第24話 フィリ
いつもの出入口のいくつかから兵士が侵攻していた。僕はランプをレイに持たせた後、暗闇の中、兵士に襲いかかった。天井は低く、剣など振るえるはずもなく、二人が汚水に倒れた。ランプを目指した一人が簡単に壁に打ちつけられて死んだ。
「シン、強い」
「あれだけ薪割りしたからね」
「薪と頭は同じか」
そういうわけではないが、少し後ろめたい気持ちを除けば、似たようなものだ。この世界に適応しすぎたかもしれない。
「あれは斥候だな」
「セッコウ?」
「何て言えばいいのかな。どれくらいいるか探りに来た」
「偵察か」
「うん。そうだね」
「だから弱いのか」
「弱いのかな」
「倒れた奴は弱い」
出入口から石段を這うように煙が降りてきた。ただの煙ではないような気がした。いぶし出そうとしているのか。いや、焼き殺そうとしているのか。違うな。毒煙だ。一瞬僕は焦ったが、そんな余裕もないくらいに爆風が階段から路地までを吹き飛ばした。レイと一緒ならば策も何もあったものではない。彼女の術が整地された石畳ごと地上の兵士を文字通り砕いた。別々に剣もつ手、膝から下の足、頭が飛び散るのが見えた。僕は壊れた石段の残骸を蹴るようにして駆け上がると、地上に出て、うろたえる兵士の二人の背をハンドアックスで砕いた。やけに大胆な秘密の出入口だ。大胆にしたのはレイだ。もうここの地下は使えないたまろう。囲んでいた兵士のほとんどが地崩れに巻き込まれ、残りの数人はハンドアックスで、剣ごと血飛沫に沈んだ。カンパの姿が見えたので、僕は走り込んだ。
どういうわけか見えた。
「ここだ!」
結界の弱いところにハンドアックスを叩きつけると、ガラスのように割れた。まさか簡単に割られると思っていなかったカンパは転がるように背後に逃げた。
「逃げるのかっ!」
横からのフィリの剣が僕の脇腹をかすめた。僕はカンパを右の武器で制し、左手で対峙した。
頭上の屋根にはレイがランプを手にしていた。外套をなびかせ、振り抜いた腕から光の手刀がカンパを襲った。かろうじてカンパの短剣に施された呪詛がレイの光輪を跳ね除けたが、すかさず第二の光の矢が降り注いだ。さすがのカンパも、
「とんでもない!奴の術は呪文がいらないのか!なんて速いんだ!」
「泣き言言うんなら帰れ」
フィリが叫んだ。
カンパは倒れた味方の兵士に隠れて、それを盾にした。結界を張るのが見えた。僕は右手にハンドアックス、左手で誰のものともわからない石畳に落ちる剣を取り上げた。
「仲間は一網打尽だぞ!」
カンパは死体の陰から舌をもつれさせるように叫んだが、僕は「そんな下手は打たない」と答えた。
「やけに信頼してるな」
「フィリ、僕にも君にも一撃しか余裕はないよ」
「舐めるな、半人前が」
僕は左で踏み込んだ。フィリは稽古のように剣を払い上げて、懐に飛び込んできた。僕の右手は左腰のハンドアックスを掴む。抜き様それは弧を描いて、フィリの剣ごと右下へ叩きつけた。もう少しで腕ごと打ちつけるところだったが、なかなかうまくはいかない。同時に左の剣をフィリの気を引くように捨てると、その空いた左手で右腰のハンドアックスを水平に走らせた。途中で察したフィリは身をかわして、すかさず間合いをとる。目の下に一筋の傷ができた。続けて僕は右手のハンドアックスごと踏み込む。何とか飛び退いたフィリは血まみれの顔で呻いた。左手の甲で血を拭いながら、胴巻きから呪詛を施した短剣を抜いた。それを右のハンドアックスが狙ったが、そう簡単ではなかった。
「貴様、右利きか」
「そうなんだ。塔では左の訓練をしていたんだ。だから一撃しかできないって言っただろう」
「ことごとくわたしをコケにしていたのか。いつか逃げる機会を待っていたわけだな?」
「そうだよ」
「演技をしていたんだな」
「このリングのおかけで守られていたんだ。あの世界は変だよ」
「貴様は信じさえすれば穏やかさを得ることができた!」
「そうかもしれない。でも信じる気にもなれなかった」
僕はフィリに間合いを詰めた。今まさに殺そうという、殺されようという勢いだ。しかしすかさず相手の脇をすり抜けるように、転がる死体を飛び越えた。彼女は短剣を構えていたが、構わず逃げた。貴族屋敷の焼き野原の上を走る。レイが運河沿いに走るのが見えた。できるだけ目立つようにして、他の兵士をも引きつけたい。街を守る兵士である青の制服姿も増えてきた。レイも同じ考えで派手に走る。同じ考えなのか怪しいが、信じよう。敵を容赦なく光や風の矢で打ち抜いた。石畳の破片があちらこちらに飛んだ。このままでは街全体を壊す勢いだ。同じ考えでないかもしれない。僕は何とか声をかけて呼び寄せた。敵より味方の方が危ないとは、心強いのか?
「あの子たち逃げきれたかな」
「アラならできる」
とレイは答えた。
僕も信じた。
「このまま塔を攻め落とすか」
とレイは朝の街角から塔を遠くに見ながら呟いた。背後で騒ぎが起きていないのは、アラたちがうまく逃げきれている証拠だろう。
「しかしまあ」
僕は冷めた目でレイを見た。
どういう思考回路をして、そんな決断になるんだと言おうとしたがやめた。たぶん理由などないな。
「どうやって?」
「わかんない」
「やるしかないのかな」
「おまえには救いたい人がいるんだろう。だったら女王を殺すしかないんじゃないか。諦めたのか」
「まさかそんなことはない」
僕は白亜の塔へ歩くと、レイも後に続いてきた。結局ここまで来たからには後退する選択肢はない。
「おまえにはどんな姿に見えていたかわからないけど、わたしには婆さんに見えた。亡霊と話していた」
レイは自分の眼を指差した。澄まされた眼が妖しく浮かんでいた。
「わたしは美月という人を知らないからな。婆さんではないんだろ」
「きれいな人だよ」
「好きだったの?」
「そんなんじゃないんだ。家族みたいなもんだと信じてた。ただ僕が信じようとしていただけなんだ」
「救いたくなくなったのか」
「そんなわけない」
僕はかすかに動揺した。救いたいかと問われれば救いたい。ただなぜだと尋ねられれば、答えがない。
「救いたい理由がわからない」
「理由なんているのか。トトを救うのに理由なんていらない。シンは救いたいから救おうとしている」
僕は歩みを止めた。考えているからわからなくなる。ただ気持ちで動けばいい。僕は美月を救いたい。
「一緒に来てくれる?」
「当然」とレイ。
僕たちは白亜の塔へと向かうことにした。しかしあれほどの塔を二人で攻め落とせるのか自信はない。
レイが、
「本当に大きいのか?」
と問いかけた。しっかりとした瞳は僕を勇気づけてくれた。
幻術か。
「わたしたちはずっと幻術を見せられてる気がする。初めに塔を訪れようとしたときからね」
気のせいではないのか。近づくことができないようにされていたのかもしれない。次に捕まったときも階段も上がれないでいた。フィリの短剣で術を解除していたので簡単に離れることかできた。すべてが仕組まれたまやかしかもしれない。
「行くしかないな」
「おまえが何を見せられたのかはわからない。話してくれないか」
僕は棺が並んだ青白い世界を思い出した。アーチ状の梁の下どこまでも棺が並んでいた。もし一人で乗り込んだとしても、美月さんを探せる自信はない。いくつもの幻術で弄ばれるのが目に浮かんできた。
「ごめん。あのときわたしが気づいていればよかった」
「謝るなよ。僕を救ってくれたのはレイなんだ。もしレイのぬくもりがなければ、僕は今頃ここにはいないんだよ。ずっと白亜の塔にいた」
「おまえは記憶を消されて、わたしにさよならをした」
「あれは演技だよ」
レイは指で僕を招いた。僕が近づくと耳たぶを弾いた。
「捨てられたと思ったぞ。おまえを引き留める資格なんてないし」
「引き留めるのに資格なんているのかよ。気持ちだけでいいんだ」
「真似するな」
「村へ帰ろうとしたんだろう」
「そうだよ。わたしを捨てた村を焼き尽くしてやるつもりでな」
穏やかな話にはならないな。
「昔々のことだ。レイたちの種族はこの世界を滅ぼしかけた。魔族と言われる由縁だ。僕が残ればレイを自由にしてくれると約束してくれた」
「おまえがいない世界で自由を与えられてもうれしくはない。おまえはわたしと旅をしてくれた。わたしは死ぬ前に白亜の塔を見たいと思っていたんだ。塔の街に来たら、もういつ死んでも構わないと考えていた」
「だから死んだのか」
「墓に入れたのはおまえだ。まさか五回目に眼が出てくるとはなあ」
僕はレイがいなければ野垂れ死んでいるところだ。持ちつ持たれつだったんだ。だからそんなに思われていると心苦しいところもある。
「死への旅だったはずなのに今は死にたくない。まさか一緒に暮らすなんで想像もしていなかった。わたしは楽しかった」
「僕もだ」
「本当に?」
たまに表情が変わる。
「わたしはおまえのために戦う気はある。まやかしの世界なんていらない。わたしが滅ぼしてやる。繋ぎ止められた魂を解放してやるんだ」
レイは拳を突き上げた。
「わたしたちは救世主になる」
「気合い入れてるところ申し訳ないんだけど、レイは救世主にはなれないと思うんだけどね」
「おまえだけなる気か?」
「何でだよ。ほら。この春からやらかしてることあるじゃん」
「知らない」
都合がよすぎる。白亜の塔に何か起きれば、一連のことは関連付けられるのは間違いない。
レイはいつまでもささいなことにこだわるんだなと言うが、少しもささいなことではない気がする。
「アラですら考えたらしいぞ」
「何を?」
「レイの処遇だよ。子どもらのためになら何でもする奴がだぞ」
「初耳だ。今度締めてやる」
「お手柔らかにね」
僕は後ろ髪を束ねなおした。
「ところでどうしておまえは記憶を消されなかったんだ」
「レイとのことは消したくなかったんだ」
僕が言うと、急にレイは俯いてさっさと一人で歩きだした。
「冗談は置いといて、首のリングのおかげで守られたんじゃないかと思うんだよね。よくわからないけど」
ピタッと歩みを止めると、僕に牙を剥いた。まったく余計なこと言わなくていいのにと速く歩いた。
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