第4話 スープ

 ふんわりと温かいコンソメスープの匂いがして、クレアのおなかがぐーっと鳴るのがわかった。そういえば昨日からなにも食べていない。おなかが空いた。

 だけどこのふかふかの寝具から離れたくない。なにやら幸せな日々の夢を見ていた。起きたら二度と戻れない気がする。地獄のような毎日がまたはじまってしまう。

「クレア。起きた? 食事だよ」

 懐かしい声にぼんやりと目をあけると、整ったアイスブルーの瞳と目があった。相変わらず美しい。そういえば初めて会ったときは、人形かと思ったんだっけ。本を開いたまま動かなかったから。

 と、アルフレッド殿下が顔をゆがめた。

「あれ、殿下。どうされたんですか」

「ちょっと、クレア、顔が赤い」

焦った雰囲気のアルフレッドが額に手を当てた。

「熱い」

 熱があるのだろうか。アルフレッドの手がひんやりと冷たくて気持ちよかった。そういえば昨夜傷つけた手がじんじんと痛む。クレアのおなかがぐーっと、また鳴った。

「おなかがすきました」

 思ったままに口からこぼれる。疲れているのだろう。普段は言わないようにしているはずなのに。殴られるし。

 アルフレッドが、スプーンにスープをすくって差し出してくれた。

「食べられる?」

 ぼんやりと口を開く。スープが、そっと口に注がれた。舌を刺すような温かさ。美味しい香りが全身に染み渡るように広がる。冷たくない食事をとったのはひさしぶりだ。

「あつい……」

 涙があふれた。

「あ、熱かった?大丈夫?」

 アルフレッドがわたわたと心配していた。首を振る。熱くて泣いてるんじゃなくて。

「おいしい……」

 手を伸ばす。スプーンを受け取って、スープをすくって、またひとくち食べた。

 おいしい。

 なんと、具も入っていた。柔らかい野菜や薫製肉、卵などがじんわりとクレアの体に染みていく。美味しい。

「疲れてしまいました。……もう、あんなにしんどいのはこりごりです」

 ちらりと浮かんだ記憶に暗い影が差して、また泣きそうになる。今は思い出したくない。

「クレア。安心して、もうそんな目にはあわせないよ」

 優しい声が聞こえ、ぽん、とクレアの頭に手が置かれた。ああ。頭、踏まれたのに。時間が経ってから水で流しただけで。きっとじゃりじゃりする。

 少し考えたらまたくらくらしてきた。でも食べないと治らないのだ。医学書に書いてあった。食事をとらない病人は治るのが遅かったそうだ。クレアはがんばってスープを飲み干してから、寝台に倒れこんだ。

(ああ、綺麗な寝具が汚れてしまう…)

 気になってしまったが体が動かなかった。



***



 クレアが、こんなに感情を乱しているのは珍しい。かつての幼馴染の行動を思い出すと。

涙をこぼしながらまた眠りについた、クレアの髪を撫でながらアルフレッドは思った。この髪だって、昔は雪のように白かった。今は灰色だ。どれほど苦労したのだろう。汚れは髪全体に染み込んでいるようだった。

 何気なく左手を庇っていると思ったら、傷が化膿しているようだった。医師を呼ばなければならない。ついでに全身の様子も診察してもらった方がいいかもしれない。

 事情はよくわからないけれど、クレアを保護しなければいけない。少なくとも健康になるまでは、ここで面倒を見させてもらいたい。

 アルフレッドはきゅっと拳を握り、息を吐いた。 よけいな横やりが入る前に、父王に会わなければいけない。いつまでも秘密にして置けるわけがないのならば、正攻法で先手を打つのみだ。父に早急に会いたいと面会を申し込んだ。


 親子の会話は国王の執務室で行われた。人払いがなされていて二人だけだ。

 アルフレッドがクレアのことを告げると、王は仕事の手を止めて顔を上げた。

「クレール侯爵令嬢? 連れ子以外にも娘がいたのか。」

「前夫人の娘です。昔は、妹王女の友人探しの茶会にも招かれていましたよ」

「ああ、そういえばいたな。迷子になって、王宮図書館でおまえたちといることを好んでいた娘だな。夫人が亡くなって以来、留学したとか聞いていたが」

「私もそれ以降会っていませんでした。……今は酷く衰弱している様子です。せめて、体調が落ち着くまで。兄上の離宮にいさせてください。私の客人として」

 国王は、少し考えて頷いた。

「よかろう。其方の母には、其方から言っておくのだぞ」

「承知いたしました」

 アルフレッドはほっとして頷いた。

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