第2話 異世界へ
僕は指から漏れるくらい深い泥を掴んだまま目を覚ました。雨はやんで、神木にも似た樹は紅葉し、あちらこちらから木漏れ日が降り注いでいた。樹にもたれた僕の顔を眩しい光や濃い影が視界を揺らし、ときどき頭に冷たい雫が落ちてきた。水を溜めたうろが見えた。立ち上がろうとして、衝撃を浴びた。吐きそうなくらい腹を殴られた。頭上で何やら人々が話しているようだ。腹を抱えながら聞いたが、何を話しているのか、何語なのかすらわからない。何人かの会話だということは理解できた。僕が泥に塗れて滑るがままに何とか顔を上げると、見下した顔の痩せた男がいた。くすんだ麦わら帽に、日に焼けすぎた顔、首から黄ばんだ手拭いを掛けて、手には鎌を持っていた。
「ここは」
僕は不安気に自分に尋ねた。これでは誰にも聞こえない。会話が済むと、また僕は泥に押さえつけられて後ろ手に縛られた。訳がわからないまま引きずられたものの、騒ぐ気になれないまま麦わらの散らばる荷車へ放り込まれた。
僕は荷車の上で咳き込んでいたが、ようやく顔を上げることができたとき、牛のような獣の手綱を取る男の背が見えた。起き上がろうとすると、鎌の柄が押さえつけてきたので、ここでは静かにしておかなければならない。
聞き耳を立てるしかできないような状態で何も聞こえず、僕は目玉だけを動かした。驚いたことに彼らの額にはそれぞれ縦に眼がある。おそらく入れ墨のようなものだとは思うが、僕はそれならそれでここはどこだと考え始めていた。動くことができないなら考えるしかない。
考えてどうなる。
捕まっている。
わかる。
冷静になれ。
ここが魂の世界か。
段差を越えるたびに全身が固い床に叩きつけられた。ようやく意識が戻ってきた。不安が押し寄せてくる。学校へ行かなければとしている前の夜と同じだ。まずここはどこなんだ。あのトンネルを抜けたところに、こんな額に眼の入れ墨を入れた言葉の通じない村があるのか。
荷車が濁った小さな川に架けられた薄い木の橋を渡ると、丸太を組んだ門をくぐった。今にも潰れそうな板葺きの家が密集し、上流か下流かわからない方に粗末な家が点在していた。僕は川沿いに小さな畑と荷車の藁から何となく収穫後だと考えた。高床庫の前には穂のようなものが見える。
ここは村なのか。
魂の村。
人々の聞いたことのない言葉が近づいては離れ、たまに気配が近づいてきて節くれた指が僕の顔を見ようとして顎を捩じ上げた。皆が皆の額に眼がある。ただ一様に額に彫られたような眼にも少しずつ違うように思えた。
三人が僕を担いだ。
僕は声にならない声でわめきながら、生きているんだぞと必死に体を動かした。地面に落とされて、拾い上げられるまでもなく殴られた。
ぬかるんだ地面に片頬を埋めた僕に人々が集まった。よくて藁で編んだサンダル履きで、悪くて裸足のままだった。どうひいき目に見ても友好的ではないものの、すぐ殺してしまおうという気もなさそうだ。
すぐには。
ふと底知れない不安が腹の底から込み上げてきて、吐き気と同時に泥を吐いた。そんなことはお構いなしに長い柄で打たれたので、気力も奪われて、すぐ動けなくなってしまった。
また何だか相談している。どこからか威勢のある声がして静まった後、皆が退散した。
僕は何も話しかけられることもなく引きずられ、翌朝まで獣臭い小屋で荷車を曳いていた獣と寝た。子牛にもロバにも似ていて、耳のところに皮で覆われたコブがある。尿意を我慢できずに叫んだが、監視に殴られて漏らした。まさかこんなことで涙が出るとは思わなかった。
獣が頭上でメェと鳴いた。
小さな人影が見えた。
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