第3話 アルフレッド王子

 王宮図書館の職員の朝はゆっくりだ。

 そうたくさん職員がいるわけでもなく、遅くまで文献を調査していたりするので朝はいつも遅い。

 だから、アルフレッド王子は図書館の鍵を持っていた。王太子の政務の教師が来るまでの時間を有効活用して、早朝から読書するためだ。

 アルフレッドは、このウォルテス王国の第一王子だ。貴族の子女が通う学園も優秀な成績で卒業し、もうすぐ立太子式が予定されている。側妃から産まれた異母兄は、先日爵位を賜り臣籍へ正式に下った。

 学園の課題から解放されて、まだ立太子までは任されてる仕事も多くはなく、存分に学びを深めることができる期間だ。だから図書館へ日参していた。


 扉を開く。

 一晩閉ざされていた空気が動き出す。

 歩を進め、そしてびくりと肩をふるわせた。先客がいた。

 何で。

 窓から差す光が、髪に光を纏わせていた。きらきらと舞う光に包まれながら眠る少女は、まるで図書館の精霊のようだった。

(誰……いや、クレア!?)

 それは、数年来会っていない幼なじみの侯爵令嬢のようだった。アルフレッドや異母兄と対等に話す知性を持っていた、希有な幼なじみ。見ればずいぶんやつれているようだ。クレアの目のまわりは酷い隈がある。満足に寝ていないのだろうか。

 ここ数年、クレアが王宮図書館に来ることは無かった。そう、彼女の母親が亡くなって、後妻が来て、連れ子が妹になったと聞いて以来だ。

(たしか、外国かどこかへ留学しているのではなかったのか。彼女の妹かなにかを紹介されたときに侯爵が言っていたのに。まさか、そこで酷い目にあって帰ってきたのか? どの国だ)

「クレア…クレア?」

 声をかけた。

 クレアが目をあける。光を纏っていた髪が肩からすべりおちた。

 見れば影になったところの髪は、ずいぶんくすんで灰色に見えた。顔もげっそりとやつれている。

「おはようございます、アルフレッド様」

 目をぼんやりとあけたクレアは目をこすり、にこりと微笑んだ。

 そして、ぼろぼろと泣き出した。


 *



 「ここで働かせてほしい」と言ったっきりで意識を失ってしまった幼なじみに、アルフレッドは慌てていた。

(どうしよう)

 とりあえず、保護して事情を聞かなくては。

(だけど。どこに連れて行ったらいいだろう)

 王宮の医務室でもいいけれど、どうやって入ったのか怪しまれるし。というかアルフレッドにも理解できてないし。なにより、この状態でクレアの存在を公にしてしまうことには忌避感があった。

 持ってきていた肩掛けを、防寒のためにクレアの肩に掛けた。年は明けて暦の上では春とはいえ、まだ朝は冷える。

「……あれ。もしかして熱があるかも?」

 クレアの身体は冷たいが、額が妙に熱い気がした。小さく震えているのはそのせいか。

「どこかにいい場所があればいいんだけど。母上の宮殿とか、いや、あそこは伏魔殿だしな……私の棟に、来てもらってもいいんだけど。今は……」

 今、アルフレッドには婚約者がいない。そしてまもなく王太子になる予定だ。こんな時期に侯爵令嬢を客間にでも住まわせたら、そのまま婚約者一直線な気がする。

「……それでもいいけど……さすがに事後承諾は拙いよね」

 それにクレアとも数年ぶりに再会して少し言葉を交わしただけだ。やはり医務室へつれていくべきか。アルフレッドは迷っていた。


 足音がした。快活なリズムで、しかしどこか遠慮がちな歩き方の音が聞こえる。

(あの音はもしかしたら)

扉が開いた。思っていたとおりの人物が現れた。

「おはよう、今朝も早いねアルフレッド殿下、と、……クレア?」

 さわやかな笑顔の目を丸くして、彼はクレアを見つめた。彼もまた、数年前までクレアとアルフレッドとともに図書館ですごしていた仲間だった。

「タクトあに……ウィンフィールド公爵。そう、クレアが来たんだ。突然。どうやってかわからないけど」

 先日爵位を賜って臣下した、異母兄。そろそろ城下の屋敷へ引っ越しすると聞いていたのだけれども。いや、そう、今日が引っ越しの日ではなかっただろうか。挨拶に顔を出したのか。

 タクトは心配そうに幼なじみの令嬢をのぞき込んだ。

「ずいぶんやつれているね。顔色も青い。どうしたんだろう」

「わからない。たすけて、と言っていた。ここで働かせてと」

 アルバートはちらりとクレアの傍らの荷物の包みに目をやる。荷物はあれだけか? まさか。

「ここで?」

「うん。なにか、あったみたいだ。これまでどこにいたのかもまだ聞けてないんだけど」

 クレアはそういう表情をしていた。笑っていたけど、今にも泣きそうだった。

「ここで働きたいって言ってたけど。さすがにすぐには無理だと思うんだけど、あに……公爵」

「タクトでいい。……そうだな」

 タクトがクレアを抱き上げた。動いてもクレアは目を閉じたままだ。大丈夫だろうか。

「僕の離宮へ連れて行こう。今朝ならまだ侍女がいる」

「タクト兄上、それなら、私の宮でも」

「バカ。確実にめんどくさいことになるぞ。婚約者候補とか側室とか派閥とか」

 アルフレッドは唇をとがらせうなずいた。知っている。だけど、彼女の手を離したくなかったのだ。

「今日から僕は屋敷へ移る予定にしていた。僕は予定通り屋敷へ移るよ。クレアのことはアルフレッド、君が気にしてやってくれ。侍女たちを残していくから。僕も様子を見に来る」

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