第4話 野宿とキャンプ
やがて森を抜けた。
視界一面が草原だ。
僕はいつ拳が飛んでくるか恐れていた。腫れたところは初めこそは麻痺していたが、次第に痛みが増してきたし、倒れそうになるくらい熱を帯びていた。ただここで倒れるわけにはいかない。意地でも何でもなく、僕には見知らぬ土地で捨てられて生きていく自信はない。
背後の森が特殊で、基本的には低木の雑木林が点在する草原が広がる地域だ。青く澄んだ空には薄い雲が見える速さで流れ、草原は風のいるところを示すようにざわめいた。
秋だな。
風は気持ちいい。
懐かしい気持ちになる。
僕は両手を頭上で組むように伸びをした。僕が半泣きでトンネルを引き返した後、姉は手を繋いでくれたんだ。夕暮れの風が蘇る。風はどこにいても風なんだ。僕は自分に言い聞かせた。なぜ僕は今まであのときの風を忘れていたんだろうか。
断片的な記憶が蘇る。
すると革紐がグイッとした。
再び彼女は歩いた。
もし今が秋だとすれば、いずれ冬が来る。収穫や広葉樹の葉の具合からして秋と言える季節には違いないが、この子は収穫まで手伝わせてから旅に出されたのだ。間もなく冬になる前に捨てられたのか。捨てられることのつらさはわからないが、せめてこの子が前向きにいてくれればいいがと考えていると、少女は革紐を引いて、僕に遠くの白い岩を指差した。指の汚れ具合から少女は村で懸命に働いていたことがわかる。
「あそこへ行くのか」
言葉は通じない。
少女は革紐で答えた。
僕は彼女と主従関係など結んでなるものかと反抗した。奴隷でもなければ家畜でもない。せめてわからなくてもいいから、言葉で伝えてくれと訴えたものの意味はなかった。
草原の中の道は遠くに見える岩から離れ、また近づいて、また離れを繰り返していた。このまま一直線に行けばいいのに。僕は革紐を掴んで抵抗し、直線方向を指差した。
ようやく意思が通じた。
顎で命じられた。
「顎かよ」
僕は草原に踏み入れた。一歩目で諦めた。沼地だ。これだけ沈めば一人では抜け出せないと暴れたときは殴られた。少女は革紐を僕の脇に巻きつけて力任せに引き上げた。
「痛いな」
僕は泥塗れで歩いた。
乾いた泥が落ちる頃、夕暮れが近づいてきた。ようやく一つの塊に見えていた岩が、いくつもの巨石が積まれているのだとわかった。これらは巨人が積んだのではないか。
音が聞こえる。
声がする。
空に人の熱気が昇る。
ここは町だ。
かつては白かっただろう巨石に囲まれていた町だ。出入口から中央の大辻󠄀に道が抜けて交差し、おそらく向こうにも町の出入口がある。
「町かなあ」
僕は彼女を覗き込んだ。彼女は一点を見たまま答えないまま、町には入らずに迂回し、草原と道と壁の外れで腰を降ろした。周囲に同じような身なりの連中がいた。同志よとはならない。なぜなら僕のように首輪があるのは、牛や馬のような奴らだけだからだ。皆四足や六足だ。
「獣扱いじゃないか」
腰を降ろした彼女は、面倒そうに隣へ座るように地面を叩いた。誰もいないくぼんだ場所を選んで、荷物を盗まれないように背と壁の間に押し込んでいた。僕は獣と寝るのは勘弁したい。糞尿の臭いと涎に塗れた地面で屁を聞きながら寝るのは一晩でいいと思いつつ覚悟もしたが、彼女の隣でいることを許された。外套を地面に敷いて、僕にも同じようにしろと命じた。殴られる前に真似した。それから斜め掛けの鞄から出した一尺ほどの棒を小指ほどに食いちぎると、短い方を僕に渡してきた。
「そっちはそれ全部で」彼女と肉を交互に見つつ「これだけか」
と言おうとしたら、彼女も同じだけを口に含み、残りは丁寧に鞄に戻したので、少し恥ずかしかった。
ずっとしがんでも、いつまでもなくならないし、味は初めからついていない。確かにわずかに塩味はついていたが、すぐ消えた。たぶん何かの肉だとは思うが、ゴムを噛んでいるようなとはこのことだ。僕は彼女のするようにずっとしがみ続けながら、壁際に降ろしたリュックを枕にして、巨石の縁から見える星を眺めた。彼女はかれこれ一時間はしがんでいたが、ついに身を起こし、革製の水筒に少し口をつけた後、肉片のときのように差し出してきた。僕も同じように飲んだ。もちろんこんなもので腹は満たされない。
あれこれ考えた。
キャンプか。
新しい家族と初めて行ったキャンプのことを思い出した。たいした出来事もなく済んだはずだ。迎え入れられてすぐのことだということくらいしか覚えていない。義父は気を使ってくれた。すべて僕を初めにしてくれた。肉も焼きそばもおにぎりも飲み物もすべて。寝るときは姉とテントに入れられた。これは今も忘れられない。一睡もできなかった。
当時、中二の姉は、
「私も眠れなかったよ」
と三年後にあっけらかんと笑っていた。他に寝ていたのは誰かいたような気がするが、気のせいか。
「美月さん……」
涙が目尻を流れた。うつらうつらしているうちにも腹の底が焼けるように熱くなる。ここで倒れれば捨てていかれる。口も唇も腫れて食べるどころではないはずなのに、気合いでどうにかしようとしていた。
少女が見つめているような気がしたが、熱のせいで何も考えたくなくなっていた。手の平が頬に触れたときは体が緊張した。また殴られるのかと覚悟したが、腫れたところを何度か撫でられた。どこからかどこまで夢かもわからないが、深紅の星が流れて彼女の額に吸い込まれた。
まだ暗い朝、少女の姿は消えていた。僕の心臓が跳ねた。捨てられたと冷や汗が流れた。僕は慌てて区画から這い出そうとして、殴られたところが動かなくて転げた。頬に添えられた濡れた布巾が落ちた。革紐に繋がれていることに気づいて妙なことに安心した。石にくくりつけた革紐を解くと、軋む体で近くを探した。彼女は壁から漏れる水を手ですくい顔に撫でつけていた。僕に気づいて、ポケットから枝の端を無数に裂いたものを渡された。何をすべきかわからないで立っていると、身振りで歯を磨くように言われた。磨けば磨くほど苦い汁が出てきたが、何だかスッキリとした。吐いた唾が血塗れだ。まさかこれは共用ではないだろうな。眉を歪めた彼女はもう一本出してきて磨き始めた。
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