」

「兄上、殿下はやめてください」

「いずれ臣籍に下る身だからね」

「せめて公の場でないときにはアルフレッド、とお呼びください」

「わかった。で、アルフレッドとクレア嬢はここで何を話してたんだい」

「ウォルタニア帝国全史と中興の祖アルバート帝についてです」

「え……。君たち十歳とかだよね。僕の同級生でもそんな話できる相手はなかなかいないよ」

 クレアはにっこり笑った。

「本を理解することに年齢制限などないのですわ、ええと、」

「タクトと申します、賢者の姫。王族で、そのうちに、そこの賢君殿下の臣下に降る予定だよ。そちらの殿下はアルフレッド王子、世継ぎの君だ」

 くすくすと、黒髪の青年が笑った。金の髪に薄い水色の瞳の、整った顔のアルフレッドはむすっと唇をひきむすんだ。

「アルフレッドだ。まだ世継ぎではない」

「タクト殿下、アルフレッド殿下。あらためまして、わたくしはクレア・クレールと申します。クレール侯爵の長子です。よろしくお願いいたします。」


(今思うと生意気な子どもだったわね、このころは。)




***



 その後、家に帰ったクレアは母の膝で、髪を編んでもらいながら読書しながら今日の話をしていた。

「お母さま、王宮の図書館でね。とても綺麗な男の子に会ったの」

「あら。図書館の精霊かしら」

「わたくしもそうおもったの。でもちがった。ちゃんと王子様だった」

「……はい?」

「王子さまはね、わたくしと同じくらいなのに、ウォルタニア全史を読んでたの!」

「…………クレアはまた、すごい縁を繋いできたのね」

「うん。すっごく綺麗だっの。髪の毛は光に透けた黄色で、目は湖のような薄い青色なのよ。ねえお母さま、わたしまた王宮図書館に行きたい! 約束したの。王子さまと」

「クレア、わたくしといいなさい。貴婦人たるもの、隙をみせてはなりませんよ」

「はあい。それでお母さま、わたくしは王宮図書館にまた行くことはできませんの?」

「……約束、したのですか?」

「はい、お母さま! 王子さま、殿下とまた、ウォルタニア帝国の興亡についてお話しする約束をいたしました」

「そうねえ、それならもしかして殿下のご招待という形で、王宮図書館も利用できるかしらね。今度研究所に行った時に、ついでに伺ってみるわね」

「わあい、ありがとうお母さま!」



 そうして、クレアは母親が勤め先である王宮付属魔法研究所へ通う時には、王宮図書館へ行っても良いことになった。

 王宮住まいのアルフレッドやタクトもよく図書館へ訪れていたので、話す機会も多くなり、よく一緒に過ごすようになっていった。


「アルフレッド殿下はアルバート帝に似ていらっしゃいますね。ほらこの絵も、似てます」

 本の挿し絵を指してクレアは言った。

「遠い縁戚だからね。ウォルテス王国はウォルタニア王国の末裔が興した国だから」

「そっか、王家か。すごいなあ、歴史の生き証人ですね」

「血を受け継いでるだけだよ。でも私も、アルバート帝のように中興の祖とよばれるような賢王になりたいな」

「アルフレッド殿下は王様に?」

「まだわからないけどね。なりたいと思ってる。妹のオリヴィアは多分幸せな政略結婚が向いているだろうし、ウィルはまだ生まれたばかりだ。兄上は…」

 むう、とアルフレッドが空中をにらんでいると、タクトがひょいと顔を出した。

「僕がどうしたの?」

「兄上!」

 アルフレッドの顔がぱあっと輝く。アルフレッドは異母兄が大好きなのだ。まるで子犬が尾をふっているような幻影が見えて、クレアはこっそり笑みを浮かべた。

「兄上、いらしてたんですね。……私は、兄上なら王位を譲ってもいいと思っているんです」

「僕は望まないよ」

 遠くをみつめて、タクトは苦く微笑んだ。

「僕が下手に権力を持つと国が乱れるだろう」

「兄上は優しすぎるのです。王位継承権だって主張できるのに」

 悔しげにアルフレッドがうつむく。

「君がいて、ウィリアム殿下も生まれた。もう僕がいなくても大丈夫だろう。……僕を担ぐということは王妃様に敵対するということだ。国が割れることを僕は望まない」

 アルフレッドがばっと顔を上げた。

「母上は! 兄上の母を苛めて死なせた!」

 タクトは諦めた微笑みを浮かべた。

「腹心の侍女が7年も先に王子を産んでしまったんだ。王妃様が荒れるのも仕方ない。母は、優しくて繊細なひとだったんだ。アルフレッドのせいじゃない」

「……だけど」

 ふと、タクトはまだ悔しそうに顔をしかめるアルフレッドにむきなおった。

「ねえアルフレッド。僕は王妃様に膝をつくことはできない。母のことを思うと、ね。だけど、君にならできるんだ」

 アルフレッドが軽く息をのんだ。

「君にこの国を任せるよ」

 タクトは清々しい表情で笑った。

「僕は魔導具の研究でもしようかな。君が政をしてくれるなら、僕は魔術科学を発展させて国を支えるようにするよ。クレア、クレアも一緒にアルフレッドの国を支えよう」

 クレアは読んでいた本から顔を上げて、にっこりうなずいた。

「もちろんです、殿下」

 アルフレッドが少し視線をさまよわせた。タクトを見上げる。

「兄上。……兄上、どんな立場でもいいから私のそばにいてください」

キュッとタクトの袖を引いた。普段はあまり弱みをみせないアルフレッドにはめずらしく、年相応に幼く見える仕草だった。

 タクトは破顔した。

「うん。僕はアルフレッドの兄で、腹心でありたいと思うよ」

 記憶を思い出すように、語る。

「母は笑っていたんだ。僕といる時も、君といる時も。だから、幸せだったと思うよ」

「マーガレット様。儚げで美しい人だった」

「以外とあれで、昆虫を愛でるのが趣味だったりしたんだよ」

「え、本当ですか」

二人の話を、クレアは本に目を落としながら流し聞いていた。




 それが、失われたのはいつだっただろうか。

 母が病になり、書庫の知識を総ざらえしても良くなることはなく、ついには亡くなってしまった。

 父に後妻が来て、義妹ができて、それでも最初は穏やかな悲しみに満ちた日だった。

 それが、変わった日のことをクレアは思い出す。

 あの日、父の書斎に、一冊の植物図鑑を見つけた。繰り返し、開いた跡があるページがあった。

(ーーー毒草)

 そのページを、理解できずに見つめていると音を立てて本が閉じられた。

 父が恐ろしい顔をして立っていた。父は、なにも言わずにクレアを突き転ばすと、書斎の扉を閉めた。

 それからだった。地獄のような日々が始まったのは。

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