第8話 臭い魚〜食い逃げ

 僕たちはよろよろと歩いて、すぐに山の途中で夕暮れを迎えた。つまらないことをしたせいで歩くのもつらくなってきた。岩の陰で焚き火をして、干し肉を食べ、寝ることにした。彼女は僕の外套の下、うずくまるようにして寝た。夜中何度も蹴飛ばされて起きたが、目覚めは清々しい気持ちがした。彼女も同じらしくて表情が柔らかくなっていた。

 少なくとも僕は、ようやく二人の旅になったような気がした。夜になる前に焚き火をして、二人で粗末な夕食をしがんで、僕が彼女を抱えるように寝た。朝は二人で一緒に歯を磨いて、顔を洗い、日が昇りきらない間に歩き始める。夜には寝て、朝とともに起きて、昼はひたすら歩いく二人の旅だ。食べられるものは食べて、盗めるものは盗む。しかし人殺しはしない。何が起きるかわからないのに、まだ起きてもいないことで頭を悩ましている暇などない。

 とある日の昼過ぎ、僕は川の畔で洗濯をした。寒いので水には入れないものの、粗い目の布巾で体を拭うことくらいはできた。これだけでも清潔に保てるので心地よい。ちなみに僕は彼女の下着(褌)も洗わされた。単なるさらし布だが。どうも気にもしていないらしい。この世界では下着を気にしてるのは僕だけなのかもしれない。確か僕が女の子の入浴を覗こうとしたときは叱られた記憶がある。この世界の常識は自分自身で経験するしかなかった。この世界に限らず、どの世界でも同じようなものかもしれない。経験ほど強いものはないということかなど考えながら洗濯をして、枝に干した。

 岩の向こうでは、彼女が焚き火をしていた。白い煙が立て昇るのが見えた。洗濯も乾きにくい。

 今日はここで泊まるのか。

 僕は気づいた。

「あれ?ひょっとしてこれは?」

 魚だ。

 魚の焼ける匂いだ。

 懐かしい。肉派で魚など家では食べなかったのに唾が溜まる。

 外套にくるまった彼女の背が見えた。淵を向いている彼女は枝に獣の毛を結びつけて釣りをしていた。

 今夜は魚か。

 僕は洗ったものを岩に干し、石ころで飛ばないようにした。

 焚き火を覗いた。

 すでに火の縁では、口に枝を刺された三匹の魚が焼かれていた。丁度手の平サイズのものだ。ナマズに似た格好だからナマズだろう。

 僕は匂いを嗅いだ。

 白身の魚の匂いだ。

「懐かしい」

 と涙が溢れてきた。

 彼女がぼそっと言った。勝手に食うなよとのようなことだろう。

 彼女は一匹釣り上げた。片腕ほどの大きさがあるのだから、これは大きい。格闘の末、岸に引きずり上げたのは、焼かれているナマズに似てはいるが、緑と青の混じったような色で、ヌメヌメとした皮をしていてた。目はなく、顎の下には鮫肌のようなブツブツが無数にある。

「食えるの?」

 尋ねると、彼女は焼かれている魚と釣ったのを交互に指差した。

 う~ん……

 彼女は革のホルスターから汚いナイフを抜いて、ジェスチャーで言うところでは、ここを突き刺すと死ぬということらしい。僕は頷く。いつものことだ。彼女は僕が理解したことに満足そうにして、次に水辺で腹を割いた。内臓が溢れ、とんでもない臭いに襲われた二人は吐いた。

「臭っ!」

 忘れていたタンクの水を捨てるとき以上、カメムシ以上、もはや公害レベルで臭かった。何とか二人で焚き火に戻ると、彼女は焼けた魚を食えと差し出してきた。食うのか。食えるのか。彼女は食う真似をして寄越すと、素早く頷いてみせた。こういうときの彼女は怪しいのだ。旅で気づいたが、嘘をついているときの彼女は動きが忙しくなる癖がある。

 僕はかじったふりをして、

「うまっ!」

 と笑ってみせた。彼女も背にかぶりついて、すぐに吐いた。

 何度歯を磨いても臭いと味は落ちず、歩いていても数日は藻のような臭いがこみ上げてきた。しばらく僕たちは口数が少なかった。誰も釣らないはずだ。だから釣れるんだ。


 比較的大きな村が現れた。まさに出くわした。あれからしばらく彼女の急ぎ旅は影を潜めていた。少し休憩がてらに寄ろうということ話になった。ここは彼女のいた村とは大違いで、宿や食堂がある。どちらも贅沢すぎて使えないが、お互いに興味は捨てきれない。さすがに覗かせてくれとは言いにくいが、彼女は食堂の女主と話をつけてしまった。

 暗いので、僕たちは道に面した窓際の薄い板のテーブルについた。入って右にカウンターテーブルがあるのだが、暗くて見えない。頭上にはむき出しの梁が通っていて、二階の床と天井が一体になっていた。これではすき間から丸見えだなと思っていると、彼女はすき間と自分の股を交互に指差した。情けないくらい考えていることは変わらない。

 違うぞ。

 僕は気づいた。

 素早く彼女はテーブルの上のランチョンマットを指差した。カーペットがあるから肝心なところは見えないんだな。肝心なところとは。

 二人の前に冷えたどろっとしたものが運ばれてきた。豆のようなものが入っていて、肉のようなものも入っている。焦がしたシチューのようなものだが、これは食べてみなければならない。一緒に出された丸い焦げたものは湿気たパンだな。フォークもスプーンもないが、どうやって食べるのかお互い観察した。

 僕はパンをちぎった。

 これですくって食べる。冷えきってはいるが、まさしく素材の味しかしないシチューだ。パンは膨らんでいないが、味はパンそのものだ。がっつりと食べ終えた頃、女主人がフォークとスプーンを持ってきた。

 僕は指で呼ばれた。

「どうした」

 彼女は目で入口を見た。そして頷いたかと思うと、荷物を抱えて一目散に逃げ出した。まさかなあ。もちろん僕は逃げ遅れたが、ここで謝っていてもしようがないことくらいはわかっている。追いかけられながら村を駆け抜けた。こうなれば二度と村には来ることなどできない。

 来ないけど。

 来ないからいいのか。

 なるほどなるほど。

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