第3話 旅立ち〜秋
僕は目を覚ました。
人というのはこんなときでもよく眠れるものだと考えて、寝たのではなく意識をなくしていたのではないかと思いついた。頭を蹴飛ばさられて目を覚ました以外は快適だ。
獣は柵の二段目から憎たらしいほど冷たく見ていた。起きても言葉はわからないままだし、夢でもないことは理解した。まだ暗く朝もやに覆われた中、広場に連れられて後ろ手の縄が解かれた。深い山に囲まれた村だと気づいた。稜線から差し込んでくる光は神々しい。眠れずに見るサッシ越しの光とは何が違うのかと考えていると、首に革紐を掛けられた。騒がしく暴れなければ殴られることはないと学んだ。
そうでもなかったな。
膝立ちの僕は一人の少年が近づいてくるのを見つめていた。丁度今の状態の僕と同じ背の高さだ。
額の眼がない。
表情もない。
言葉もない。
サンダル履きだが、少し上等の編み込みを施され、甲から膝下まで革が巻かれていた。肌は薄黒く、黒髪は耳の上で短く刈られ、顔立ちは整っていた。黒い瞳は僕を見つめていたが、映しているだけで、他の村人以上に死んでいた。それはどこかで見た気がした。僕と同じだ。
少年は粗く織られたシャツの上から革のリュックを背負わされて革の外套をまとわされた。僕は棒きれで立つように命じられた。殴られないだけマシだど思い立ち上がると、不意に若者に脇腹を殴られた。若者は少年の拳を握らせて、うずくまった僕に殴るように教えた。たぶん人に言うことを聞かせるにはこうしろと教えているようだ。少年は僕を力任せに殴る。頭に来る前に情けなさと怖さで体が震えた。再び立たされて何度か若者に殴られ、何やら言われたが、少年の言うことを聞けよと教え込もうとしてるようだ。ようやく解放された後、僕にも人の頭ほどの重さのリュックを担ぐように命じられた。肩から外套を巻くように言われ、わからないので殴られて巻き方を覚えた。少年は無表情で僕を見つめていたが、手には僕に繋がる編み込んだ革紐を持っていた。
老人が僕の肩に手を置いて何やら言いつつ微笑んだ末、手にしていた杖を腹に突き入れ、転がる僕に両手に持ち替えた杖を振り降ろした。
「いちいち」もちろん頭に来たが話す術がない。「殴らないで話せ」
次第に村も白んできて、光が村人の顔を染めた。底意地の悪い笑みと暴力に塗れた村には、朝なのに煙すらない粗末な村がお似合いだ。
少年と僕が村の出入口の橋を越えたところで歓声が起きた。少年の旅立ちを見送る清々しい村だと思っていたが、後々にで捨てることへの後ろめたさの裏返しだと気づいた。
しばらく僕たちは昨日僕が連れてこられた道を行き、やがて村が見えなくなるところで、不意に一際大きな樹が現れた。改めて見上げた樹は荘厳で、僕は少年に殴られるのではないかと心配しながらも、帰れるかもしれないと樹に額を押しつけた。
帰れるかもしれない。
ぶつけてみた。
蹴飛ばした。
「帰れないのかよ」
と呟いた。
少年は無表情に一瞥して、革紐をグイッととした。もう行くぞとの合図だろうが、僕は抵抗した。僕はこんな扱いで言うことは聞かない。
「言葉で話してくれ」
僕は自分の唇と耳を交互に指差して伝えようとしたが、少年は表情のないまま僕の脇をすり抜けた。
「どこへ行く。僕は何だ。なぜおまえの額には眼がない」
どんなにわめいても相手に響いている様子もないので諦めて、僕は少年の額を撫でた。そのとき少年の拳が僕の頬に食い込んだ。睨んだ黒い瞳が見る見るうちに涙に沈んだ。
あ、この子は女の子だ。
僕は気づいた。
何だか悪いことをしたな。
僕は少女の小さな背を見ながら歩いた。次第に重いリュックのベルトが肩に食い込んだ。
「ごめん」
何度か繰り返したが、言葉は通じることはない。通じなくても理解してくれているのか。少年から逃げるにしても、どこへ行けばいいかもわからないのは自殺行為だ。
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