第2話 王宮図書館

 かたり、と扉が開く。

 クレアはするりと扉の内に身をすべりこませた。

 扉が音もなく閉まり、光を失い、姿を消す。

 懐かしい、見慣れた室内の様子にクレアは息を吐いた。そこは、かつて通いなれた王宮図書館だった。

 夜明けの薄明の中で、閲覧机に開いたままの本のページを撫でた。

(あのころ大好きだった、伝承物語。……今もそのままあってよかった)

 この本に、かつてクレアは母に教えられた通りに栞を差して、出口を設定したのだ。刻印の魔法で本に刻み、他の人には見えないように隠蔽の魔法をかけた。栞を挟んだ裏表紙の部分を撫ぜると、光がふわりと立ち上った。まだ、大丈夫。栞の魔法は健在だ。

 椅子に座り、読むともなしにページを繰るうちに物語の世界に引き込まれていった。

 夢中で読みふけっていたが、疲れが出たのかそのまま机に顔を伏せて眠ってしまった。


 夢に、母が出てきた。

 クレアの母は、侯爵家の一人娘で父を入り婿に迎えた。しかしクレアが12歳になったころから臥せがちになり、そのまま亡くなってしまった。病みつきはじめた頃に、母はクレアにこの栞の魔道具を母の魔法書ごと渡して言った。

「この栞は、<図書館魔法の魔導具>。クレール家の女たちに代々受け継がれた古代の魔導具よ。……クレア、約束して。この魔法は決して安易に使ってはいけないわ」

 母は心配そうに目を落とした。

「あなたはたしかに継承者の資格があるわ。でも未だ幼い。誰かに護られているべき状態なのに……他に身よりもいないし。クレア、父様はこのことを何も知らないわ。知られてはだめ。わたくしは、伴侶の選択を誤ったの」

 クレアは母の導きで、栞の魔導具に魔力を込めて所有者を登録し、母から継承した。

「使い方を教えるわ。この栞の鍵は、いつかあなたを助けてくれる。それまではなるべく使わず人目に触れないように持っていなさい」

 母の真剣な表情に、十二歳のクレアはうなずいた。


 ふう、と十八歳のクレアがため息をつく。

(ついに、使ってしまいました、お母様。許してください……)

 この行動によって、これまで秘されてきた栞の魔導具のことが誰かに露見してしまうかもしれない。それでも、もうクレアは耐えられなかった。

 きゅっと、胸元の母の魔法書を押さえて母へ懺悔した。



「クレア。クレアだよね?」

 呼びかける声が聞こえた。ぼやけた視界に、懐かしい顔が見えた。

 あいかわらず、彫像のように整った顔。

「アルフレッド様」

 この国の王子。かつて、令嬢だった頃のクレアの図書館友達だった。

「どうしたの。どうしてここにいるの。どうやって入ったの」

 懐かしい声を聞いてどこか、ほっとしたら、突然涙があふれた。

そんなつもりはなかったのに。

「……たす、け……じゃ、なくてっ」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、本音が口をついて出て、クレアはあわてて口を押さえた。

 違う。惨めな環境から助けてほしかった訳じゃない。そんなことが言いたいわけじゃないのだ。

「……。アルフレッド様。ここで、はたらかせていただけませんか。下働きでもなんでもします。もう行くあてもないのです」

 下働きでもいいのだ、仕事が貰えれば生きていける。

 たとえ泥にまみれるような仕事でも、少なくとも無償で未来もなく搾取されて虐げられ続けて休息もできずに衰えて死ぬよりはマシだった。

 ぼろぼろと涙をこぼしながら言うクレアに、アルフレッドは困惑した表情でうなずいた。

「ええと。よくわからないけど、私が力になれることがあったらするよ。どうしたの、何があったの、クレア……って、クレア?!」

 アルフレッドに拒絶されなかったことで、力が抜けたのか、視界が白く染まっていった。アルフレッドの慌てた呼び声が聞こえたが、もう指一本動かなかった。

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