第25話 国王
二日後、僕たちは白亜の塔を見上げていた。結んだ唇は何も言うまいという二人の決意の表れだ。言うとすれば、弱気なことしかない。
塔の頂は雲が流れるたびに見え隠れしていた。レイは額飾りを外して聖眼をさらした。
「でかい」とレイ。
「いやいやいや」
「大きい」
「丁寧に言い替えただけだよ。そんなこと求めてないし。ちゃんと大きいよね。幻じゃないんだよね」
「奇妙奇天烈摩訶不思議だ」
「策を練るしかないね。このまま正面突破したところで玉砕だろう」
「焼き払うしかないな」
「マジでやるの?」
「マジ」
レイは両腕を広げた。一気に翼のようにはためかせると、熱風が閉ざしていた門を一瞬で融かした。
結界もあるはずなのに。
地響きとともに庭前の草原は爆風でえぐられ、焼けただれた土が舞い散る。僕は溜息を吐いた。
「もうやるしかないよね」
「刃向かう奴はかかってこい」
レイの右手に鞭が現れ、煤けた銀のような鱗を持つ大蛇が彼女の体にとぐろを巻いていた。
「気持ち悪っ」
一斉に放たれた矢が曇天の上から降り注いだ。レイの鞭がすべて薙ぎ払うと、正面の炎から剣と盾を持った連中が現れた。僕たちを盾で押し退けて、剣で叩き伏せようとしているのだ。階段の上にいたローブ姿の呪術師が呪文の詠唱を終え、レイの攻撃に対する結界を築いた。もうすでに兵士たちの退路はないということでもある。僕はハンドアックスで剣ごと鎧まで叩き込んだ。呪詛をかけられた剣は本人に対しても容赦なく力を発揮した。騎士の間に飛び込んだ僕は首にハンドアックスを打ち込んで階段まで押し込んだ。剣を奪うと、力任せに斬り捨てた。レイの操る鞭が僕を援護してくれた。たまにやられたと思うが、首のリングが一瞬煌き、斬りつけた側の全身が焼け焦げた。散り散りに引き裂かれる者もいた。どちらが悪者なんだ。
絵面的はまずいな。
「神聖な城を攻める鬼」
僕が結界に突き入れた剣を下段から払い上げると、できた間からレイが光の矢を放った。太い一本が途中で枝状に裂けて、細い鞭が呪術師の額や背後に叩きつけられた。
「強いな」
「当然」
能力のある呪術師は育てるのが難しいので、できるだけ安全なところにいるらしいのだが、レイの鞭はお構いなく、あるものはエンタシス状の柱を砕いて、またあるものは弧を描いて呪術師に襲いかかった。
逃げることさえも許さない。
僕はレイを抱き上げて、階段を駆け上がった。一瞬で最上段に立っていた。この階段は長く思う者には長くそびえ、何かの欲ある者は迷路に誘い込み、怯える者は地の底へ突き落とし、揺るぎない目的ある者にはそこへと案内してくれる。
「シン、凄いな」
「レイもね」
「わたしも凄い?」
目がキラキラしていた。凄いどころか恐ろしい。アラが話していたことも頷けた。これは屠殺場や貴族街以外にも相当暴れているはずだ。
「役に立つ?」
「とても」
僕たちは取り囲む兵士とともにホールへなだれ込んだ。巨大な柱に隠れて弓を放つ者、ボーガンをつがえようとして、僕のハンドアックスの餌食になる者、柱の陰に隠れたものの柱ごとレイの鞭に突き刺されて立ち尽くしたままの者、その他多くの血が牛乳色の床を染めた。
「まだ出てくるぞ」
二人がホールの奥へと行こうとすると、あちこちからの扉から新しい兵士が姿を現した。しかも背後では死んだ兵士たちが起き上がった。
僕は息を飲んだ。
「味方だから」
レイが軽く言う。
「でも操れない。動くものを勝手に殺そうとする。使えないな」
何とも言えない。どう考えても僕たちが悪どい気もする。重ね重ね言うのも妙だが、白亜の塔に暮らす者からすれば、僕たちが悪魔だ。
「何をしているんだ」
足場から声がした。いつもの絵師が覗き込んでいた。成り行きで戻ってきたと答えた。
「おまえさんらには言葉というものがあるだろうが。話し合うことくらいするべきだと思うがな。しかし難儀なことだ。姉さんとやらは?」
「棺がどこにあるかわからないんですからね。何とも。あの石も違うことに使いましたし」
僕は二人を斬り捨てた。視界の脇を黒い影が走り抜けると、レイから放たれた蛇が噛み殺した。
「話し合えますかね」
「相手も愚かではない。おまえさんらの行動も織り込み済みだよ」
「そりゃそうですよね」
「白亜の塔はこの世界でも特に力を持つと恐れられておる」
「罠ですかね」
「何とも言えんがな」
「あなたは国王ですよね。棺の並んだ地下室も知っている」
「どうしてそう思う」
「あなたは僕の救いたい人のことを彼女と言いました。僕はあなたに性別まで話してませんからね」
「国王ならどうする」
「それこそ話し合いませんか」
「死者と話すことはないな」
「僕は白亜の塔を行き来できるんですよ。玄関でなくてバルコニーを越えてです。ちなみにあなたの築いた堤防を越えてきたし。どうですか?」
「考えておく。おまえらが生きていれば話すこともあるかもな」
僕が絵師と話していると、レイは控えの間の扉を蹴破った。結界など施されているはずなのに、力こそ正義な行動をするものだから急いで後を追いかけた。一旦止めた。
「どうして止めるんだ」
「何が仕掛けられてるかわからないからね。ここは控えの間だ。僕たちが初めて女王と会ったところだ」
そして僕の前の世界での記憶が戻ってきたところだ。息が詰まるような苦しさを覚えた。なぜ僕は忘れていたのかということと、一人美月さんたちに気を使わせていたという情けなさで重苦しい気持ちだ。
レイは僕を見ていた。
「もっとうまく生きられたのかもしれない。見たこともない親に憧れてたのかも。僕は一人で生きてた」
僕はハンドアックスを軽く椅子の背もたせに突き立てた。
「親に会いたいのか」
「特には気にならない。会ったこともないしね。会ったところで」
「美月とやらには?」
「救いたい。これは彼女へのせめてもの罪滅ぼしかな。結局は一人で生きてきた気でいた自分をぶん殴りたいんだよ」
レイにぶん殴られた。多少力は抜いてくれてはいたが、何をするんだと抗議した。殴られたいんだろうと言い返された。少し違わないか。
「わたしも一人で生きてきた。村で世話になったけど、ずっと心は一人ぼっちだった。でも今はおまえがいるから生きていける気がする」
「僕はレイがいなければ、今頃は死んでるよ。こんなところで話なんてできていない。刻まれてる」
「おまえは弱い。確かにハンドアックスの腕はいいけど、わたしは冷や冷やしながら見ている」
「僕はそういうところを気づかないんだよ。僕の悪い癖だ。誰からも指摘されなかった」
「ハンドアックスのことか?」
「殻に籠もること」
レイは僕がどんなバイオレンスな世界に住んでいたと考えているんだ。僕のためにいろいろなことをしてくれたのに、僕は気づかずに暮らしていた。嫌な性格だ。義理の兄もムカついていた気持ちがわかる。
「世界は自分中心に回すもんじゃないのか」
「思いやりというものがいる」
「わたしはおまえに思いやりがないとは思わない。ずっとわたしのことを考えてくれていた。言葉が通じなかったときからずっとだ。もう村で暮らしていたときなんて忘れた」
まっすぐ言われると、少し照れ臭いような気もする。しかし純粋にレイのためかと言われれば怪しい。こんな世界に放り込まれた僕も、捨てられて野垂れ死ぬ不安から逃れたい一心で一緒にいたところもある。
「お互い様だ。僕は人の気持ちを理解しようとしなかったんだ」
「今までわたしのことを忘れないでいてくれた。わたしはこんなうれしい気持ちは初めてだ」
僕は無意識にレイの頬に触れようとした瞬間、手首から全身を捻じ倒された。つい癖で触れる者を倒してしまうらしい。僕と白亜の塔に別れて暮らしていた頃から身についたということだ。どんな暮らしをしていたのか垣間見えた気がした。
「今さら待つ意味あるのか」
「確かに今さらだけど、ここまで来ることができた。でもまだ入口にも来ていないんだよ」
「向こうに何がある」
「果てしない世界だよ。ここまで来たからには待つのもいいだろう」
「確かにそうかもな。いたずらに壊しても疲れるだけだしな」
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