第9話 何はともあれ労働

 三日後、道は昨日の冷たい雨でぬかるんでいた。二頭立ての馬車が僕たちの背後から追い越した。馬は馬のようなものでなく、馬そのものに見えるものだ。何と呼ぶのかわからないが馬と呼ぶことにした。

「馬だ」

 僕が呟くと、

「ウマ」

 彼女が呟いた。僕は四つ足の格好をして駆ける振りをした。

「おお」と頷いた。

 僕は指についた泥を拭うと、ぬかるんだ道から逸れたところに村があることに気づいた。そこそこ大きな道の脇へと逸れると、何となく村がある気配がしてくるのだ。雑木林や道一つにしても、村があるとどこかしら整備されているものだ。ただ誰も来るなと掲げているところもある。そんなところに入ると鎌や槍で脅されて逃げることになる。

 何度か野宿を繰り返した後、僕たちは比較的穏やかだと思われる村を訪れた。旅の行商人や往来がある道に近ければ近いほど緩い空気に満たされている。ただこれは入ってみなければわからない。村が盗賊なのかもしれない。僕が経験者だ。彼女の村は暴力に満ちていた。

 僕たちは集落の真ん中を走る道を抜けると、粗末ながらも掃除が行き届いた家の前で立ち止まった。冬になりきるまでに旅は終えたいが、そろそろ万が一のために冬支度も考えた方がいいような気もする。たぶん彼女も同じことを考えている。まだ秋のような気もするが、突然冬に襲われることもあるかもしれない。自分のいた世界の常識は信じきるな。

 彼女は庭で薪割りをする老婆に話しかけた。何度か指を立て、三本ということで話を終えて戻ってきた。

 僕は薪割りを命じられた。

 アルバイトね。

 これができるんなら前の村でも食い逃げなどせずに何とかできたんじゃないのかと思った。それでも今から戻ってお代を払う気はない。そもそも払えるものもないんだ。

 村から捨てられたときに持たされた資金はとっくに底をついているとのことだった。彼女は薄暗い表情で胴巻きを裏返して見せてくれた。

 働くしかない。

 たまに僕は美月を救うために来たはずなのに、いったい何をしているんだと思うことがある。何度試みても生きるためには食わなければならないという結論にしか至らない。

 トンネルで美月を捕まえそこねたことがすべての元凶だ。あれは美月の魂だったのかもしれない。まさかあんなところにいるとは思わなかったんだし、これはしようがない。

 こちらでもトンネルのようなところがあれば入ればいいのか。そうすれば戻れるかもしれない。あくまで可能性の問題になるが、それこそやってみなければわからない。

 僕は年季の入った切り株に丸太を置いて、重くて汚い手斧を振り下ろした。ハンドアックスと呼ばれる斧はコツさえつかめば、薪などすぐ割れる。これからはアルバイトで稼げばいい。初めは力任せでうまく割れなかったが、続けているとコツが掴めてきた。薪割りとはよく言ったものだ。薪切りではない。これは割るのだ。軽く力をかけるだけで、遠心力なのかどうか、そこそこの太い丸太でも割れた。力点と作用点か。

 マイハンドアックスが欲しくなってきた。もちろん僕は盗むことなど考えたことはない。ちなみに彼女は何をしているかというと、遊んでいるわけではなく、割れた薪を屋根のついた薪置場に並べる。その間に枯れた枝を束ねる。二人でやると効率もよい。一軒についてどれくらい稼げたのかはわからないが、村の数軒で同じようなことをした。たいてい口コミで仕事が集まった。誰しも疲れることはしたくないらしい。

 僕たちは礼を言われ、仕事代に加えて少しパンをもらい、塩漬けの魚をもらいしていると、そこそこの荷物になった。今は食べ物を持つ担当は彼女だった。密かに僕は彼女が食料を持ち逃げするのではないかと警戒しているが、驚くことにすべて半分ずつしてくれた。少し世間を知らないところがあるものの、根はいい子なんだな。食い逃げなんて世間を知る知らない以前の問題だ。覗き見はいけなくて食い逃げはいいのか。

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